スイカ・自由業
百里芳(ももさと・かおる)
傭兵――Suika・Free Fighter
風が吹く。赤茶けた砂が中に舞う。
あの赤色の中には、幾分か俺の仲間たちの血液が混ざっているのかと思うと、陰鬱とした気分になってしまう。
陽の光が柔らかく草を照らす。風にそよぐ若芽を見ているだけで、俺の心は甘く疼く。この殺伐とした戦場で、少しでも「平和」を感じさせるものを見るだけで、俺は嬉しくなる。小さな幸せを探しながらでないと、俺の心はすぐに冷え切ってしまうだろう。
戦場の空気はぬるりと湿っていて、その場からなかなか動かない。そんな錯覚がした。
思えば、俺も仲間も、持っていた物は全部捨ててきた。家族も愛人も、財産も尊厳も。何も無い空っぽの、その時空に停滞してしまった様な者たちだけが、この前線に放り込まれる。
戦争が終わったら、田舎で畑を耕すのも良いかもな――。
そんな、ちっぽけな、しかし確実に届かないだろう未来を夢想しながら、俺は整備の途中だったレーザーガンに目を落とした。
〈RM-2-L〉、一昔前の型の銃だ。最新式のレーザーガンについている様な6次元式力学充電や、概念プログラミング破壊の機能なんてついていないおんぼろだ。こいつに出来る事と言ったら、ただただレーザーを打つ事。頑丈なのと冷却が早いのだけが取り柄だ。まさに俺と一緒。働かされるだけ働かされて、壊れたらサヨナラ。
しかしこんなロートルでも、大切な相棒だ。こいつがあったからこそ俺は今まで生き残ってきたとも言える。せいぜいしっかりと綺麗にしてやんなきゃ、だ。手にしたクロスで銃身を磨き始めた時、俺がいるテントの空いている入口の所からバタバタと足音をたててケイスが入ってきた。ケイスは、この戦場に配置されてから知り合った悪友である。頭と口は悪いが、気のいい、面白い奴だ。
「おい、ブラザー聞いたか?!」
「なんだ、ケイス。お前が昨日、野糞しているときにいきみ過ぎて切痔になった事なら、この基地に居る奴ら全員知ってるぜ」
「なんで知ってるんだよ! ……って、それどころじゃないんだ、奴だ、奴が来るんだ!」
「ちょっと落ちつけよ、奴ってなんだよ……」
「奴だよ! 西の悪魔、『SF』だ! あいつら、傭兵として『SF』を雇いやがった!」
「『SF』……? まさか、『スイカ・フリーファイター』かッ!?」
「そうだ、そのまさかだよ!」
SF――スイカ・フリーファイターの話は、耳の遅い俺ですら聞いたことがある。筋肉隆々の身体に、頭部はスイカという何ともクレイジーな野郎だ。無所属の戦士として戦場を渡り歩いては、敵方を地獄へを落とし入れる悪魔のような存在。三丁目の花子ちゃんは、スイカの種が耳に入って中耳炎になったと言うし、向かいの太郎君は手術で盲腸を取ったらその中にスイカの種がぎっしり詰まっていたと言う。スイカ・フリーファイターの悪名は一般人にも知れ渡っており、俺も昔おばあちゃんに良く「スイカの種を飲み込むと、腹を食い破りスイカが出てくるぞ」と脅されたものだ。
しかし、奴が出てくるとなると、のんびりしていられない。昨日までは万が一だが生き残れる可能性があった。しかし、スイカ・フリーファイターが来るなら話は別だ。
「ケイス、すぐにガスマスクを用意しろ! 奴が跳ばす種が口や耳に入ったら眼もあてられないぞ」
「隊長が既に用意し始めているはずだ!」
「そうか隊長が、か。普段酒かっ食らって千鳥足で戦場に向かうから、てっきり早死にしたいのかと思っていたが」
「いや……、いくら自殺志願者だって、奴に殺されるのだけは勘弁だろうさ。感情のないアンドロイドだって西瓜傭兵の夢を見るらしいぜ、奴の恐ろしさにな」
スイカ・フリーファイターが通った後はペンペン草さえ生えてこない――いや、正確にいえば、スイカしか生えてこない。
「なあ、ケイス、俺には夢が出来たぜ」
「なんだよブラザー」
「スイカ・フリーファイターをぶっ潰して、奴の果汁でスイカバーを作ってやることだ! そのためだったら俺は、エイリアンにだってなってやる!」
奴は、奴だけは生き延びさせてはいけない。これは、戦場に立つもの全ての願いだ。
「最高だぜ、さすが我らの〈ビッグ〉ブラザーだ!」
「おいお前ら、ガスマスクだ!」
隊長が酒やけしただみ声でわめきながらテントの中に入ってきた。隊長が持ってきたガスマスクは、KOMATSUの最新型ガスマスクだ。ヤナックス教授という人物が設計した、一部の隙もないマスク。母国からも見捨てられた戦士の俺たちには過ぎた装備だ。
「隊長、奮発しましたね」
「おうさ。死んじまったら、酒も飲めなくなっちまうからな!」
「隊長は相変わらずだぜ、飲んでも飲まなくても死んじまいそうじゃねえか」
「なんだとケイス、この野郎!」
ケイスの脳天に、隊長のごつごつしたゲンコツが落ちた。ケイスは頭をさすりながらも、ニヤニヤしている。そうだ、俺はこんなちっぽけな幸せであっても、手放しちゃいけない。いささか男臭いが、死んだあと天国で女神さまとティーパーティするよりは、地獄みたいな現世でこいつらとバカ話しながら酒を飲む方が俺には会っている。
「伝令ーッ!! 距離10,000メートル、奴です、スイカ・フリーファイターです!」
偵察部隊の悲鳴が響く。しかし、そこに悲壮感はない。そうだ、俺たちは生き残らなければならない。
俺は相棒――古ぼけたレーザーガン〈RM-2-L〉を肩に担ぎ、奴を迎え撃つため、前線へと歩を進めた。
***
一瞬だった。
隊長が向こう10年禁酒する覚悟でそろえたガスマスクも虚しく、俺たちの部隊はあっという間に壊滅した。
スイカ・フリーファイターは、悠然と歩きながらこちらへ向かってくる。奴がやった事と言えば、口のように裂けたスイカの割目から種をとばすだけ。奴が一粒飛ばせば一人、二粒とばせば二人倒れた。誰もが皆、顔の穴と言う穴からスイカの種をこぼしながら絶命した。種のいくつかは、死体の栄養を元に既に発芽しようとしている。
奴の、怖気のするような緑と黒の縞のてらてらと光る頭部にはレーザーは通用しなかった。何故かてらてら光る、奴のキレにキレたナイスバルクな筋肉にもレーザーは通用しなかった。
「ま、まて! 俺はまだ、シ、死にだくないーッ!」
ケイスの叫びが、ケイスの叫びだけが響く。
俺は身体が凍ってしまった様に、その場で動けなくなってしまっている。
スイカ・フリーファイターが不意に歩みを止める。ケイスが安堵の表情をしかけた瞬間、スイカ・フリーファイターは一粒の黒光りする種を高速で発射した。
数ミリに満たない小さな種は、風切りながらケイスのガスマスクに覆われた頭部に迫る。
ケイス、危ない! そう叫びたかった。
でも、出来無かった。
俺の喉は、からからで、ただ空気を通すだけのダクト見たいな音しか出なかった。
喉も口の中も乾ききっている。
背中は汗だくだ。
身体の表面はアツイのに、芯は冷えた鉛の棒を差し込まれた様に冷たかった。
俺は反射的に目を強くとじた。ケイスが、つぶれたスイカみたいになるのを見たくはなかった。
しかし、待てども音がしない。ケイスの命が終焉を迎え、地に倒れ伏す音が。
恐る恐る眼をあける。
ケイスの真っ白なガスマスクの表面に、ほくろのように黒い点が一つ。
防いだ、防ぎきったのだ。
ケイスのガスマスクは、スイカ・フリーファイターの凶弾を防いだのだ!
「は、はは……。ははは、ははははははっ! なんだ、大した事ねえじゃねえか。スイカフリーファイター! このガスマスクがあればお前なんて怖くねえ!」
ケイスの身体から震えが消えた。俺も助太刀するぞ! と叫ぼうとした瞬間、低く静かな、それでいて良く通る声が響いた。それがスイカ・フリーファイターの声だと分かるまでに数秒を要した。
「良いガスマスクだ……。しかし、俺が狙うことが出来るのは、顔だけじゃない」
「はははっ! 何を言ってるんだ、眼も耳の穴も、鼻の穴も、口も! 全部ガスマスクで覆っている!
お前の種が俺の身体に入り込む隙は無いっ!」
「……『何を言っているんだ』はお前だ。お前にある穴はそれだけじゃない」
スイカ・ファイターは何を考えている?
「出口の無いトンネルは無い」
奴は、いまだ静かに語り続ける。奴の意図は、一体何だ?
「入口があれば、出口がある」
……まさか!
「オレが今まで狙っていたのが、入り口だったとすれば――」
やめろ。
「次に狙うのは出口」
……やめてくれ、そいつは……!!
「……そう、いまオレが照準を合わせているのは」
やめろッ! そいつは今……
「お前の、尻の穴だ」
そいつは今、切れ痔なんだァァッ!!!
奴から静かに種が発射される。弾丸は吸い込まれるように、ケイスの肛門に突き刺さった。
「ギャアアアアアァァァァァッッァッァッァッッ!!!!!!」
入口からは断末魔を、出口からは血液――スイカの果汁のような鮮血を吹き出しながら、ケイスは絶命した。
***
風が吹く。赤茶けた砂が中に舞う。
あの赤色の中には、幾分か俺の仲間たちの血液そして、スイカの果汁が混ざっているのだろう。
奴は最後に俺のへそにスイカの種を打ち込むと、無言でそのまま去ってった。
俺の身体ももう動かない。へそから生えてくる、スイカももう大分大きくなった。そろそろ収穫時か。
スイカが大きくなるに比例して俺の魂が失われるのが分かる。
霞んだ視線の先、一面のスイカ畑が見える。
ああ、ここは畑だ。戦争を生き延びて畑を耕す事は出来無かったけど、俺が、俺自身が畑になる事は出来たんだね。
ケイスと、隊長と、気の合う仲間たちと一緒に畑になれる。決して良い人生じゃなかったけど、もしかして、これが幸せなのかもしれない。
願うならば、誰か何時か、俺たちから出来たスイカでスイカバーを作ってほしい。そうすれば、良い事の無かった俺の一生、少しは報われる気がするんだ。
俺は、来るかどうかも分からない、次の人生――スイカバーとして、夏の風物詩になる来世を想いながら目を閉じた。
ごうごうと音がする。音しかしなくなった。
最後には、俺はすっかりスイカになった。
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