第2章 影の国より

シーナの館

「ここは、一体……?」

 気が付くと、シュンは何処とも知れない闇の中を、一人で漂っていた。


「メイ、シーナ、どこにいるんだよ!」

 何も見えない辺りの闇に向かってそう叫ぼうとするシュンだったが、声が、声にならなかった。

 ここは音も、光も、何も感じられない世界だった。


「ん?」

 途方に暮れていたシュンはやがて気づいた。

 何も映らない彼の視界の彼方に、瞬く光が見えたのだ。

 闇の中で一点だけ、蝋燭の灯のように揺らいでいる、不思議な緑色の炎だった。

 シュンの身体が何かに引き寄せられるように、炎の方へと流れて行った。


「あれは……?」

 シュンは目を見開く。

 シュンの視界の中で徐々に大きさを増してゆく緑の炎の中に、見知った人影があった。

 メイだ。


「メイ、何やってるんだよ、そんな処で!?」

 慌ててメイにそう呼びかけるシュンだが、相変わらず声が声にならない。

 メイがシュンの方を向いた。

 ショートレイヤーの黒髪が炎に揺れている。緑色の瞳が炎を映して宝石のように輝いている。

 メイは悲しそうに首を振って、シュンに何かを言おうとしているが、その声はシュンには届いてこない。

 メイの全身は、棘持つ緑の蔓に覆われていた。

 蠢き、のたうつ薔薇の蔓が、そのままメイを飲み込んでしまいそうに見える。


「メイ! メイ!」

 シュンは恐ろしくなって、叫びにならない叫びを上げた。

 何か得体の知れないモノが、メイを奪い去ろうとしている。

 メイが飲まれてしまう。メイが……いってしまう!


  #


「ううう……」

 シュンは目を覚ました。

 彼は布団かなにか、フカフカした物の上に仰向けに寝かされていた。

 焦点が定まってゆくシュンの視界に映るのは、木目模様の見知らぬ天井だった。

 自分の家ではないし、病院でもないようだ。


「俺、あれから一体……?」

 頭を振りながら布団から起き上がろうとして、シュンは気づいた。


「あ……え?」

 シュンの身体に「何か」が覆いかぶさっていた。


「やっぱり、完全に塞がっとる! 死んでもおかしくない創やったはずや……!」

 そいつ・・・は、服を脱がされて上半身が剥き出しになったシュンの胸に鼻先を寄せて、彼の胸をクンクン嗅ぎまわっていた。

 布団の上で四つん這いになってシュンに覆いかぶさっていたのは、燃え立つ炎のような紅髪を揺らした、比良坂シーナだったのだ。


「ちょっ! シーナ? 何やってんだよ!」

 慌ててシーナにそう言うシュンだったが、シーナは何かに夢中になっているようで、シュンの声に気づかない。


「こんなん見たことない……ヒトの身体を覆って『力』を与えて、致命の創まで簡単に塞いでしまう、一体どんな術仕込めばこんな……!?」

 シュンの胸に貌を寄せてブツブツと訳の解らないことを呟いていたシーナが、いきなり、


 ちゅ。


 胸に自分の口を押し当てると、


 つーーーーー……!


 唇から突き出した濡れた舌先で、シュンの胸の創口をゆっくりと舐め取ってゆく!


「おぉあぁあぁあぁあーーーー!」

 創口をなぞるシーナの舌先のムズ痒さと気色悪さに、シュンは絶叫した。


「な、なにすんだよシーナ!」

 堪らず布団から上半身を跳ね起こしてシーナを振りほどこうとするシュンだったが、


「うん? 起いおっあんあ? ヒュン?」

 シュンにまたがり彼の胸に吸い付いたままのシーナが、金色の瞳を上目づかいに平然とシュンに答える。


 と、突然、ガラリ。襖を開ける音と共に、


「な……! 何やってんのよ……二人とも!?」

 怒りでワナワナ震える声。

 

「メイ!」

 シュンが声の方を向けば、和式の大広間の襖を開け放して立っていたのは秋尽メイ。

 黒髪ショートをプルプルさせながら、恐ろしい目でシュンとシーナを睨んでいた。


「ほほお……これが、ヒトの交接まぐわい!?」

 メイの足元では喋るタヌキが興味津々。


「ちょ……!? メイ、いや、これはその……」

 パニックに陥ったシュンが、慌ててメイに弁解しようとするも、


「人がトイレ行ってる隙に、なんてことしてんのよ……この変態! 痴女! 強姦魔!」

 シュンとシーナの元にツカツカと歩いてきたメイが、怒りに燃える眼でシーナに詰め寄るも、


「なんや。別にやましい事なんかしてへんやん。シュンの身体に起こったこと、ウチなりに確かめたかっただけや。大事なことやで。シュンの命に関わる事やしな。それに……」

 シーナは横目でチラッとメイを一瞥すると、


「ウチとシュン二人きりにしてウンコ行ったんはメイくんやんか。ウチは美少女やからそないなモンせぇへんしなぁ……」

 シュンにまたがりながら不敵に笑って、メイにそう答えたのだ。


「ななななな……呼び捨て!」

 メイの貌が見る見る真っ赤になっていき、


「シュンくんもシュンくんよ! いつまでその痴女とくっついてるのよ!」

 シュンを指差し、恐ろしい形相で叫んだ。


「ちょまままま……! メイ!」

「うおわ」

 慌ててシーナを引きはがして、布団から跳ね起きたシュン。


「それにしても、ここは一体……?」

 目覚めていきなりの異常事態とおかしな修羅場で、周りを気にする余裕のなかったシュンだが、今やっと辺りを見回す。

 シュンが寝かされていたのは、百畳敷はありそうな和式の大広間だったのだ。


「あれから苦労したで。シュン」

 シーナも畳から立ち上がってシュンにそう言う。


「アレから……」

 シュンは公園での戦いを思い出す。


「おまわりさんの一人は真っ二つ、一人はタヌキに襲われ気絶。シュンは盗んだ銃撃ちまくりやし、警察呼んだらこっちが捕まってまうわ」

 シーナは勝手にウンウン肯くと。


「だからな、ウチとメイくんで替わりばんこ、シュンをおぶってここまで運んで来たんや。人目につかんよう苦労したで!」

 シュンにそう答えた。


「俺を背負って……!? メイとシーナで?」

 驚いてメイの方を向くシュン。


「そうだよ……結構重かったんだから……」

 メイが頬を赤らめて肯いた。


「でも、ここ・・まで運んできたって、ここって……」

 シュンが広間を見渡して首を傾げる。


「朝方言うたやんシュン。昨日引っ越してきたって」

「じゃあここは……シーナの?」

 シュンがシーナにそう尋ねると、


「そう、ウチんや!」

 シーナがあっさりそう答えた。


  #


 シュンは自分の身体を検めた。

 狼に刻まれた胸の創はすっかり塞がっていて、溶接されたような痕だけが残っていた。

 痛みも無い。疲労感は残っているが意識はハッキリしていた。


「シーナ、いいかげんに教えてくれ。俺たちを襲った奴らは一体何者なんだよ。それにお前の使った『力』や、あの剣は……一体なんなんだよ!」

 シュンが堪りかねてシーナにそう訊くと、


「せやな、敵も討ちそこねた。なんや相当面倒なことになりそうな予感がするわ。今後の為、君たちにも、出来る限り知ってることを伝えとった方がええかも知れん……」

 シーナは腕組み自分に言い聞かせるようにそう呟くと……


「わかった。二人にも教えとくわ。ウチの名前は比良坂ひらさかシーナ!」

「「それは知ってるから」」

 シュンとメイがツッコムもシーナは気にせず。


比良坂ひらさかの家ゆうのは代々、あやかしを捕え、封じる術に長じた特別の一族でな、『夜見の衆』の中でも、『東は武蔵に秋尽あり、西は甲賀に比良坂あり』言われるくらいの由緒ある家柄なんや!」

 そう言って胸を張るシーナ。


「え、『秋尽』って……?」

 自分の名字が上がったことに困惑するメイ。


「それに、『夜見の衆』ってなんだよ?」

 またもや出てきたおかしな名前に首を傾げるシュン。


「普通の人間には見えないモノ。この世に裏に潜みヒトに仇なすあやかしを封じる者。中世の昔よりこの日本に根付いた、言ってみれば『妖怪ハンター』の職業別組合ギルドみたいなもんや!」

 シーナは得意げにそう答えた。


「その、『夜見の衆』の西の統領からウチに指令が下りたんや……」

 シーナの貌が真剣になった。


「『接界』の機に乗じてヒトの世に仇なす大妖あり。東に下って『秋尽メイ』を警護せよ。比良坂に代々伝わる神剣『刹那の灰刃かいじん』で大妖を滅せよ、ゆうな……」

 メイの方を向いて、意味深な様子でそう言うシーナに、


「ちょっと……待って? どうして私なのよ。それに『接界』って、一体何……?」

 納得いかない様子でメイが聞き返す。


「『接界』ゆうのは15年に一度、『コチラ側』と『アチラ側』が、限りなく近づき、重なり合う時期の事や」

 そう答えたシーナがツカツカと広間の障子の方に歩いてゆくと、


「口で説明するより、見た方が早いやろ。『こういうこと』や!」

 ガラリと障子を開け放して、シュンとメイにそう言った。


「「これは……!」」

 障子の向こうに広がった異様な光景に、シュンとメイは息を飲んだ。


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