第24話 クララ、徳川家達とクリスマスパーティーをするのこと
今回は徳川宗家16代を継いだ徳川家達まで参加した1876年のクララ邸でのクリスマスパーティーがメインの回となります。
明治9年12月8日 金曜日
今日、母と富田夫人は横浜へ洋服を買いに出かけた。
といっても母は付き添いだ。富田夫人は、これから暮らすことになっている上海で洋服をお召しになるつもりなのだそうだ。そのことでようやくご主人から「好きな洋服を買ってよろしい」との言質を取ったので、夫人はすっかり夢中になっておられる。
佐々木が三時に来られて、一時間かそれ以上授業をした。その後、忠臣蔵の面白い話を少ししてから、帰って行かれた。
「お母様、お帰りなさい」
予想より早めに戻ってきた母は、やたらと興奮していた。機嫌がもの凄く悪い。
「本当になんということでしょう!」
母は矢継ぎ早に今日あった出来事を話し出した。
曰く。富田夫人は、洋服用に必要なものはなんでも、どんなに高くてもどんどん買っていく。曰く、私は家庭教師か何かで、服選びに付き合って貰ったのはたまたま趣味がよかっただけだ。そんなひどい態度をとったのだという。
「夫人が困っていらっしゃっているときに食費も頂かず親切にして差し上げたのをどう考えていらっしゃるのかしら? 私たちだって困窮していながら、ご主人の富田氏のために、うちに置いて差し上げたというのに、どうしてそんな失礼な振る舞いをなさるのかしら?」
結局、夫人は母には1ヤード6セントのキャラコのドレスを下さっただけである。富田氏がアメリカから持ってきた唯一のお土産がこれなのだ。
しかも今日の出来事に至っては、夫人の方から母に「一緒に買い物に行って下さる?」と頼んでおいたのにだ。自分だけは100ドルもする絹のドレス、ベルベットのマント、アトラスカン製品や、気に入った優雅なものは何でもお買いになる――なんて吝嗇なこと!
こんなことを云うのは軽率かもしれない――しかし「行為は言葉よりも雄弁」だ。
富田氏が帰っていらっしゃったらすべてはどう変わるかということについて私たちは考え方が甘かったようだ。
だが、見よ! 彼はギデオンのごとき勇者ではなく敵のようになったのだ!
明治9年12月 9日 土曜日
今日はランキン氏と芝のお寺に行く予定だったのだけれど、マッカーティ先生との約束があって、ランキン氏が出かけられなくなったので、私たちだけで行くことになった。
明治9年12月11日 月曜日
今朝目が覚めると、ド・ボワンヴィル夫人からウィリイと私に、今日の夕食の招待状が来ていた。
シンプソン夫妻とショー家の人々と一緒にクリスマス聖歌の練習をして欲しいと書いてあった。
だけど今日の夕方は、イービー夫妻とコクラン夫妻とミス・ファニー・ギューリックを招待しているので、大変残念だったけれど、お断りしなくてはならなかった。
祈祷会は大勢が出席して、興味深いものだったけれど、それが済むと上記のお客様はそのままお残りになった。夕食は順調に運び、みんな楽しかった。
「今晩は。お邪魔しても宜しいですか?」
食事中に来訪したのは矢田部氏だった。他の方が帰られた後、ギューリックさんとウィリイと矢田部氏と私で、オーサーズというハラハラするゲームをした。
今日の矢田部氏の態度はよかったのだけれど、なんと十一時五分前までいらっしゃった!
「わたくし、このたび上野博物館の館長に就任することになりまして。案内して差し上げますから時間があるときに、勤務先の開成学校を見学しに来て下さい」
帰り際に矢田部氏はそう誘って下さった。
明治9年12月16日 土曜日
さて今日は、かなり楽しい一日だった。丁度よい時間に起き、お菓子を焼くのを早めにに済ませた。
祈祷会で、小泉氏が「ヒポクリット(偽善者)」を「ピポクリット」と発音したので、母が訂正したが、小泉氏はその甘ったるい発音を変えようとしなかった。
こんなことを「我が日記」のような重大な<?>ノートに書くのはあまりにもくだらないことかも知れない。しかし、その時はおかしくてたまらなかったのだ!
十二時に、富田夫人が見えて、私が招待されていた高木氏のお宅について行って下さった。
途中、大丸に寄って絹地を見た。この店はいわば東京のスチュワーツ店である。
いろいろな階層の人々が大勢、買い物をしていた。
店員とボーイたちは絶えずお喋りをして、大声で互いに怒鳴ったり叫んだりしていた。
この建物で呼び合う声は陰気な静かな噎び泣きのような音で、一ダースぐらいの声が響き合って、様々な雑音が間に混じると、とても面白い効果が出た。
お客が来ると、店員は絶望的な叫びや、悪魔に取り憑かれたような喚きを途中で止めて、品物の値段を云ったり、お客のどんな質問にも丁寧に答えるのだった。
一隅で紳士と淑女が絹地を買っていたが、夫人が絹を選んでいる間、紳士は煙草を吸っていた。
その隣の商人は、値段を下げろと言い争いをしていた。その人はしばらく議論してから、怒って算盤を投げ出し、靴を履いて「さよなら」も云わず、慇懃な店員に応えもせず出て行ったが、店員は出入口まで送り、怒った客が去ると、肩を竦めて穏やかに微笑んだ。
さて、そんなところで私の横の母と娘の姿を見てみよう。
買っている着物の質や種類から察すると、娘はもうじき花嫁になるらしい。だけど、逆説的にまだ彼女は“自由の身”なわけで。
「この反物の色とお嬢様の薔薇色の頬。実にお似合いでいらっしゃる。こんな美しいお嬢様と結婚できる男性はなんと果報者なのでしょうね。ああ、もっと貴女ともっと早くお会いすることが出来ていれば」
「そ、そんなことないですよー」
そう否定しつつも、美男の若い店員に褒め称えられた娘さんは、とろんと惚けたような眼をしていた。
ああ、なんということだろう! そんなことはしてはいけない。お嬢さん、あなたを熱愛するカンペイが見たらどうするの?
実際に老婦人は浮かれた娘を窘めるような目つきをしていたのだけれど、こんな状態の若い娘に、そんな視線だけの注意な無意味なことだ。
とりあえず、大丸の話はこのくらいにしよう。もう四時で、待たせてはいけないから、高木氏のところへ急がなくてはならなかった。
私たちは「高木さん」を探して、浅草中人力車を走らせた。
「高木さん家か? ああ、知っているよ。これから行くのかい?」
高木家を何処にあるかを聞かれた人は皆知っていて教えて下さる。けれど、実際にそこに行ってみると、戻らなければならなかったのだ。
何度も何度も高木氏の家の前を通り過ぎてから、高木氏自身が出迎えて出ていらっしゃったので、やっと分かった。
中に入り、二階へ上がって、結婚のお祝いと家庭用品を全部見させて頂き、持って来た贈り物を出して挨拶を述べた。
高木夫人を紹介して頂いたが、活発で小柄な横浜の少女で、入念に紅白粉を塗っていたが、少しもはにかんだところがなかった。
高木氏は殿様のような態度で、奥様を使い立てていた。日本の花嫁であるということはなんと楽しいことなのだろう! うふふ!
素晴らしい夕食をご馳走になったのだけれど、きのこの吸い物を飲んだらむかむかした。ウィリイも今夜は気分が悪いと云いながら帰った。
もう無理にきのこを食べさせられることがありませんように。
明治9年12月23日 土曜日
今日、つまり土曜日の夕方、坐ってこれを書いていると、杉と松の清々しい匂いが漂ってくる。今日、庭木を刈り込んだのだ。庭師と職人が、一日中、香りのよい杉と柊と松をせっせと手入れしていた。クリスマスツリーを立てたが、飾って明かりを灯したら、素晴らしいツリーになりそうだ。
また、昨日と今日は日本人の友達から贈り物が届いた。
矢田部氏はアディと私に贈り物を送って下さった。アディには綺麗な羽子板、私には金で豪華に飾った漆塗りの箱と可愛い小さな家、箸、桃の木、満月、富士山を金色で描いた美しい腐食銅版画だった。中に小綺麗な小さなカードが入っていて「クリスマスおめでとう、クララさま――R.ヤタベ」と書いてあった。
今朝、杉田夫人が、優雅な贈り物を持って来て下さった。盛から私が頂いたのは小型の化粧道具一揃いで、飾り棚、紙入れ、化粧箪笥、磨いた鋼板の鏡が三つついた鏡立てが入っている。それから、ヒラガナで書いた小さな文庫本と本棚を頂いたが、私はとても気に入った。杉田夫人は本を並べて下さって、私が喜ぶのを見てお笑いになった。母も金色の漆塗りの美しい大きな箱を頂き、ウィリイはパイプと煙草入れ、父はボタン一組、アディは可愛い箱を頂いた。
大鳥氏からは、蜜柑一箱と一つがいの鴨が送られてきた。矢野氏は蜜柑一籠と干し柿一箱、森家の有祐からは蜜柑一箱と羽根一揃い。箕作氏も蜜柑一箱だった! 学校の生徒たちは焼き物の可愛い長方形のミート皿二枚。もっとあったようだが、今思い出せない。
大鳥氏をご招待しに、お逸と一緒に大鳥氏のお宅まで行って、土砂降りの雨の中を帰って来た。
母も間もなく戻り、お逸はクリスマスに結うつもりの髪型のことだけ話して帰って行った。
明治9年12月25日 月曜日
またクリスマスがやって来た!
今朝贈り物の交換をした。アディがまず自分の靴下に入れて貰い、それから私は、母に型染めの小物入れと、鼠の彫刻一対、ウィリイにはチェス盤をあげた。母は私に美しい机を、ウィリイは写真のアルバムをくれた。
あまり沢山貰ったので、全部は覚えていない。ビンガム夫人は美しい切り抜き帳に優しいお祝いの言葉を添えて送って下さった。
午前中はツリーの飾り付けで皆大変忙しかった。だけど十二時までには外国と日本の装飾品や玩具を吊して、とても豪華なツリーができあがった。
「これはきっと東京中で一番立派なツリーですよ」
知っている人はみんなそう云い、エマは「レディ・パークスのところのより立派よ」と云ってくれた。
日本の友達からの贈り物が午前中どんどん来たけれど、綺麗なものばかりだった。
漆器、絹地、青銅製品、それにありとあらゆる種類の珍しい物が、どっさり降ってきた。まるで日本の友達一人一人が、少なくとも一つは美しい品物を私たちに贈ろうと決めたかのようだった。
以前ソーパー夫人に「この国に一年間いたら日本人の贈り物もやむでしょうよ」と云われたことがあるのだけれど、とんでもない! それどころか今年はいまだかつてないほど沢山頂いた。
二時に富田夫人が手伝いに来て下さり、三時までにすっかり準備が整った。
「クララ、来たわよー!」
お逸がとても素敵な贈り物を沢山持って最初に来てくれたけれど、晴着を着て唇を赤く塗り、顔にお化粧をして綺麗だった。
杉田ご一家家も贈り物を持って、おいでになった。
それからやって来られたのが、今宵の花形、つまり徳川家の若殿であられる徳川家達さまが三人の従者を連れて、自家用人力車で静かに入って来られた。
若殿は十四か十五歳だそうだけれど、非常に威厳のある風采の方だ。とても色が黒く、濃い赤みがかった鷲鼻、細い眼、小さい弓形の口をしておられる。
背と胸に、聖なる徳川家の紋がついていた。アメリカでは“タイクーン”と呼ばれている方だ。
「徳川家の若殿がいらっしゃったのよ」
うちの使用人たちにそう告げた後の反応は見物だった。
ウメは両手を振り上げ、テイは脇腹を押さえて息を飲み、倒れないように戸に寄りかかったのだ。その様は実に滑稽な眺めだった。
それから二人は、戸の隙間から若き将軍を覗こうと駆け寄った。
「徳川家の人を家にお招きするのはたいしたことなのですよ!」
ウメは昂奮醒めやらぬ声で云う。
「将軍さまのお通りの時は、皆家に閉じこもって、戸に目張りをし、将軍さまはは炭の燻った匂いがお嫌いだから、三刻は家の中で火を炊いてはいけなかったのです。偶々行列の時間に道路に居合わせたら、誰でも徳川家の駕籠の前にひれ伏さなければならなかったのですよ」
そう云うと、ウメは実際にやってみせた。おお、なんという見事な平伏! ウメ自身は、その行列を何度も見たことがあるそうだ。
だけど、私にはそんな昔の事なんて関係ない。私は将軍と握手をし、脇に坐って絵をお見せしたが、畏怖の念など一つも起きなかった。事実、この若殿を護ってあげているような気さえした!
次に大名松平家のおやおさんが四人の従者と来たが、若殿がここにおられるのを見て、ちょっと吃驚していた。
「まあ、家達さまがいらっしゃるなんて!」
おやおさんは素晴らしく立派に着飾り、淡黄褐色の綺麗な着物の裾には厚い詰め綿がしてあった。帯は最高の物で、深紅色に金の模様がついていた。簪を沢山挿していて美しく、本当に妖精のようだった。正装するとこの上もなく優雅である。
お逸は美しい着物を着ていても、どうしても野暮ったくて、けばけばしいところがある。けれど、おやおさんは完全な貴婦人に見える。動作も貴婦人そのもので、立ち居振る舞いに品位がある。私はこの生徒にますます惹きつけられていく……と心の中で考えていたら、おやおさんに影のように寄り添っていたおすみが一言。
「……クララさん、どうにもおやお様に向ける視線が熱っぽすぎる気がするのですが?」
滝村氏と小さい男の子たちを連れておよねが来た。滝村氏は若殿のお守り役である。おやおさんのお守り役である箕作氏も来られた。
大鳥氏と三人のお子さん達。エマとウィリイ・ヴァーベックも。それから矢田部氏も現れた。小野氏は役人の正装で立ち寄ったが、横浜から来たところだった。
夕食の前に聖歌を歌い、それからツリーと夕食の支度をしてある部屋に行くことになった。行くことになったのだけれど……。
「どうぞ、お先に」
「いえいえ、あなたの方こそお先に」
こんな具合に誰も最初に部屋から出ようとしないのだ。
少女たちが特に頑固だった。戸のところでちょっと揉める羽目になったのだけど、その先頭にいたのはおやおさんとお逸だった。
「貧乏旗本の三女風情が、家斉公の孫娘に当たる方より先に参るわけにはいきません」
「とんでもありませんわ。安房守様の働きがあってこそ、我ら徳川一門に連なるものがこうして安穏として暮らせるのですもの。お逸さんこそ、お先にどうぞ」
……うーん、おやおさんは天然だから分かりにくいけれど、どうやら二人は単に譲り合いをしているのではなく、巫山戯あっているらしい。日本人のこういうところの機微は未だによく分からない。
結局おやおさんが根負けして先に出て、皆後に続いたのだけれど、およしさんとおよねとおやおさんの侍女と私だけが残った。
およしさんと私は一緒だったけれど、どちらが先に行くかでここでもちょっと時間がかかった。しかし、私は自尊心の高いアメリカの少女である。そんなゆき過ぎた丁寧さなど好きではないから、平気でさっさと先に立った。
それで、後は侍女とおよねだけだったが、二人はぺこぺこお辞儀をしながら、手真似で先に譲り合った。私たちは二人がそうやっている時に行ってしまったから、結果がどうなったか知らないけれど、とにかく二人は後ほど食堂に現れた。
「おお、ナルホド!」
紳士達の感嘆の声は、火が灯されたツリーの美しさにだった。実は丈の高い松の木がそんなによく見えるとは思っていなかったので、これは我ながら意外な成功。
全員部屋の周りに散らばり、ツリーを見ながらご馳走を食べた。皆とても気持ちよく笑い、気持ちよく喋っているようだった。
クラッカーボンボンが一番楽しかった。箕作氏のコザーク、つまり引き玉には、四インチくらいの髪飾りが入っていた。
「……はて、これは一体なんなのでしょうね?」
箕作氏と大鳥氏はその正体について真剣に考え込んでいた。幕府の頭脳であった二人が、コザークの正体について悩んでいる姿はとても愉快だった。
「ああ、これはですね」
ウィリイが教えてあげると、箕作氏は「なるほど」と頷くと突然!
灰白色の髪と顎髭を生やした六フィートの身体のてっぺんに、そのピンクの紙の風変わりな帽子をのっけて、紐を鼻の下で結ぼうとするではないか! 長い飾りリボンが背中に垂れて、本当に滑稽で、みんなを笑わせた。
滝村氏のには、愛の文句を書いた紙が入っていて、滝村氏がすっかり吃驚して眺めているのが肩越しに見えた。私はそれを読んで読み返したけれど、それは大変甘ったるい英語の短詩だった。
振り返った滝村氏は私ににたっと笑って見せ、そんな様子がまたおかしかった。滝村氏がその詩を小野氏に訳してあげると、小野氏はすっかりたまげていた!
それから贈り物がめいめいに配られたけれど、小さい男の子たちの袖が混乱のもとになった。というのは、彼らはなんでも袖の中に入れてしまってから、まだ何も貰っていないかのように、ひどく哀願するような目つきで母親を見上げるのだった。
やがて年長者は客間に去り、子供たちは色々なゲームをして遊んだが、徳川家の若殿もそれに元気よく加わって、必要なことはなんでも愛想よくなさり、罰則にもいやがらずに従っておられた。
罰を受ける者は全員の前で椅子の上に上がり、下りるように命ぜられるまで、そこに立っていなければならないのだけれど、若殿はまるで玉座に上がるみたいに椅子の上にのぼり、平然と眺め回していた!
娯楽の種が尽きると、私たちはアディの新しい羽子板で、羽根つき遊びをした。羽子板はとても美しいのが混じっていた。
九時かそこらに日本人たちは帰り、外国人たちと矢田部氏が羽根つきを続けていた。
「矢田部さんの下の名前って、なんだっけ?」
「確か、良吉さん、でしたっけ?」
「でも、リョーキチって呼びづらいわよね」
「矢田部さん、アメリカ好きみたいだから、もういっそジョージでいいわよ、ジョージで」
というわけで、私たちは矢田部氏を略してジョージと呼ぶことにした。由来はよく分からないけど。その後「総領事閣下」富田氏が入っていらっしゃったので、私は自分で刺繍した室内履きをさしあげた。
お客が帰った後で、私たちは坐って話をしたが、みんなとても眠くて、長くは続かなかった。
緊張が去ってほっとしながら、そして今日の成功を神様に感謝しながら、ベットに転がり込んだ。
神様に「このクリスマスパーティーにお恵みを垂れたまえ」とお願いしておいた甲斐があったというもの。その願いを叶えて下さったことに私は心から感謝した。
明治9年12月29日 金曜日
今日は公使館へ行って、ビンガム夫人にお会いした。
「三冊アルバムを買いにいったのですけれどね、二冊は娘に、後の一冊はクララさんのためにね」
夫人は、私に送って下さったアルバムについて、こう仰った。
「また近いうちにピアノをお弾きにいらっしゃい」
私にはとても、とても優しくして下さるので、本当に有り難いと思う。
そうそう、水曜日に郵便が来て、手紙を六通と、新聞を沢山受け取った。リピーおばさんから、私に美しい茶色のカシミアのドレスと、みんなにキャンディーの一杯入った缶が届いた。私たちのことを覚えていて下さって、なんと親切なのだろう。
丁度その服を公使館に着ていったのだけれど、ビンガム夫人がその新しいドレスを褒めて下さった。
明治9年12月30日 土曜日
今日、お正月のために幾種類かのケーキを作って、かなり忙しかったが、パウンドケーキはとてもよくできあがった。母はパイとクッキーを作った。
仕事が済んでから、ホーンビー・エヴァンズ夫人がいらっしゃって、貧しい日本の子供たちのために開く、シンプソン夫人のクリスマスツリーのパーティーに、アディと私を誘って下さった。私は忙しくて行けなかったが、アディとウメと行った。
【クララの明治日記 超訳版解説第24回】
「さて、今回は来日二回目のクララ一家のクリスマスの模様メインだったわけど」
「昨年のと読み比べると……お逸、あなた、全然印象が違うようですけれど?」
「そりゃあ、去年は父様も姉様もいたもの。今年は二人ともいなかったし、よい好敵手もいたしね」
「好敵手……って、ひょっとしておやおさんの事ですの?」
「勿論! クララったら、事あるごとに私とおやおさんを対比させるんだもの。そりゃあ、確かに私は貧乏旗本の三男坊……もとい三女だから気品で負けるのは仕方ないけれど、それなら、おやおさんには負けないキャラ立てをしないと!」
「キャラ立てって何ですの、キャラ立てって!?」
「え? 私、変なこと云った? ユウメイがツンデレ属性を付与させているのと一緒だけど?」
「だーかーらー! わたくしに勝手な変な属性を付与させないで下さいませ!」
「……と云ういつも通りの前振りを経て、今週の解説だけれど」
「わたくしのツッコミは前振りですの!?」
「大河ドラマ篤姫でも最終回になって登場した、篤姫が晩年手塩に掛けて育てていた徳川家後継者、徳川家達さまが初登場ね」
「随分と親しみがある将軍さまよね」
「もう将軍さまじゃないけれどね。この家達さまについては、後にクララがお宅訪問する回があるので、その際に詳しく」
「今回の訪問は……勝提督の配慮ですの?」
「うーん、どうなんだろう? ただクララの日記の記述だけだと分かりにくいけど、我が勝家でクララと何度も会っている“おこまつ”は、同じくクララの日記で“将軍の守り役”として描かれている滝村鶴雄氏の娘さんね。だから間接証拠だけど、多分“そういうこと”なんでしょうね」
「昨年参加した勝提督が今年のクリスマス会にいないのも同じ理由なのでしょうね。なるほど、やはり随分と気を遣ってみえますのね、勝提督は」
「逆に云うと、大鳥氏なんかはパーティーに誰が来てもいつも参加しているわけで、全然考えなしのが透けて見えるけどねー」
「後は特筆すべき事もございませんので、クリスマスについての解説はこの辺で。それよりも、今週問題にすべきなのは……」
「冒頭の富田夫人とアンナ先生との買い物の様子よね。この一件は……クララの親友でもあり、先生の教え子である私でもちょっと擁護できないかな。
クララの日記には書いてないし、多分ホイットニー家側は最後まで気付いていなかったみたいだけど、富田夫人、うちの父様がホイットニー家の人が日常生活に困らないように、ということで派遣して面倒を見てあげてたのよね」
「この点については、わたくしの義父が宣教師ですので理解できますけわ。
これはクララは勿論、アンナさんも伝道師として教育者として正式に教育を受けていないのが原因でしょうね。一般的なアングロサクソン人的考え方では、返礼はすぐに行うもの、というのが当たり前。ですけれど、宣教師や教育者はその範疇から外れねばならないのに、あくまで自我流で宣教活動を始めたアンナさんはその辺の作法を知らないのでしょう。
実際に、たまにクララが日記で零していますけれど、アンナさん、当時東京で宣教活動していた団体の一部と揉め事起こしていますし」
「ふーん、宣教師の活動ってのも大変なんだー」
「まあ、今のはあくまでわたくし個人の見解ですけれどもね」
「さて、こんなところで1876年分は今回でおしまい。次回からは1877年、つまり明治10年分となります」
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