魔剣覚醒

「おわあ!」

 狼の振り下ろす鉤爪を、咄嗟に半分に折れた剣で受けようとするシーナだったが、


 ガキンッ!

 

 不完全な姿勢で構えられたシーナの剣は、鉤爪を捌ききれなかった。

 剣はシーナの手元から弾き飛ばされて、鋭い爪先が、シーナの胸元を掠めて、彼女のジャージを肩口から引き裂いた!


「イッ」

 苦悶の声を上げるシーナ。

 間髪入れず狼の連撃。

 タン。その場から飛び退り、狼と間合いを取ろうとする手負いのシーナ。

 致命傷でこそなかったが、切り裂かれたジャージから露わになった彼女の左肩と胸元は、痛ましく血に濡れていた。


「まずい、距離を、身を守るものを!」

 シーナは園内にそびえた欅の巨木の陰に飛び込む。

 遮蔽物に身を隠して、一瞬でも狼の攻撃を凌ごうとする彼女だったが、


 メリメリメリメリ……


 その欅の樹の幹が、シーナの背後でミシミシ唸ると、


「うそやろーーー!」

 根元付近からへし折れるなり、シーナの方に倒れて来る!

 狼の鉤爪の斬撃が、欅の幹に深々と切れ込みを入れ、巨木を斬り倒したのだ。


「ぐ……! うっ! うっ!」

 なんとか狼から逃れようとするシーナだったが、その場から、一歩も動けなかった。

 倒れてきた欅の幹に足を挟まれていたのだ。


「まったく、口だけの小娘が、ちょこまか跳び回りやがって。それにしても、本当に、この姿・・・は、腹が減る・・・・……」

 ギシギシと鉤爪を軋らせながら、狼が動けないシーナに迫る。


「どれ、まずはこいつから頂く・・か……」

 耳まで裂けた口からダラダラと涎を垂らしながら、狼はシーナに鼻先を寄せると、彼女の肩口から流れる赤い血を、ザラザラとした舌でベロリと舐めとった。


「いぃああああああ!」

 苦痛と屈辱と恐怖で、シーナが叫んだ、その時だった。


 ターン!


 狼の右の背中に、何かが命中した。


「グォ!?」

 狼が背後を振り向く。


「やめろ! シーナから離れろ!」

 そう叫んで、狼にむかって拳銃の銃口を向けていたのは……

 シュンだった。

 タヌキの一撃で昏倒した警官のガンホルダーからストラップを引き千切り、撃鉄を起し、シーナを助けるために、狼むかって発砲したのだ。

 シュンの背後には、メイとタヌキがいた。


「だめや彼氏くん! メイくんと逃げな!」

 シーナが慌ててシュンを制するも、


「ばか! お前を置いて、そんなことできるか!」

 両膝をガクガクさせながら、なけなしの勇気を振り絞ってシュンが叫ぶ。


「そうよ! できるわけないじゃない!」

 メイもシュンと口を揃えた。


「あ~あ。駄目だ駄目だ……俺って忘れっぽいよな……」

 狼がノソリと立ち上がって、シュンとメイに向き直った。


目標ターゲットは、あの娘・・・だった。あの娘・・・さえ始末すれば、あとは、何をしてもいいと……! どれだけ女を犯しても、どれだけ女を食ってもいいと! そう約束した!」

 狼が訳の解らないことをブツブツ呟きながら、シュンとメイの方に寄っていく。


「姉さん! しっかり!」

「お姉さま! わたくしたちが、最後までお姉さまをお守りします!」

 欅の下敷きになって身動きのとれないシーナの元には、いつの間にか古びたランプとペットボトルが転がって来ていた。


「ありがとなメララちゃん、ウルルちゃん。でもな、最後にウチのお願いきいてくれるか?」

 痛みと出血で朦朧としながら、シーナが水と炎に語り掛けた。


「「お願い?」」

 不思議そうに口を揃える少女の声に、


「そや。うまく行くかはわからんけどな、君らであの二人を……メイくんとシュン・・・を守ってほしいんや……」

 シーナがすまなそうな顔でシュンとメイの方に目を遣った。


「いまどきの魔物の一匹や二匹、自分の術だけでどうにかなる。そう思って自惚れとった……あの子を守るなんて余裕や。そう思っとった……つくづくアホやで」

 シーナは無念の表情で一人ごちると、


「せやから頼む! せめてあの二人だけでも、無事に逃がしてあげたいんや! ウチの最後の願い。きみらに委託する最後の仕事や!」

 金色の瞳から一筋涙をながして、シーナは炎と水にそう懇願した。


「……わかったっす。姉さん!」

「……わかりましたわ。お姉さま!」

 二つの少女の声が、悲痛な様子でシーナにそう応えた。


  #


 ノソリ、ノソリ。狼がシュンとメイに近づいてくる。


「くるな!」

 シュンがそう叫んで再び狼に向かって引き金を引こうとするが、


 ズザッ


 次の瞬間、狼が二本の脚で地面を蹴って、跳躍した。


「鬱陶しい! まずはこいつから!」

 一跳びでシュンの眼の前に着地した狼が、右手の鉤爪を振り下ろしてシュンを引き裂こうとする。


「うおわああ!」

 シュンの脳裏を死がよぎる。両断された警官の姿が掠める。


 だが!


「やらせねえよ!」

「やらせませんわ!」

 二人の少女の声と同時に、一瞬にしてシュンの眼前に真っ赤な炎が燃え上がり、煌めく水柱が湧きたった。


 水と炎が混ざり合い、ボン!

 夜を震わす爆音。空中で生じた水蒸気爆発が、狼の爪先をシュンの頭上からそらすも……


「ぐあああああああ!」

 シュンの悲鳴。小規模な爆発は、狼の爪を完全に防ぐまでには至らなかった。

 爪先はシュンの制服を引き裂き、彼の胸に深々とした創を刻み、彼の身体を五メートル近くも叩き飛ばして桜の幹に叩きつけた!


「シュンくん!」

 メイの悲鳴。駆け出すメイ。シュンの叩きつけられた桜まで疾走してメイは彼の肩を抱く。


「ぐ……ぐ……ぐ……」

 桜の下でシュンは呻いた、気が遠くなるほどの痛み。胸からとめどなく流れる血。

 泣きながら何かを叫ぶメイの声も、どこか遠くから聞こえてくるようだ。


 ……死ぬのかな、俺。

 ま、仕方ないか、たまたま相手がバケモノだったってだけで、交通事故でも、戦争でも、人間、死ぬときは死ぬ。

 この痛みが消えるなら、それも、悪くないかも……


 いや。


 だめだ。


 俺はどうでもいい。でもメイを、彼女を守らなければ……!


「メイ……下がってろ! 逃げろ!」 

「シュンくん!」

 シュンは、遠ざかる意識を必死でたぐりよせる。

 シュンに縋るメイに声にならない声でそう呼びかける。

 

 どうする?

 シーナは動けない。

 拳銃は狼の一撃でどこかに飛んで行ってしまった。そもそも銃弾ではあの狼は倒せない。


 何か、武器になるものは?

 シュンは地面を見回す、石ころでもなんでも、メイを逃がす時間さえ稼げれば……。

 そうして気が付く。足元に、折れた剣が転がっていた。


 シーナが背負っていた剣。

 狼の一撃でへし折られた剣。

 それでも……シュンは思う。あいつの攻撃を、一度は・・・防げた。

 それだけが、ただ一回残されたチャンスのようにシュンには思えた。

 

 ガッ!


 シュンが剣の柄を取った。


「あつつつ」

 痛みを堪えて、シュンはどうにか桜の下から立ち上がる。


「シュンくん! 駄目だって!」

 メイは涙目になっていた。


 再び二人の方に迫って来る狼と向き合って、シュンはフラつきながら、折れた剣を構えたのだ。


「ん…………?」

 出血で朦朧とした意識の中シュンは気づいた。


 シュウウウウ…………


 シュンの両手から伝った彼の血を、剣の柄が、吸い取っていく。


「おいおい……『魔器』とか、『妖刀』って話だけは、本当なのかな……」

 シュンは投げやりな気分でボンヤリそう考える。


「結構粘るな、小僧!」

 狼が耳まで裂けた口から、ポタポタ涎を垂らしながら近づいてくる。


「でもな、いいかげん腹が減って堪んねえんだ。もう遊びは無しだ。さっさと始末されな!」

 狼が再び鉤爪を構える。

 シュンは朦朧とした意識を、どうにか集中させる。

 シュンの周囲で、火の粉が舞うのがわかった。シュンの鼻を、涼しい水の匂いがくすぐった。


 あいつらだ……シュンは感じる。

 シーナの使役する『火の精』と『水の精』。

 さっきシュンを守ってくれたあいつらが、今一度だけシュンを助けてくれたなら、この剣を、狼の脇腹に突っ込む事もできるかもしれない。

 メイを逃がす時間を、稼げるかもしれない。

 あるのかどうかも解らないチャンスに、シュンは賭けた。


「死ね!」

 狼が、狼が目にも止まらぬ速さで、シュンに鉤爪を振り下ろしてきた。


 その時だ。


「え……!?」

 シュンの構えた剣が、シュンの身体が、勝手に・・・動いて……


 ガッ!


 狼の爪をガッチリと受け止めていた。


「マジかよ!」

「信じられませんわ!」

 シュンの耳元で二人の少女が驚愕の声を上げるのがわかった。


 そして……


 バキン! バキン! バキン!


 何かの砕ける音。


「グワルゥーーーーーーー!」

 狼の絶叫が公園を震わせた。


「あ……!」

 シュンは目の前で起きていることが一瞬理解できなかった。

 地面のポトポトと落ちて行くのは、狼の手から生えた黒い鉤爪。

 折れた剣が、狼の爪を受け止め、切り落としていたのだ!


「うそだ! うそだ!」

 咄嗟にシュンから跳び退る狼。

 そして、更に奇妙な事が起きた。


 バリン。


 シュンの握った剣の刀身が、今度こそ本当に砕けて四散した。そして、


 ビュビュビュビュビュビュビュビュビュ……


 シュンの握った残された柄から、緑色の炎のようなモノが迸ると、光り輝いた水晶のような質感の半透明の新たな刀身を形成して行く。


 ザワザワザワザワ……


 柄からシュンの手を伝うものがあった、ボンヤリとした緑色の燐光を放った、棘持つ薔薇のかずらだった。


「な……なんだよこれ!」

 剣に起こった異変に愕然とするシュン。


 輝く薔薇のかずらはシュンの両腕を覆い、次いで彼の全身を覆っていった。

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