第30話 王手
4 王手
「……なんやて?」
矢を番えていたルピニアの手が止まった。
「おや。お友達はご存知でなかったのですか。お嬢さん、彼女はあなたと同じではないのですよ」
ルピニアとアトリを交互に見やり、エドワードの顔が笑みを深くしていく。
「お友達をごまかすのは苦労したでしょうねえ。なにしろ夜目がほとんど利かない。体重は異常に軽い。一番得意な魔法も迂闊に使えない。そうそう、その服も背負い袋も、背中が窮屈でたまらないでしょう」
「……」
アトリが歯を食いしばり気丈に男を睨む。その顔からは血の気が失せていた。
「いい加減にしろ」
ジャスパーは剣の柄を握り締めた。
身体の中心で熱い塊が膨れ上がっていく。アトリの大切な何かを暴き、追い詰める声が表情が仕草が、何もかもが癇に障る。同時にそれら全てがエドワードをも侮辱している。
男は目を細め、顔の前で人差し指を振った。
「せっかちですねえ。彼女のことをもっと知りたくは」
鋭い音が弾け、空気が震えた。
――ルピニアだ!
ジャスパーは直感し、即座に地を蹴った。
矢が当たって動きが止まったところを剣で突く。あの口を黙らせてやる。
一息に限界まで引き絞られた弦は、凄まじい速度の矢を放っていた。
男が間一髪で横に避ける。
肩をかすめた矢が金属製の扉を直撃し、折れ飛んだ。
男は感嘆の吐息を漏らしつつ、腰の辺りから武器を引き出した。幻覚魔法で隠していたのか、現れた得物は長剣だった。
正面から突きかかってきたジャスパーの刃を寸前でかわし、男が長剣を振り下ろす。
ジャスパーは突進の勢いをそのままに床へ身を投げ、身体を思いきり丸めて前転した。
ブーツの踵すれすれを刃がかすめた。
二回転して勢いを殺し、立ち上がる。
振り向いた先の男は追撃する様子もなく、余裕の笑みを浮かべながらジャスパーにうなずいてみせた。
「いい判断ですよ。お嬢さんの弓も見事でした。訓練のときとは大違いではないですか。困った子供たちだ」
「だまれ!」
ジャスパーは再び突きかかった。
力任せの剣は当たらない。手数を多く。丁寧に小刻みに。
「おおっと――」
男は繰り出されるショートソードの連撃を長剣で弾き、体さばきで避けた。反撃はない。男はジャスパーの動きを見極めるように防御に徹している。
両者にはたしかに実力差が存在した。
しかしジャスパーは確信していた。
敵は人狼よりは強いが、エドワードほどではない。彼の体さばきはもっと滑らかだ。ルピニアの矢も余裕を持って避けたとは思えない。攻撃を続けていれば一撃くらい当たる気がする。
ジャスパーには知る由もなかったが、それは男の習得した多様な技術の代償だった。
エドワードを超える忍び足ほか、気配を隠す技法。睡魔の術や幻身の術といった魔術。普通の冒険者ならば一つに特化して修練する様々な技術を、男は満遍なく身に着けていた。
一人で様々な状況に対応できる代わりに、一つの技術に限定すれば特化して訓練を積んだ者には及ばない。魔物をけしかけても倒せなかったエドワードを潰すには、同じく手練れのケインと同士討ちさせて隙を狙うしかなかった。
やおら長剣が跳ね上がり、ジャスパーのショートソードを大きく弾いた。
衝撃に腕を震わせながらも、ジャスパーは剣を放さなかった。獣人の握力はその程度では揺るがない。
エドワードの顔が苦笑を浮かべた。
「たった一日で上達している。なかなか面倒な少年だ」
「訓練場でずっとオレたちを見てたのはお前か」
ジャスパーは横目で仲間の様子をうかがった。
ルピニアは次の矢を番えている。アトリは火の玉を解き放つ瞬間を待っている。エルムは二人の前で油断なく身構えている。
矢も魔法も飛んでこないのは、接近戦を続けている自分に万が一にも当てないためだ。
ジャスパーは横へ跳んだ。
距離さえ取れば魔法がくる。ひとたび狙いが定まれば、あの火の玉を避けることはできない。
男は即座に詰め寄り、接近戦の距離を保った。
ジャスパーは男の意図を悟った。
敵は慎重だ。攻撃を空振りさせて自分を疲れさせ、動きが鈍ってから確実にとどめを刺すつもりだ。自分を無視して後衛へ突っ込まないのは、背後から襲われたくないからに違いない。
――それなら!
ジャスパーはすぐさま攻撃を再開した。
そう簡単に自分の息は上がらない。敵が戦法を変えないうちに攻め続け、一撃でも当てれば距離を取るだけの隙が生まれる。反撃される前に当ててやる。
勢いを増した攻撃の意味に気づいたのか、男が舌打ちする。
「――〈束縛せよ。解き放つ鐘の響くまで〉」
ジャスパーの攻撃が空を切った一瞬に、男は古代語を発した。
男の左手から光る縄のようなものが飛び出し、ジャスパーの上半身に絡みつく。踏み出していたジャスパーは突然縛られ、バランスを崩して床に倒れた。
もがくジャスパーをよそに男が躊躇なくきびすを返し、後列に向かって駆ける。
即座に火の玉と矢が飛んだ。
男は床へ身を投げて前転し、矢をかいくぐった。
魔法の火玉が急角度に軌道を変え、男の背を撃つ。
「この――」
ルピニアは弓を手に歯噛みした。
敵はアトリの術よりルピニアの矢を脅威と判断し、最初から矢だけを避けるつもりで強引に接近した。この近距離では弓が役に立たず、魔法も間に合わない。
背中に炎を燃え上がらせながら男が立ち上がる。
エドワードの幻が溶け崩れ、その下の姿が露になっていく。
薄灰色のマントに身を包んだ白髪の男。色白の顔には柔和な笑みが浮かんでいる。その目はひどく細い。本当に見えているのか疑わしいほどだ。
アトリと男の間に割り込んでいたエルムは、杖を構えながら眉をひそめた。
「……あなたは、そこまで行っちゃったんだね」
細目の男は首をかしげた。
「妙なことを言うお嬢さんだ」
剣が無造作に振り下ろされた。
エルムは杖を掲げ、刃を頭上で受け止めた。金属製の杖が軋みを上げる。
「獣人といっても怪力ではないようですね。隅でおとなしくしていてくれませんか」
「だめだよ」
エルムが首を振る。
「分かるもの。たった今、あなたはボクたちみんなを殺さないといけなくなった」
「ほう」
細目の男は口の端を歪めた。
「面白い。どうしてそう思うのでしょうか」
エルムは剣を押し返しながら周囲の気配を探った。
背後ではアトリが再び火弾の術を唱えている。その詠唱が終わるまで自分が持ちこたえられるかは怪しい。ジャスパーは束縛を解こうともがいている。彼の助けも期待できない。魔法の縄を力で引きちぎることは不可能だ。ルピニアは――
エルムは眼前の敵に微笑みかけた。
「……ケインさんをけしかけるだけが目的なら、ボクたちの前で変装を続ける必要はないよね。ボクたちをだまし討ちしたかったとしても、失敗した時点で意味がなくなってる。あなたはそれでも変装を続けた。きっとその姿を見られちゃいけない理由があるんだ」
剣に力がこもった。掲げた杖が徐々に押し下げられていく。力比べはエルムに分が悪かった。
「なかなかの推理です。ではなぜ見られてはいけないのでしょうね――」
男の言葉が切れた瞬間。エルムは右足を引き、身体をひねった。
同時に右手を下へ、左手を上へ回す。杖が半回転し、剣の腹を右へ押す。
突然支えを失い、横へ流された剣はエルムの右側を通過し、勢いよく石床を叩いた。
「ぬっ!?」
細目の男がたたらを踏みつつ、刃を返して剣を切り上げた。しかし即座に飛び下がっていたエルムに刃は届かない。
距離が開いた。
真横から矢が飛来し、細目の男の左腿に突き刺さる。
微笑みは挑発。謎解きは時間稼ぎ。それを察したルピニアが横へ回りこんでいた。
それが限界だった。
細目の男が猛然と駆ける。脚に傷を負っているとは思えない速さだ。
進路に割り込もうとしたエルムは、横なぎの剣を杖で受け止めたものの、勢いに負け押しのけられた。
アトリの呪文詠唱は間に合わなかった。
とっさに立てた杖が剣に弾かれて床に落ちる。
剣がひるがえった。
短い悲鳴を上げ、身をよじったアトリの右肩を刃が裂く。
肩ベルトが弾け飛び、背負い袋が床に落ちた。
倒れたアトリの首筋に剣が突きつけられた。
はっきり喜悦と分かる笑みを浮かべ、細目の男は宣言した。
「王手です」
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