市民の幸福

『おはようございます、市民。

 あなたはこの都市の市民として選ばれました。それはとても光栄なことです。とても幸福なことです。

 あなたはとても幸福です。何故ならこの都市に生きる全ての市民は幸福だからです。わかりますね、賢明な市民?

 あなたには、あなたが幸福であるための全てが与えられます。飢えることもなく、病に苦しむこともなく、もちろん誰かに害されることもありません。何故なら市民は誰もが幸福であり、誰かの幸福を害することなどありえないからです。

 市民を害する者は市民ではありません、市民の皮を被り、市民と市民を守る管理電脳を狙うテロリストです。彼等は等しくこの都市に存在することは許されません。管理電脳は市民の幸福のため、テロリストの撲滅を実施しています。

 しかし、市民を守り、幸福を約束する管理電脳であっても、不慮の事故を全て防ぐことはできません。それはとても悲しいことです。

 そこで、管理電脳は市民の幸福を守るため、五人のクローンを用意しています。彼等は今存在しているあなたと全く同じ遺伝子情報を持ち、あなたの生命活動が休止した時点であなたの記憶を引き継ぎ、稼動を開始します。これはとても素晴らしいシステムです。何と幸せなことでしょう。

 さあ、市民。仕事の時間です。あなたは幸福を約束される代わりに労働の義務があります。それは、この都市を維持するために必要な行為です。労働は素晴らしいものです。それでは、幸福な一日を始めましょう』



 ジャック・A・ロビンは掃除夫だ。

 道に落ちたあらゆるものをブラシとバケツで洗い流す、それが彼の仕事である。

 何もその仕事をやりたいと志したわけではない。ジャックは生まれながらにして、掃除夫として働くことを定められていた。この国を統べる管理電脳によって。

 いつから、全知全能の電脳が、人が生まれてから死ぬまでの道筋を定めるようになったのか、ジャックは知らない。電脳が配信する歴史の授業によると、この国は電脳によって選別された「市民」によって建国された。そして、電脳の導きによって、争いも苦しみもない永遠の平和を約束されているのだという。

 全知全能の電脳の言うことなのだから、間違いはない。ジャックはそう思っているし、全ての市民はそうであるはずだ。

 だから、町で喧嘩を始めた酔っ払いが、駆けつけたロボットによって物言わぬ肉の塊になっても、ジャックは石畳にこびりついた赤黒い液体を洗い流す仕事が増えた、としか思わない。小さな諍いは大きな争いを呼ぶ、それを事前に防ぐのも町を見守る管理電脳の役目なのだ、それに何の疑問を抱く必要があるだろう?

 そんな、永遠に変わらぬ平穏を約束されたジャックにとって、一つだけどうしても解せないことがある。

 それは――。

 ぐしゃり、と。今日も聞きなれた音が聞こえてきて、そちらへと駆けつける。町一番の高さを誇る時計塔の足元に、見慣れた蛋白質のオブジェクト。首があらぬ方向に向いているところを見るに、即死に違いなかった。

 やれやれ、と肩を竦めて掃除に取り掛かる。今日は中身がほとんど外に出ていないから楽でいい。思いながら、天に向けて伸びたままの腕に巻かれた認識票を確認する。

『エリー・D・モーリス』

 認識票に書かれた名前と識別番号を電脳に連絡しながら、ジャックの頭の中には様々な思いが浮かんで消える。

 D、ということは四人目か。その前の三人を掃除した覚えはないが、死因は他のことだったのだろうか、それとも。

 ジャックの視線は自然と、時計塔の頂点に向けられる。駆けつけたロボットが通行の妨げとなるオブジェクトを回収する気配があったが、そちらには目もくれずに、青い空が映し出されたドームに一番近い場所を見つめ続ける。

 時計塔から落下した人間を掃除する回数が目に見えて増えたのは、数週間前からだったか。最初は、若い男。次は老人、次はまだ年若い少女。人間だったものを片付けるのも仕事のうちであり、そう珍しいことでもなかったが、その死因が「時計塔からの落下」で統一されている、ということは初めてのことだった。

 落下、というが、電脳に守られたこの世界で、誰かが誰かに殺されるというのはそうそうありえないこと。仮に事件が起こってしまっても、その犯人は町の全てを監視している電脳とその手足であるロボットによって、同じような肉の塊に変えられるだけだ。

 故に、一連の事件は全て、自殺だ。

 もちろん、この連続自殺事件は電脳のもう一つの手足である、市民の中から選ばれた「報道官」たちによって大々的に報道された。この一連の事件に対し、管理電脳は遺憾の意を表明したが、それ以上何を言うでもなかったという。

 今では、死をいまだ知らない者、一度死んでその快感に取り付かれた者、死に魅入られたありとあらゆる人々が、時計塔への階段に列を成す始末。ジャックの仕事は日々増えるばかりだ。中には、五人のクローンを使いきり、本当の死を味わった者もいるというが、ジャックはその感想を聞いたことはない。死人に口はない。

 電脳は自殺を推奨しないが、明確に禁じてはいなかったはずだ。市民たるもの、幸福でなければならない。生き続ける幸福、死による解放の幸福。そのどちらを選ぶかは、唯一市民自身によって選択できることでもあった。

 だが、ジャックには理解が出来ない。電脳から与えられた命のストックを消費してまで、どうして死のうとするのだろう。その行為を通して、一体彼らには何が見えているというのだろう。

 理解が出来ない。

 理解が出来ない。

 理解が出来ないのなら――試してみればいいのだ。

 ジャックは、ブラシとバケツを持ったまま、時計塔への階段に足をかける。

 大丈夫。生理的に震える体に向かって、心の内側から呼びかける。


 ――まだ、あと五人もいるじゃないか。

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