第22話 クララ、勝海舟邸を訪問するのこと

 さて本日分ですが、見所はクララの勝海舟邸訪問記ということで。百合っぽい展開もあるでよ♪w 真面目な話で云うと、勝海舟邸の当時の様子と生活の内実が分かる貴重な資料でもあったりします。


明治9年10月26日 木曜日

 昼食後、人力車に乗って、富田家に行った。富田夫人は三田四丁目二十六番地の小さな日本の家に住んでおられる。ご在宅で、とてもやさしく迎えて下さった。

「ごめんくださいませ」

 突然の来客。私とアディは顔を見合わせると、慌てて奥の部屋に駆け込んだ。

 どうやらお客様は男性と年若い女性らしい。襖越しに聞こえてくる富田夫人との会話(当然日本語だ)の断片から、男性の方は以前お宅を訪問したことがある松本氏だと分かった。

「……でも、どんなお顔をされていたかしら?」

 私は好奇心に負け、襖の間からこっそりと覗き見ることにした……のだけれど。

「!」

 松本氏は丁度、開けた襖の真正面に坐っていらしたので、まともに目が合ってしまった!

 慌てて逃げ出したのだけれど、やがて富田夫人が私を連れに来て、膝をついて懇願したにもかかわらず客間に引きずり込まれてしまった。

「ええ、どなたか外国の方がいらっしゃることは気付いていましたよ。ですから、絶えず戸の方ばかりを見続けて、あの外国人は誰かなと思っていたのですよ」

 笑って仰る松本氏は、以前アメリカに留学された経験があるだけあって、非常に人当たりがいい上に大変陽気な方だ。矢田部氏のお友達だというのも頷ける。

「ご紹介しましょう。こちらのお嬢さんは私が後見人になっている目加田家のお嬢様です」

 目加田という変わった苗字のお嬢様を紹介されたのだけれど、私は真正面から顔を合わせるのが恥ずかしくて、松本氏が魅惑されているらしい彼女の美しさを鑑賞し損なってしまった。

「今度上野の奥へ、今盛りの菊を見に連れて行ってあげましょう」

 そう約束して下さった松本氏は「またうちにも必ず来て下さい」と云い、隣のお嬢様に視線をやってこう付け加えることも忘れなかった。

「目加田さんに洋服を着せて、お宅へきっと連れて行きますから」


明治9年10月29日 日曜日

 素晴らしい天気! 実に日曜らしい日曜日だ。教会に行って、デイヴィッドソン氏の説教を聞いた。昼食後、母が聖書勉強会を始めようとしていたら、シンプソン夫人がみえたので、私が代わりに教えるように頼まれた。

 出席者は佐々木氏と新田氏だけで、使徒行伝の十八章についてとても面白い授業をした。私の二、三倍も年上で、外国と清国の古典に精通し、以前は女性をひどく軽蔑していたこの二人の紳士に私が教えたなんて、きっと神様のお助けがあったからできたのだ。

 私は威厳ある態度で「神様お助け下さい」と熱心に祈っていた。二時間ぶっ続けで喋ったのだけれど、実は「我にあらず、キリスト我にありて」(ガラテア書二・二〇)語っただけのことだ。

 富田氏は五時においでになった。とても親切で、私たちに関心を持っていて下さる。神様が、私たちのギデオン、つまり士師記に記されたイスラエルの勇士として富田氏をお遣わしになったのだろう。 


明治9年11月1日 水曜日

 雨! 一日中土砂降りの雨。

 ビンガム夫人もおみえにならないし、イギリス公使夫人であるレディ・パークス訪問も取り止めだ。

 この雨の中を、何物にも負けない令嬢たち――おやおさんとおすみ――は、いつものように明るく快活にやって来た! 

 多分雨の中を出歩くのが面白いのだろうう。私だって好きだから。

 雨がひどいので、令嬢たちはいつもより少し長くいた。

 知っているだけの祝歌と賛美歌を歌ったが、おやおさんはこの国の少女には珍しく、本当によい声を持っていることを発見した。甲高くもなく、声を振り絞るのでもなく、完全に正しい調子で歌う。その進歩がとても嬉しい。

「おやお様、素敵ですわ、おやお様」

 必要以上に熱っぽい視線で見つめるおすみに至っては、殆ど崇拝の領域に達しているようだ。

 母とアディと一緒に寝室で、ぱちぱち燃える暖炉の火の前に気持ちよく蹲っていたら、箕作秋坪氏の来訪が告げられた。箕作氏は果物と、加賀の花瓶一対を持ってきて下さったが、それは長年ご自分の家にあったものだという。とても素敵な花瓶だった。


明治9年11月3日 金曜日 ミカドの誕生日

 今日はミカド陛下の誕生日で、勿論授業は全部お休みだ。ミカドは二十九歳になられた……と思う、確信はないけど。

 生徒たちは家で今日を祝っている。私は前に約束したとおり、お逸を訪ねることにした。

 いつものように早く起き、顔を洗って着替えをし、八時半までには行く準備ができあがった。

 まず銀座に行って、この親切な友達のために贈り物を買うことにしよう。

 街はなんと華やいでいたことだろう! いろいろの種類の旗が、どの窓にも入口にも華やかに翻っていた。大きい旗、小さい旗、中くらいの大きさの旗、上等の旗、粗末な旗。

 我らの愛国的な友である日本人には、赤い点のある布切れならなんでもいいのだ。日本の象徴であるこのような旗の中には明らかに手製のものもあった。

 どの窓からも旗が林立し、なんと長い「朝日」の通りを通ったことだろう! 私たちだって決して流行に遅れたわけではない。二階のベランダに、手製のアメリカの旗を守るように、日本の旗を二本高く立てたのだ。

「日本の旗の真ん中の太陽が満月のように見えるから、我が国の星がとてもよく調和するわね」

 本当に母の云う通りだと思う。

 精養軒ホテルは、紅白の提灯と旗で美しく飾られていた。きっと今晩、提灯が灯された時には、効果は抜群だろう。

 大変な人出で、特に外国人と役人が目立った。華麗な駝鳥の羽のついた三角帽を被り、金の紋章をつけ、薄紫色のズボンを履いて、すっかり板についた一人の役人が車に乗って、殆ど勝家に着くまで私の後になり先になりしていた。田舎者が豪華な役人を見ようと首を捻っていると、今度は「トウジンオンナ」つまり私が来るので、また首を捻らなければならなかったというわけで、どちらも貧しい田舎者にとっては、たいした見物だったろう。

 私は目に入るものがなんでも面白くて仕方なかった。だけど流石に見るものもなくなって、私の行程も終わりになった。けれど、本当に楽しい時はこれから始まるのだ。


 玄関先に出迎えて下さったのは、勝夫人と、おこまつと、お逸だった。

「本日はお招きに預かり、どうも有り難うございます」

 私は日本人みたいにお辞儀をして挨拶をし、おみやげを差し出して中に入った。客間に行く間、おこまつとお逸は私の周りで踊り浮かれ、お母様は後ろから厳かについていらっしゃった。

 帽子掛けや傘立てや、鹿の角のある長い廊下を通り過ぎて左に曲がると、広い薄暗い部屋があり、そこには屏風と本棚と油絵と、風変わりな寝台があった。隣の部屋とは襖で仕切られ、次の間にはテーブルと椅子が置かれていた。

 右手の小さな部屋は、ウイリイが教える教室だ。この最後の部屋に、我が美しき案内人は私を導き入れ、お茶とお菓子を持って来て、鮮やかな絵入りの本を下さった。

 それから、私は必死になってかなりうまく混ざり合った(と自負している)日本語と英語で話しかけた。皆わたしの帽子を褒め、勝夫人はご自分の頭に被ってごらんになった。赤い花と黒いビロードが皆さんのお気に召しらしい。

 やがて、およねが日本の着物を腕いっぱいに抱えて入って来た。

「……こんなに一杯の着物、一体誰が着るの?」

「勿論、クララ、貴女に決まっているじゃない!」

 満面の笑顔で言い放つお逸。どうやらお逸の冬の着物らしい。

 私はしばらく抗議したけれど、お逸の強引とも思える勧誘に乗せられて結局着る羽目になった。

 まず私は着てきた洋服を脱いで下着だけになる。

 我が親友の妙に熱っぽい視線に、恥ずかしくなって慌てて下着の上に赤い縮緬の襟の付いた短い木綿の肌着を着た。

 そしてその上に美しい模様の縮緬の長いのを重ね、最後に赤い絹の裏地の着いた、美しい灰色と青の立派な柔らかい絹の着物の袖を手に通す。背と背中についている紋は勝安房守家のもので、桃だかなんだかの花だった。

「さ、クララ。これで最後。京都風だよ」

 腰の周りに綺麗な帯を回して、お逸が後ろで粋な京都風に結んでくれた。それは幅一フィート以上もあるピンク色の錦で、美しい模様が入っていた。

 着物が一フィートかそれ以上も長く足の周りに広がったので、お逸は今度は両端に花の刺繍のある素敵な赤い絹のスカーフのようなもので着物を縛り上げ、腰の丁度下のところで結んでくれた。「はい、これが長崎風」

 青い絹の紐が帯を支え、赤い絹の紐が後ろの結び目を押さえている。靴下は履いたままで、わたしはすっかり立派な日本の貴婦人となっていた。

「じゃ、今度は私の番」

 反対に私の服を着込んだお逸を、勝家の家族全員が大変面白がって、総出で姿見を持ってきてくれた。

「この子は顔が黒いから、洋服が台無しね」

「えー、母様。それはひどい!」

 それからわたしはお逸の持ち物を見せて貰いに行くことになった。

 机の上には、いろいろな種類のペンや、筆、インクスタンド、インク、文鎮、難しい漢字の習字帳などがあり、私はその習字帳で、月、日、下、川、山、天という字を習った。

一番幼い七郎はまったくの腕白小僧で、ありとあらゆる悪戯をした。今まで会った日本人の男の子の中には、こんなふざけた騒々しい子はいない。

 林檎のように丸い薔薇色の顔をした梅太郎も非常に愉快な少年で、いたずらにかけては七郎よりもひどかった。外ではあんなに礼儀正しい控えめなこの子供たちが、家では丁度私たちのようにふざけているのを見て驚かされた。


 やがて食事時間になって、お逸とおこまつと私は、めいめい小さな丸いお盆の前に坐った。

 お盆の上には吸い物、魚、海草、西洋わさびとご飯が乗っていた。私はお箸を遣ってご飯から食べ始め、次に吸い物を味わった。

(これは……貝、よね?)

 鋼のような独特の青い色をしたのは、生の貝らしい。思い切って一つ口に入れてみたら、ゴムのようで噛むことができなかった! 食べるのをやめることも吐き出すこともできず、牡蠣のように大きく、グッタペルカのように堅いそのものを、飲み込むより他はなかった!

 堅いものはこりごりだということで、今度はちょんと添えられるように乗っていた黄緑色の食べ物――山葵に手を出してみることにした。

「クララ、ちょっと!」

 異口同音に上がったお逸とおこまつの叫びは、残念ながら間に合わなかった。

 私は「口から火が出る」という言葉を初めて体感する羽目になった。ほんの少しだったのに、辛くて辛くて、気が遠くなりそう。本当に、こんな強烈な味のものは初めてだ。

 海草はもっと穏やかな味だったので、それと吸い物とご飯とで満足した。

 食後、羽根つきをしると、間もなくおよねが扇子遊びの道具を持ってきた。では、その遊びを説明しよう。

 床の真ん中に箱を立てて、競技者はそれぞれ扇子三本分の距離だけ、そこから離れる。四インチか五インチの高さのものを、標的として箱の上に置く。競技者は自分の扇子を開いて狙いを定め、標的に向けて素早く扇子を飛ばすと、いろいろの位置に落ちる。

<箱の周りに膝をついて坐っている>競技者達の前に折り畳み本があるが、開けてみると扇子の落ちる色々な位置が示してあって、それぞれに点数と名称<気の利いた短い言葉>がついている。

 もし扇子が的より遠く飛んでも、途中で的をひっくり返してからある位置に落ちれば、それは「五点」で、名称には花とか綺麗なことが書いてある。私たちはこの遊び「投扇興」とも「扇落し」とも呼ばれる遊びを長い間やった。

 それから、みんなは清国の楽器を持って来て、私のために弾いて歌を歌ってくれた。

 一つの楽器はリュートだったが、とても丈が短くてずんぐりしていて弦が四本ついていた。もう一つはとてもおかしな形の堤琴で、きしきしと、耳をかくような歯を轢るような音を出した! 

 最初、七郎が坐ってそれをきいきい弾いた時は殆ど気が狂いそうになったけれど、自分でやってみたらそんなにひどくなかった。お逸とおよねがそれぞれリュートを弾いた。結婚したお姉様の疋田夫人が堤琴を弾いて、お逸が歌を歌ったら、とても綺麗な合奏になった。

 この後、またお逸の部屋に行って、お逸の宝物を見た。人形とその着物、髪飾り、とても高価な石の印判、優雅な青銅の花瓶、オルゴール、絹製品、可愛いものの一杯入った箱。 そして最後に、お逸は云った。

「ほらね、わたし、なんにも持ってないのよ」


 次に隣の部屋の可愛い小さな露台に行き、家の上に張り出している木から石榴と柿の実を取った。わたしは両方とも大好きなのだけれど、特に石榴が好きだ。

 それから、一人の老婦人が入っていらっしゃった。

「お祖母様!」

 お逸の言葉で、その老婦人が勝家のお祖母様だということが分かった。いま初めて知ったのだけれど、この大きなだだっ広い家の何処かにお祖母様が隠れていらっしゃったのだ。大変お年寄りでがりがりに痩せておられたが、小鳥のように敏捷で、活発でいらっしゃった。

「お逸が洋服を着ているというので、見に来ましたよ」

 お祖母様はよくお笑いになる方だった。

「ご機嫌如何?」何を突然云い出されるのかと思ったら、どうやらお逸を外国人に見立てられているらしい。

 お辞儀をされ「どうぞお坐り下さい」と云ったりなさった。

 私のことは、あまりじろじろと見るようなことはなさらず、私にもお辞儀をなさって仰った。

「お嬢さん、日本の着物姿がとてもお似合いですね」

 だけど私はみんなに同じ事を言われていたから、これはお世辞に過ぎないと推断した。

 丁度その時ウィリイが来て「五時まで帰らなくてもいいぞ」と云ったので、また羽根つきを始めた。

 今度はとても興奮するような競技になった。ウィリイ、よね、逸、おこまつ、梅太郎、七郎と私、それに時々奥様も加わった。

 奥様はお年の割に素晴らしくお上手で、非常に陽気でいらっしゃった。失敗なさると、女の子たちは他の人たちにするように奥様のお背中をぶったが、お怒りにならなかった。

 しばらくしてから着替えをして、ウィリイも一緒に夕食を頂き、挨拶を雨のように浴び、じゃがいもや石榴や柿、それにお逸からの特別の贈り物を頂いて帰った。

 二人の少女は門まで一緒に来て、見えなくなるまで見送ってくれた。とても楽しかったし、それに家族の中にまで迎えて頂いて、日本人の私生活を見るよい機会に恵まれた。


明治9年11月8日 水曜日

 夕方お客を招待しているので、みんなとても忙しかった。

 幸いなことに、昨夜あらかた準備をしてしまったし、それにお客様にも段々慣れ、使用人達の訓練も大分ゆき届いてきた。もっとも使用人たちには今でも苛々することはあるけれど。

 昼食後、母と買い物を兼ねて、新鮮な空気を吸いに出かけた。大きなコップとフィンガーボールと缶詰と花を買い、帰宅して花を家中の花瓶に活けたが、菊と椿と、幅広の長い葉のついた何か珍しい植物だった。

 富田氏がとても早くおいでになり、間もなく奥様がお見えになった。次においでになった津田氏は可愛い陶器の茶道具と、綺麗な鉢に入った美しい柊の木を下さった。大鳥氏、勝氏と続き、最後は福沢氏だった。杉田氏と箕作氏はご病気でいらっしゃらなかった。晩餐はとても好調子に運んだ。


【クララの明治日記 超訳版第22回解説】

「如何でしたか、クララにとっての初の我が勝家訪問は?」

「……なんだか妙に百合百合しい場面があったのは気のせいかしら?」

「へへへっ、クララと服の取り替えっこ♪ 羨ましいでしょ♪」

「気持ちの悪い笑い方はおよしなさい! 折角の少女らしいほのぼのとした一コマが台無しでしょうに!

 ……お逸の戯言はさておき、これは明治9年当時の勝邸の様子を正確に描いた物として、非常に貴重な資料ですわね。勝家の間取りまである程度まで分かりますし。

それと勝夫人、つまり民夫人のことですけれど、賢夫人にして、子供っぽいところもある、というのが本当によく伝わってきますわね」

「母様に関しては今後もクララの日記に頻繁に登場してくるので、私との“関係”については改めてまた」

「さて、今回は時間がないので最後の部分のところに飛ぶことに致しますけれど、11月8日のクララの家での夕食会の参加者についてですけれど?」

「……この数年後から、うちの父様に新聞誌上で集中砲火を浴びせる某F沢氏も普通に一緒の場に来てるわよね」

「お逸、全然伏せ字になっていませんわよ……」

「一応解説しておくと、今回の会席参加者、みんな幕府関係者。大鳥氏は榎本のおじさまと一緒に最後まで新政府に抵抗して函館戦争まで戦っているし、津田氏は外国奉行通訳としてF氏と一緒にアメリカ行ってるし、富田氏は父様の直系の弟子だし、来る予定だった杉田翁と箕作翁も幕府の学問所関係者。

 さて、問題です。この頃は仲良く会席に参加している父様とF沢氏ですが、なんでこの頃にはF沢氏は父様を批判せず、もっと後年になって批判するようになったのでしょうか?」

「……いや、そんなこと、外国人であるわたくしに云っても」

「大体“新政府の禄を喰むのがけしからん”というなら、大鳥氏だった同じよね。榎本のおじさまを批判するなら、同じように函館戦争で最後まで徹底抵抗した大鳥氏も非難しないといけない筈なのに、寡聞にして福沢氏が大鳥氏を非難しているのは聞いたことないよね。二人とも明治政府の高官になったのに!」

「……はいはい、借金を断られての逆恨み、って云いたいわけね、分かりました分かりました」

「ぶーぶー、誠意がない、誠意が!」

「わたくしに当たっても仕方ないでしょうが!」

「さて、そんな我関せずのユウメイですが、次回は遂に本格デビューとなります。ツンデレ娘好きな方はお楽しみに!」

「誰がツンデレですの、誰が!?」

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