第3話 やっぱり基礎《ベーシック》が大事
「改めまして、ご挨拶をば。
その眼鏡のように角張った口調で、部室の入り口に立ったまま綺麗に腰を曲げてお辞儀を一つ。
「
相手の作法に合わせ、返礼する。こういった作法というのも一種の言語と呼べなくもないだろう。そう考えれば、俺の範疇なのである。
「挨拶はコミュニケーションにおけるベーシックな作法。よくできました」
淡々と言って。
「さて、矢國君。初心者にいきなり実践をさせる無体な十十子とは違い、このわたしが基礎から、ベーシックなところから、お教えしましょう」
「無体って何よ!」
十十子さんの抗議の声もどこ吹く風。厳粛な空気を纏った礎さんが、入り口から俺の傍らまで姿勢良く歩いてくる。
そうして、角張った銀縁眼鏡をクイっとすると、
「では、まずはさっき十十子が先延ばしにした『インタプリタ』と『コンパイル』から学んでいきましょうか」
堅苦しく角張った印象を初めて崩す笑みを口元に浮かべながら、礎さん。
その表情に、少しドキリとさせられる。角張った中の丸みは、実際以上にその柔らかさを引き立てる。
「宜しくお願いします」
俺が居住まいを正して礎さんに向き合ったのは、十十子さん
「最初に、『コンパイル』について。そうね、語学が得意という貴方なら『コンパイル』という単語の意味はすぐに解るのではないかしら?」
「 compile ……『翻訳』ですね」
これぐらいなら、解る。
「その通り。そこから考えれば、物した特殊文芸をコンパイルする、というのがどういうことか想像がつくのじゃないかしら?」
今度も即答する、と思ってくれたのかもしれない。
だが、俺が口を噤んで何も返さないことに、怪訝な表情を浮かべる。
答えられないのは、眉を顰めた表情も整っていると見惚れていたからだけではない。実際、俺にはピンとこなかったのだ。
ならば。
「『プログラミング言語』は、コンピュータにお願いするための言語と聞いています。一体それを何に翻訳する必要があるのか、ピンと来ません」
綺麗な先輩の期待に応えられないことは忸怩たるものがあるが、正直に解らないことを認める。語学に限らないだろうが、何かを学ぶ上では『解った気になる』というのが一番ダメだと俺は知っている。
「……ああ、なるほど」
俺の答えに、どこをどう納得したのか。
一つ深く頷いて。
「そこは、説明されなかったということね。ええ、ええ、基礎は、ベーシックは大事ということがよく解る事案です」
なんだか妙に嬉しそうに言いつつ、
「十十子、やっぱり貴女の教え方は大雑把すぎるということよ。特殊文芸の話をするなら、それがどうやって機械に伝わるのかを正確に教えてあげないと」
厳しい口調で十十子さんに水を向ける。
「え~、せっかく『言語』としての特殊文芸に興味を持って貰えてるのに、小難しい理屈で正確なことをいきなり教えるよりは~、大雑把でも雰囲気を教える方が、いいと思うな」
十十子さんは不満たらたらと見えるように明らかに作った口調でいいながら、最後の部分で唇に右の人差し指を当てて首を傾げるあざとさ満点の仕草。
「か、可愛い仕草で誤魔化してもいけません」
厳しくも、どこか上擦ったような声を上げる礎さん。気のせいか、微妙に頬が赤い気もする。
「確かに十十子は天才肌でベーシックなところは説明不要で理解してしまうかもしれないけれど、人に教えるのにそれでは……いけな……いわ」
「もぉ、お堅いんだから。だからこそ、わたしには基子が必要なんじゃない。頼りにし・て・る・わ」
言葉の途中で全く意に介さずにすり寄っていき、その頬をそっと撫でる十十子さん。二人の顔は、かなり近い距離にある。
礎さんの頬がはっきり解るほど色づいているが、その光景を目にした俺の頬も若干熱い気がするので、何も言わないことにする。
「え、ええ、ええ。そうでしょう。仕方ありません。わたしがそこを請け負いましょう」
かくして、簡単に懐柔されてしまった礎さん。十十子さんにあれこれ厳しく言いつつも根っこは甘いように見えて、何だか親しみを感じてしまう。
「そんなわけで、改めまして。基礎から、ベーシックからこのわたしがお教えしましょう」
銀縁眼鏡をクイっとして居住まいを正したので、俺も気を引き締める。
別に伸びていた鼻の下を戻したわけではない。少し涙目なのも、十十子さんと礎さんの繰り広げた光景に感動したわけではなく、話を邪魔をしないように無言でいる
「まず、『プログラミング言語』は確かに人間がコンピュータにお願いを伝えるための言語ですが、実は、コンピュータはプログラミング言語で紡がれた特殊文芸を読むことができません」
「え?」
では、どうやってコンピュータに文意を伝えることができるんだ?
「コンピュータは、その頭脳とも言える CPU 、 Central Processing Unit と呼ばれるものの種類に合わせた専用の『機械語』と呼ばれる言語でしか話せません。ところが、その機械語は人間には理解しがたいものとなっています」
そうして、再び眼鏡をクイっとして。
「さて、ここまで基礎を、ベーシックを説明すればもう解るでしょうから、改めて問いましょう。物した特殊文芸をコンパイルする、とはどういうことでしょう?」
改めて問い掛けてくる。
流石にここまでお膳立てされれば、もう、答えは分かっていた。
「プログラミング言語を、機械語に翻訳する、ということですね」
今度は即答だ。
「正解です。基礎が、ベーシックが活きましたね」
嬉しそうに頬を緩ませる礎さん。
「更に補足すると、コンパイルを行ってからプログラムを実行する方式を『コンパイラ型』とも言います。これから説明する『インタプリタ型』との対比になりますので、覚えておいてください」
語尾が『ル』から『ラ』に変わったのは、 compile という動詞から、語尾 -er を付けた compiler という名詞に変わったということだろう。
「それでは、次にコンパイルが必要なかった Perl がありましたが、これらの言語で書いた特殊文芸はコンパイルを行わず、インタプリタという仕組みで動作します。このような動作の形式が『インタプリタ型』と呼ばれますが……もしかしたら、聡い矢國君であれば、もうこれで『インタプリタ型』がどういうものか想像は付くんじゃないかしら?」
「えっと、 interpreter は、『通訳』みたいない意味だから……特殊文芸の内容を同時通訳して CPU に伝えて動かす、ということですか?」
流れるように問われたが、単語の意味とここまでの説明内容からの想像で恐る恐る答えてみると、
「ええ、その通りです」
どうやら正解のようで、ほっと胸を撫で下ろしたのだが、
「あれ? でも、通訳がやっていることは翻訳だから、これもコンパイルになるんじゃないですか?」
正しいと言われたものの、ふと、己の回答に引っ掛かりを覚える。
「本当に筋がいいのね。そうです。翻訳しないと通訳できないのは道理。ですから『コンパイラ型』『インタプリタ型』というのは、飽くまで実行方法による便宜上の区分ということになります。インタプリタにしろ、コンパイラにしろ、やっていることは特定言語で物された特殊文芸の機械語への翻訳に他なりません。ただ、その翻訳のタイミングが異なるだけです。インタプリタというのは、プログラミング言語で物された特殊文芸を読みながらコンパイルし CPU へ何をして欲しいかを伝えて動かす仕組みになります」
礎さんの説明を反芻し、考えを纏める。
「なるほど、翻訳して本の形で CPU に渡すのがコンパイラ型、翻訳しながら読み聞かせるのがインタプリタ型、というようなものですね」
そうして、自分なりに理解しやすい形に噛み砕いた内容を口にして、正しいかを確かめる。
果たして、
「流石は十十子が見込んだ新入生、というわけですね。中々的確な例えです」
感心したように頷いてくれる礎さんに、驚いたようなどこか悔しげな表情を浮かべる
三者三様の反応だが、概ね、俺の理解が正しかったと受け取ってよさそうで安心する。
「では、インタプリタとコンパイラを理解したところで、次の段階に……」
礎さんが口にしたところで、下校時間を告げるチャイムが鳴り響く。
「ありゃりゃ、残念。今日のところはこれまで! ね」
「これまで」のところで両手を薄い胸の前で合わせ、最後の「ね」で体を横にクネっとしたわざとらしいジェスチャー付きで、部活の終わりを告げる部長の十十子さん。
「そうね。時間は守らないと行けないから、これまでね。それも、学生生活の基礎、ベーシックですものね」
柔らかい笑みを何度も見せてはくれたが、基本は堅物なのはその通りのようだ。
ともあれ、
「礎さん、ご教示ありがとうございました」
最初の挨拶のときの流れで、言葉だけでなく、頭を下げて礼をする。それが、礎さんには相応しいと思ったから。
「どういたしまして」
丁寧に礼で応じてくれる礎先輩。
「でも、なんだか他人行儀ですね」
頭を上げて、礎さん。
「実のところ、当特殊文芸部は十十子、わたし、そして
告げられた事実に膨らんだ期待は、可愛かったり綺麗だったりする先輩同輩に囲まれた部活が続いていくことへの期待だけでは決してなく、個性的で自分よりもずっと詳しい先輩同輩方から特殊文芸を学んでいける前途への期待だった。
そんな期待溢れる俺に礎さんが告げたのは、
「それで、部室へ入る前に、
と、なんとも堅苦しいイメージとは合わない、俗っぽい内容だった。
「ですから、わたしも十十子と同じように、下の名前の『基子』で構いません。わたしもこの名前が気に入っていますので」
そこで、声を潜め、少し熱を帯びて続けるには、
「でも、なんなら、親しみをこめて『べーしっちゃん』って呼んでくれても構いませんよ?」
とのことだ。
基子さんはともかく、『べーしっちゃん』ってなんだ? と思ったが、礎基子の最初の文字と二文字目を入れ替えれば『基礎』。薄々そうだろうとは思っていたのだが、やたらと『基礎』『ベーシック』を強調していたのは、
だから、『ベーシック』をもじっての『べーしっちゃん』というわけだ。そこまで気付いたら、どこで見たのか解らないが似たような表記からの連想で BASIC'HAN という綴りが浮かんだ。
色々と考えていた俺の顔を、妙に期待をこめて見詰める礎さんだった。
その期待がなんなのかもわかるけれど、親しみをこめるにしても、ちょっと呼びづらい。だから、
「えっと、それなら、基子さん、と呼ばせていただきます」
と、恐縮して答える。
「そう、ですか……ええ。それで構いません」
言いながらも、俺の答えが何だか残念そうな礎さん、もとい、基子さん。
申しわけない気持ちになってくるが、
「ああ、気にしなくていいよ、矢國君。だ~れも彼女のことを『べーしっちゃん』なんて呼んでないからね」
明るくいう十十子さんの言葉に、
「うう、そうよ。どうせ、こんなお堅い女には『べーしっちゃん』なんて柔らかそうな呼び名は似合わないのよ……」
「あ、あの、確かに似合わないとは思うですが、果敢に申し出る勇気は凄いといつも思ってるですよ!」
項垂れる基子さんに、励ましているようでトドメを差している
なんだか不可思議な空間だけれど、既にこの新しい場所に居心地の良さを感じ始めていた。
特殊文芸家への道、ここから、しっかり歩んでいこう。
決意を新たにしたところで、
「はい、それじゃ、今日の部活はおしまい! 片付けて下校しましょう!」
部長の号令でそれぞれが片付けに入る。
その様子を部長らしく(?)見守りながら、
「それじゃ、続きはまた明日、ね!」
虚空に手を振り明らかに作った笑顔を浮かべ、
「さあ、次は何ヶ月後になるかな?」
組んだ両手を頬に当てて首を傾げた媚び媚びの姿勢で、意味不明な言葉を付け加える十十子さんだった。
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