騎士と物語の終わり

「……申し訳ありません、師匠」

 ライラはただ、頭を下げることしか出来なかった。

 神聖騎士団炎刃部隊長ギーゼルヘーア・アウルゲルミルは小さな溜息と共にライラの報告書を机の上に投げ出した。

 結局、『知恵の姫巫女』スノウ・ユミルは行方知れずとなった。

 ライラがあの時『エメス』の残党を倒したこともあり、『エメス』の手に渡っていないという確証は得られた。だが逆に言えば彼女の足取りについての情報が完全に途絶えてしまったことになる。これはひとえにスノウの捜索を任されたライラ、そして捜索を任せたギーゼルヘーアの責任となる。

 だが、申し訳ないと思いながらもライラはこの選択に後悔はしていなかった。

 スノウは、笑顔で旅立った。それがわかっただけで、ライラには十分だった。

 もちろん、それを言葉に出すことは、騎士としてあってはならないことだ。だからこそライラはただただ、頭を下げる。それ以上のことは何一つ言葉にすることなく。

「……なあ、ライラ」

 ギーゼルヘーアが重たい声を立てた。ライラはびくりと体を震わせて、ギーゼルヘーアを見る。浅黒い肌と年齢に似合わぬ若々しい顔立ちをした部隊長は、口の端に僅かな微笑みすら浮かべて言った。

「スノウは、幸せになったと思うか?」

「え……」

 ライラははっとした。

 まさか、と思った。あってはならない、と思った。だが、考えてみれば、全ての辻褄が合ってしまう。

「ま、心配無いかな。アイツもついてたし、何よりスノウには自分が行くべき道が見えてたからな」

 ギーゼルヘーアは独り言のように呟く。ライラは呆然とギーゼルヘーアを見つめていたが、やがてぽつりと言葉を落とした。

「師匠、あなたが、スノウ様を逃がしたのですか?」

 ずっと、引っかかるものを感じていた。

 スノウが「攫われた」日、神殿の警備は万全だったはずだ。何しろ、リベルほどではないが本殿でも一大行事である聖ライラ祭の直前だ。『エメス』をはじめとした異端の動きが活発化していることもあり、警備は厳重を極めていた。

 そこに、あの男が侵入してスノウを攫った――普通では、ありえない話だ。あの男がいくらスノウを通して神殿の事情を知っていたところで、そう簡単にことが運ぶとは思えない。何しろ神殿の奥深くに住まう『姫巫女』スノウは、神殿の騎士たちの動き全てを知っているわけではないのだ。

 だが、神殿の警備を統括し、騎士の配置を全て把握しているはずのこの男が、意図してスノウの周りの警備を緩めたとしたら、どうだろうか。もし、それをスノウと示し合わせていたのだと、すれば。

 ギーゼルヘーアは応えない。

 ただ、にやにやとした笑みを浮かべ、机に肘をついてライラを見上げるだけだ。それが無言の肯定であることくらいは、ライラにもわかった。

 こうなっては、師は決して正しいことを言おうとしないだろう。なんだかんだで長年の付き合いだ、師がどのようにものを考え、行動に移すのかは理解し始めている。

 昼行灯と呼ばれるギーゼルヘーアだが、決してこの男は無能なわけではない。その力を使う場所が、神殿の上層が望む方向ではないというだけ。

 彼は女神ユーリスを守る騎士にしては、優しい。きっと、優しすぎるのだ。

 そして、その「優しさ」を嫌うことの出来ない自分もまた、ギーゼルヘーアと同類なのかもしれなかった。実際にそう言ったところでギーゼルヘーアは「お前みたいな真面目ちゃんと一緒にされたくねえよ」と苦笑するだけだろうけれど。

「全く、因果なもんだな。スノウも、アイツも」

 放たれたギーゼルヘーアの言葉は、独り言にしては声が大きかった。あえてライラに聞かせるつもりでそう言ったのかもしれない。ライラはもう一つ、答えは期待せずとも気になったことを問うてみることにした。

「師匠、師匠は……あの異端研究者が何者なのかも、ご存知だったのですか」

「お前じゃ荷が重い相手だろうなあとは、思った。捕まえられないことは想定済み。捕まえちまったら、それはそれで色々面倒くさいしなあ」

 それはライラの問いに対する直接的な答えではなかったものの、「知っている」という答えと同意だった。

「奴は、スノウと同じ本物の天才だよ。それに比例して、ここもいかれてるけどな」

 ギーゼルヘーアはとんとんと自らのこめかみを指してみせた。

 確かに、おかしな言動をする男ではあった。誰よりも全てを見通しているようでいて、簡単なこともわからないような態度を取ることもあって。それも、ある意味では『知恵の姫巫女』たるスノウによく似た反応だった。

「でも、まあ、何でもいいか。スノウは謎の男と一緒に消えた。事実はそれだけ。そういう風に報告すりゃあいいだろ。お前の処分についても、上手く折り合いつけとくさ」

 ギーゼルヘーアはゆっくりと立ち上がる。ライラの報告書を持ってひらひらとさせながら、ライラの横をすり抜けて部屋を出て行こうとする。

「待ってください、師匠!」

 ライラは思わず、師を呼び止めていた。ギーゼルヘーアは「何だよ」と不機嫌そうに目を細めた。色々なことが聞きたかったはずなのに、思いが上手く言葉にならない。ただ、ただ。どうしても、これだけは問わなければならない。ライラは飴色の瞳でギーゼルヘーアを見据え、言葉を搾り出す。

「師匠は、何故スノウ様の望みを聞き届けたのです?」

 ギーゼルヘーアは「はっ」と息を吐き出して、自嘲にも似た笑みを浮かべた。

「必死な顔してる女の子を放っておけなかった。それだけだよ」

 言って、そのまま彼は部屋から出て行った。

 部屋の中に一人残されたライラは、自然と窓の外に視線を向けていた。窓の外は綺麗に晴れていた。いつもスノウが見つめていた、青い空がそこにある。

「そうか」

 空を見つめたまま、ライラは呟いた。

「理由なんて、それだけでよかったのか」

 ライラの呟きは、誰にも届かない。けれど、妙に清々しい気持ちでライラは窓の外の空を見上げる。

『ねえ、ライラ』

 空から響くのは、遠い日の記憶。無邪気に笑う記憶の中の少女が、ライラに向かって小指を差し出す。それは、彼女だけが知っていた、約束のおまじない。

『わたしが巫女になっても、ずっと、友達でいてね。約束』

「ああ、いつだって、どこにいたって友達だよ……スノウ」

 ライラは口の中で呟いて、空に向かって小指を伸ばした。頬に伝う熱いものを感じながら、いつまでも、いつまでも。大切な友達が愛していた青い空を見つめていた。

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