散文

はむちゅ

私が大切にしていること

 10代の頃。

 私はまだ、心の幼い子供でした。

 小さい頃から、自分がどうやって生きていけばいいのかがよく解らず、何故生まれてきたのかが解らず、漠然とした喪失感と違和感をもっていました。


 眠ることが好きでした。このままずぅっと眠っていたられたら、幸せなのになぁ。そう思っていました。

 生きることが不安で、死ぬことに憧れて、でも、きっと人一倍死ぬことが怖くて。

 漠然と日々を過ごすことが。

 どうして、自分はこの世界に産まれ、生きているのか。

 そんなことを思い、考えていました。


 空を見ては、その『向こうの世界』の存在に憧れていたような気がします。

 自分が人間に生まれてきたことが、疎ましくて。


 野生動物に憧れていました。

 いつも『死』と隣合せの日々で。だからこそ、必死で日々を生きる。

 そのことが、羨ましくて。

 『命』というものを考えず、ただ生きる。そのことが凄く、眩しくて。

 本当に、憧れていました。



 今思えば、本当に子供で、幼かったと思います。

 でも、私なりに精一杯悩んで、考えていて。



 今。

 私はとても幸せです。心から言えます。

 好きな人と恋をして、その人も、私を好きでいてくれて。

 新しい命も生まれて。

 ふと、あの頃のことを振り返ったんです。

 

 

 10代って、そんなものなのかなぁと、考えるようになりました。

 日々を生きることの大切さより、遠い未来を考えてしまったり、それで勝手に不安や絶望感に悩まされたり。

 理想ばかり追い駆けてしまうのも、自分に過度の自信をもったり、逆に卑下していたり。


 たった10数年しか、生きていないのに、さも人生を知っているように思ったり。


 でも、それでいいんじゃないかなぁって。

 悩んで、足掻いて、足掻いて、足掻いて……。

 だってそれが、自分にとって精一杯だから。



 子供を育てていて、色んな事を教えられた気がします。

 ただ、生きていれば、それでいいんだって。

 自分が生まれたのに理由なんかない。でも、決して意味が無いんじゃない。


 誰かが必要としてくれたから。

 いつか、誰かが必要としてくれるから。

 だからこの世界に、生まれたんだって。



 あの頃に感じた、喪失感や違和感は、もうありません。

 時々死にたくなることも、あります。でも、それが一過性のものであることを知ったから。

 今は、自分が、「この世界で生きているのだ」と、確かに感じます。

 変わり映えのない日々も、退屈な日常も。

 それでいいんだって、思えるようになりました。



 子供が将来、大きくなって。

 私が子供だった頃に感じたような、衝動に駆られることがあっても。

 それでいいんだよって。

 それがあなたなんだからって。

 そういう風に、言えたらいいなって、思っています。



 自分が10代だった頃を忘れないように。

 あの子が、「わたしはこの世界で生きていのだ」と思えるように。

 あの頃の想いを、心の隅っこの方に、大切にしまっています。



記:2005年7月25日

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