特殊文芸部は十十子《じゅじゅこ》さん

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第1話 Welcom YAGNI

 本が好きだ。

 物語が好きだ。

 物語を構築する言語が好きだ。


 つまり。


 言語によって産み出される無限の可能性が、大好きだ。



 俺の両親は紙の本を愛していた。

 幸い、祖父母の残した広い家があるお陰で、本の置き場にも困らない。

 結果として、両親と俺が暮らす部屋以外は全て書庫として機能する本屋敷になっていた。

 物心ついた頃には、既にそんな状態だったのだ。ならば、その一人息子である矢國やぐに行人ゆきひとが、幼い頃から沢山の本を読んで過ごしてきたのは必然でもあろう。


 更に両親は仕事の関係もあって、語学にも堪能だった。書庫に収められているのは日本語だけでなく、英語やドイツ語、フランス語、ロシア語、中国語、スペイン語などなど。様々な言語で記されたものがあった。


 外国語についても、日本語の本で学ぶことができる。流石に何から何までは無理でも、小学生の頃から両親に教えて貰いながら辞書や文法書片手に色々な言語の本を読んだりしていたので外国語への抵抗もなく、中学では英語は得意科目だった。


 こうして様々な言語の本に触れながら、言語の持つ可能性に触れ続けて中学までの人生を過ごした結果、俺の中に一つの想いが生まれていた。


 言語の持つ可能性を享受するだけではなく、与える側になりたい。


 その手段として、高校では文芸部に入って言語の無限の可能性を紡ぐ技を身に付けたい、と思っていた。


 晴れて高校生となり、入学式を終えれば各部活による新歓合戦に否応なく巻き込まれることになる。諸々の手続きを終えて解放されて校舎から出てきた新入生を捕まえようと、上級生達が待ち構えているのだ。


 初々しいブレザーの制服姿に、着慣れた同じ制服姿や一部は部活のユニフォーム姿の上級生が声を掛ける光景が繰り広げられる。


 心に決めた部活がある身には、この新歓合戦の喧噪は辛い。


 一旦校舎裏の人気のない場所へと移動して、とっとと文芸部の門戸を叩くべく入学式で配られた部活案内の冊子を開いて文芸部を検索する。


「さて、文芸部は……と」


 思わず声を漏らしながらページを繰っていると、


「お、そこの少年! 特殊文芸部なんて、どう?」


 唐突に背後から声を掛けられた。


 こんなところにまで新歓戦士の上級生は潜んでいたのか、といささかげんなりしながら振り向いて見れば、すらりとした長身の上級生らしき女生徒が立っていた。


 その独特な姿に、一瞬唖然とする。

 記号的に言えば『三つ編みめがねっ娘』となるのだろうか?

 だが、記号から外れた部分の目立つ奇妙な出で立ちだった。


 そもそも、制服のブレザーの上から白衣を着ている時点で怪しい。


 掛けている眼鏡も、大筋では金色のフレームの丸レンズ眼鏡なのだが、フレームが付いているのは右のレンズだけだ。そのフレームも、鼻に掛かる部分付近は途切れていて、正面から見るとアルファベットの『C』のように見える。一方で、左のレンズにはフレームが付いていないアシンメトリーなデザインだ。


 長い髪をボリュームのある三つ編みにして顔の左側に垂らしているが、こめかみの辺りの位置に二つの十字架の金の髪飾り……いや、縦横の長さが同じだから、+《プラス》記号の形の髪飾りをしていた。


 なんというか、一度見たら忘れないような、印象的な姿だった。


「ん? 聞こえなかった? 特殊文芸部に入るんでしょ?」


 話を聞いていないと思ったのか、改めて言い直した……と思ったが変な既成事実が加えられていた。


「いや、そんなことは言った覚えはないです」


 冷静に言い返す俺に、


「ふぅん、それじゃぁ、改めて。特殊文芸部、見学してみない?」


 ようやく、まともな新歓の言葉が掛かる。


 文芸部を志していた身には渡りに船とも言える申し出だ。

 ほいほい付いていっても別に構わない気もする。


 だけど、少し引っ掛かる部分は確認しておいた方がいいだろう。


「特殊って……どう特殊なんですか?」


 枕についている『特殊』が何を意味するのか?


「それは、見てのお楽しみだけど」


 先輩は俺の問いをはぐらかし。


「ありきたりの文芸部では身に付かない技を教えてあげるわよ?」


 身を寄せるようにして俺の胸を指先でクルクル撫でるようにしながら、露骨に媚びた仕草で言ってくる。


 背が高く、百七十少しの俺と変わらない身長のため、頬を寄せるような形になっていて顔が近い。


「う、そ、それなら、見学、します」


 奇妙な出で立ちなだけで近くで見ると整った愛らしい顔立ちであることが解ってしまったり、いい匂いがしていたりして、すっかり頬が熱くなってしまっていたのだが、折れたのはそれだけが理由ではない。


 ありきたりの文芸部では身に付かない技とはどのようなものか?


 その言葉の内容にも、惹かれたからだ。


「うんうん、素直で宜しい!」


 邪気のない笑みを浮かべると、先輩は先に立って歩き出す。


 が、一度立ち止まって、


「あ、まだ名乗ってなかったわね」


 くるり、と振り返り。


「わたしは、二年で特殊文芸部部長の椎名しいな十十子じゅじゅこよ。数字の『十』を二つ重ねて十十子。この名前、とても気に入ってるから、親しみを込めて『十十子さん』と読んでくれると嬉しいかな?」


 にこやかに告げられた名前まで特徴的だった。でも、向けられた笑顔は思わず見惚れそうなほど綺麗だと、感じてしまう。


「あ、俺は、古い方の『國』の字で『矢の國に行く人』と書いて、矢國やぐに行人ゆきひとです。」


 どう書くかも含めて、俺も名乗り返す。


「へぇ、なんか矢の國って射られそうで物騒な感じだけど、そう言われると覚えやすいわね」


 楽しそうに、応じて。


「それにしても、YAGNI君か、うん、君、素質あるかもね」


 続ける言葉では、なぜだか、俺の名字だけで素質を見出されていたりするのは謎だったけれど。


「それじゃぁ、部室へ行こう!」


 すたすたと歩き始めたその背中に付いていくのは悪くない、と俺は思い始めていた。


「ここが、特殊文芸部の部室よ」

「おお、これは、いい」


 案内された特殊文芸部室に足を踏み入れて、俺は軽く感動を覚えていた。


 何しろそこは、図書室の隣にある図書準備室。すぐ隣に本の海があるのだ。しかも、準備室というだけあって、廊下側からだけでなく、中からも直接図書室と繋がっている。いつでも本の海に飛び込めるのは、確かに文芸部としては有利だろう。


「そうでしょそうでしょ。これだけ設備の整った環境も、そうそうないわよ?」


 俺の感動の言葉を違う意味で取ったのか、十十子さんは得意げに部屋の中央を示す。


 十人ぐらいが囲めそうな大きな机の上に、液晶モニタがあった。いや、マウスとキーボードが繋がっているから、一体型のパソコンだろう。それが手前側、奥側で背中合わせに二台ずつ、合計四台並んでいた。


 確かに、執筆環境としてパソコンが準備されているのは文芸部としては珍しいかも知れない。部活だと「手書きで充分」と原稿用紙と向き合うぐらいのつもりだったので、十十子さんが得意げなのも解る気はした。


「それじゃぁ、早速、特殊文芸の一旦を見せてあげるわね」


 言うと、手前側のマウスをくりくりと動かすと、パソコンはスリープしていただけのようで、液晶モニタに灯が入る。


 映しだされているのは、黒い背景のウィンドウ。


「このテキストエディタに、今から特殊文芸を記すわよ」


 そうして、十十子さんはキーボードを叩き始める。


 凄い、早い。


 あっという間に、アルファベットでこんな内容が紡ぎ出されていた。


#include <iostream>

int main() {

  std::cout << "Welcome YAGNI!" << std::endl;

  return 0;

}


 英語のようだが、なんだか奇妙だ。


 int や return などの一部の単語や "" で囲まれた部分の文字の色が変わって強調表示されているのも、不思議だった。


 それを保存すると、また黒い背景の別のウィンドウ……コマンドプロンプト? を起動して、なにやらまた英語っぽい何かを打ち込み始める。


cl /EHsc Welcom.cpp


 そんな内容を入力すると Micorsoft がどうのというようなメッセージが表示され、


Welcom.exe


 と続いて入力すると、


Welcome YAGNI!


 と表示されていた。


「どう、これが特殊文芸よ!」


 振り返ると得意げな笑みで、Cのように縁取られた右の瞳を閉じてウィンク。合わせて三つ編みが揺れて+《プラス》型の髪飾りも共にゆらゆらとその存在を主張するように動く。


「いや、これは、文芸じゃなくてプログラミングなんじゃ?」


 残念ながら俺はプログラミングをしたことはないが、今まで読んだ本の知識としてそれがどういうものかは知っている。こうして知識を授けてくれるのは、言語の機能としての最たるものだろう。


 ん? 言語?


 俺が少し引っ掛かりを覚えたところで、


「チッチッチ! それは了見が狭いってものよ?」


 右手の人差し指を立てて顔の前で揺らしながら、十十子さん。


「矢國君、文芸は何によって紡がれるのかな?」


 謎掛けのような問いだが、俺はそこには明確な答えがある。


「言語」


 これしかない。


「へぇ、『文字』とか『言葉』とか、捻くれて『手』とか言い出さずに、最初にその単語が出てきたのは、矢國君が初めてね」


 どうやら正解だったようだが、この様子だと今までにも何人にも同じ質問を投げてきたようだ。


「そう、言語で記すのが文芸よね。ところで、わたしがさっき書いた特殊文芸だけど、これは何で書かれていると思う?」


 そうして、さっきの引っ掛かりがなんだったかに気付く。これも、本が授けてくれた知識。


「プログラミング言語」


 ということだ。


「正解! うん、やっぱり矢國君は素質がありそうね」


 十十子さんの嬉しそうな笑顔は見ていて飽きないけれど、なんだか俺の高校生活が初っ端からおかしな方向にずれそうだ。


「もしかして、プログラミングも言語で書くんだから、文芸の範疇、という理屈ですか? だとしたら、いくらなんでも詭弁が過ぎると思いますよ? 俺は、小説とかエッセイとか、そういったものを書く文芸部に入りたかったんです。プログラミングは、想定外です」


 軌道修正すべく言語を駆使してはっきりと自分の想いを主張しておく。言語は、有用なコミュニケーションの手段だ。


「はぁ……やっぱり、そういうこと言っちゃうかぁ……」


 一転して落胆したようすの十十子さん。さっきの口ぶりといい、文芸部を志す新入生を捕まえては同じような問答をしていたのかもしれない。


「でも、矢國君なら解ってくれそうな気がするから、もう少し、話を聞いてくれるかな?」


 わざわざ前屈みで頭の位置を低くして上目遣いで十十子さん。ずるいというか、あからさまであざとい仕草だけれど、


「い、いいですよ」


 心が揺らいで応じてしまったのは仕方ないだろう。


「プログラムというのは、コンピュータに向けたプログラミング言語で紡ぐコミュニケーション手段よ。何をして欲しいのか、言葉で伝えて動いて貰う」


 そこで、液晶画面に表示されているプログラムを示す。


「このプログラム……詳細は長くなるから省くけれど、C++という言語でコンピュータに『 Welcom YAGNI! 』って表示してね、ってお願いしたのよ」


 『 Welcom YAGNI! 』って表示してね、の部分だけ妙に作った可愛らしい声で言う十十子さん。言わんとすることは解る。


「人と人を繋ぐのが言語よね? バベルの塔の伝説なんか、だからこそ言語をバラバラにしたっていうぐらいだし。そのコミュニケーション手段である人間が使う言語で紡がれるのが確かに一般的な文芸だけれど、このパソコンやスマホが身近になって当たり前になった世界では、人間とコンピュータの繋がりも大事だと思わないかしら?」


 なんだか話が大きくなってきたが、少しずつ、俺の心は動かされている。


「人間の言葉で書いた文芸で人の心を動かす、それも素晴らしいことだけれど、いい? プログラミング言語は、人間が扱える言語でコンピュータを動かすわけ。そして、いいプログラム、俗に『エレガント』と表現されるようなプログラムは、人の心も動かすわ」


 十十子さんが心からそう信じているのは、先ほどまでのあざとさ全開の仕草が鳴りを潜め、熱のこもった真摯な表情を浮かべていることから感じ取れる。


「プログラミング言語は、人の心もコンピュータも動かせるのよ? これって、素敵なことだと思わないかしら?」


 真摯な問い掛けに、気圧されるように俺は自然と応えていた。


「思い、ます」


 十十子さんの表情がぱぁっと明るくなる。今までで一番の笑顔。

 恐らく、作っていない、自然な笑顔。


 思わず見惚れてしまう俺に、十十子さんは嬉しげに言葉を重ねてくる。


「そうよね、だったら、プログラミング言語でプログラムを紡ぐ行為も文芸の範疇だって認めてくれるわよね?」


 誘導尋問染みているが、俺に反論の言葉はなく、ただ、頷いて応える。


「じゃぁ、特殊文芸部に入ってくれる?」


 遂に核心を問われ、真剣な言葉には真剣に応えねばと考える。


 俺が文芸を志したのは、言語によって何かを産みだしたかったからだ。


 そして、言語の本質を意識してきた俺には、詭弁とも取れる十十子さんの理屈が、理解できてしまう。


 言語とは、伝達手段だ。

 伝達することで、受け取った相手は何かしらの影響を受ける。

 しかも、表現さえできれば何でも伝達できるのだ。

 だからこそ、そこに無限の可能性を見出していた。


 人は言語により種々の情報を伝達し、伝達された情報に応じて心動かされて様々な感情を抱く。


 一方でコンピュータは感情こそ抱かないが、十十子さんが書いたプログラムでは文字を表示してくれたように、能力を発揮して応えてくれる。


 本質は、確かに同じ伝達手段。

 ゆえにこその『プログラミング言語』。

 人が話すのと違いのない、言語の範疇。


 なるほど。


 この発想を知れただけでも『ありきたりの文芸部では身に付かない技』だ。俺を誘ったときの十十子さんの言葉に嘘はなかったと言える。


 何より。


 短い時間の中で、この十十子さんと過ごす時間が悪くない、そう思えてきていた。


 そんな僅かばかりの下心も込めて、


「入部、します」


 俺は、入部を決意していた。


「ありがとう! 矢國君!」


 俺の手を両手で取って、ブンブン振り回す。


 スキンシップが面映ゆくて、俺は、はぐらかすように最後に一つ、質問してみることにした。


「さっきのプログラム、どうして俺の名前の綴りが YAGUNI ではなくて、 U の抜けた YAGNI だったんですか?」


 あれだけプログラミング、もとい『特殊文芸』に思い入れのある十十子さんだ。ミスタイプ、とは思えなかった。


「流石、いいところに目を付けるわね、新入部員の矢國君」


 俺の手を解放しながらも、もう逃がさないとばかりに『新入部員』を強調して十十子さん。


「特殊文芸の心得みたいなものに『 YAGNI 』っていうのがあるのよ」


 ああ、だから『 YAGNI 』と同じ音の『矢國』という俺の名前を聞いて素質があるだの言っていたのか。


「これは、プログラミング言語に限らないけど、何から何まであらゆることに備えるなんて、人間には不可能よね? でも、プログラムは書けてしまえば何でも出来てしまう訳だから、ついついあれもこれもと備えすぎて身動き取れなくなったり余計な手間を掛けてしまうことが多々あるのよ。そうならないように『今、確実に必要じゃないことはプログラムに書かなくていいよ』と戒める言葉。まぁ、ある程度特殊文芸に触れないと実感できないと思うから、今は『そういう言葉がある』程度に思っててくれたらいいから。因みに、これは『 You ain't gonna need it 』の略よ」


 そう、説明してくれる。


「 You ain't gonna need it ……君はそれを必要とすることはないだろう、みたいな意味ですね」

「へぇ、『 ain't gonna 』なんてスラングも即座に訳せるって、英語、得意みたいね。それはますますいいわ。プログラミング言語は英語を基本としてるものがほとんどだからね。矢國君は、きっといい特殊文芸家になれるわ。わたしが保証する!」


 本当に保証してくれそうな、俺の前途に期待した目を向けてくれる。


「特殊文芸家って、要するにプログラマですよね」

「そうとも言うわね」


 俺のツッコミにも、しれっと応える十十子さん。

 未だ、期待の目は変わらない。


 そんな十十子さんの反応に、


「まぁ、それなら特殊文芸家への道を進んでみます。この、特殊文芸部で」


 素直に、そうしてみよう、と思った。


「うん、それじゃぁ、これからも宜しくね矢國君」

「宜しくお願いします、十十子さん」


 かくして俺は、先輩の言葉に心動かされ、一方で若干その色香に惑わされたとも言えなくもなかったりしながら、特殊文芸~プログラミングの道を歩み始めたのだった。

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