騎士と悪魔

 少しだけ調子の外れたファンファーレが鳴り響き、舞台上に学生を中心としたきらびやかな服を纏った役者たちが踊り出る。

 ライラは仲間たちと連絡を取るための「意思の石」を握り締め、舞台を見上げる観衆に混ざり、辺りの動きに集中する。

 城の門を潜ったそこには巨大な舞台がしつらえられ、聖女ライラの戦いの軌跡を町の人々が演じる。これがリベルの聖ライラ祭一番の出し物であり、これを見るために大勢の人が詰め掛ける。また、普段は閉ざされている城の扉も大きく開かれ、そこにも人が吸い込まれるように入っていくのが見て取れた。

 そして……きっと、スノウもここにやってくるだろう。

 ライラは思いながら、油断無く視線を走らせる。スノウの言葉を信じるなら、彼女の目的はこの城の、更に奥深く。

 今や、ライラは積極的にスノウを連れて帰るつもりはない。ただ、スノウの身を案じるならば、この場所で彼女を待つ必要がある。この人ごみに紛れて『エメス』の残党が彼女の身を狙う可能性も、否定できないのだ。

『異常ありません』

 「意思の石」が、隊員の言葉を伝える。ライラも「こちらも異常ありません、引き続き監視をお願いします」と返して、ぎゅっと唇を引き結ぶ。

 ギーゼルヘーアにはスノウの無事を報告したけれど、隊員たちにはスノウと会ったことは伝えていない。隊員たちにそれを伝えれば、スノウを連れて帰るべき、という意見で一致するだろう。自分たちはそのためにこの町に来ているのだから。

 本来ならば、そうするべきなのだ。

 自分は、一体何のためにここにいるのだろうか……スノウを神殿に帰すことも出来ず、だからといってスノウに協力することも出来ず。中途半端な心のまま、この場に立ち尽くしている。

 舞台の上では、聖女ライラを演じる女性が朗々と口上を述べている。楽園を恐怖に陥れた悪魔たち、それを率いる魔王イリヤを許すことは出来ない。この手の聖槍にかけ、楽園を守り通す――ライラは思わず右手の手甲を見つめてしまった。

 自分が槍を手にしたのは、どのような理由だったか。

 初めは「望まれたから」。エルミサイアは由緒正しき貴族であり、騎士の家系だ。親が、兄弟がそうであったように、自分も神殿に仕える騎士として育てられた。それが当然だったのだ。

 女神ユーリスを守り、楽園を混沌に導く者を排除する。その役割を命続く限り全うする、それがライラの全てだった。

 だが、スノウと出会って、少しだけそれが変わった。

 スノウは、神殿から一歩も出たことが無い。拾われた時から『知恵の姫巫女』になることを定められ、そうなるべく育てられた。だが、彼女の心は自由だった。自分はいつしかそんなスノウに憧れ、せめて彼女を守りたいと思うようになった。

 スノウが正式に『知恵の姫巫女』となってから、そしてスノウの命が残り僅かだと知らされてからは、尚更。

 ただ……自分が本当に守りたかったのは、何だっただろうか。

 スノウの身を守りたかったのだろうか?

 違う、自分が守りたかったのは。

 その時、わっと観衆が沸いて、ライラは現実に引き戻される。だが、その声はただの歓声ではなかった。何となくただならぬ雰囲気を感じて舞台を見れば、ちょうど何かが舞台の上に落ちてこようとするところだった。

 それは――黒尽くめの、人、だった。

 異形の仮面を被り、漆黒の服の上に黒い布を纏っている。それを翼のように広げて舞台に舞い降りる姿は、まさしく小さな頃絵本で見た、魔王が従えていた異形の獣、『悪魔』のよう。

 ばん、と足元の板を鳴らし、悪魔は舞台の上に降り立った。魔法で守られていたのだろう、怪我をした様子もなくゆらりと長い体を揺らして立ち上がる。

 観客たちは突然の「演出」に沸いたが、舞台に上っている役者たちは、驚愕の面持ちで漆黒の影を見つめていた。演奏をしていた楽団の指揮者は指揮棒を下ろして呆然とし、楽団はどうしていいかわからないとお互いの顔を見合わせている。

 演出などではない。

 ライラは即座に理解した。これは、劇の台本とは違う……ライラが想像だにできなかった、大胆すぎる「奴」の台本だ。

 悪魔は仮面の下から、老人のようにしゃがれた、しかしその場にいる全員にはっきりと届く声を立てる。

「ああ、今日はなんていい日だろう?」

 ぐるうり、と聖女ライラを演じる少女に顔を向ける悪魔。少女は「ひっ」と息を飲み、手にしていた小道具の槍を取り落とした。それはそうだ、台本には無い奇妙な、それこそ悪魔のような男が突然現れたのだ、恐れないはずはない。

 そして、観客たちも異常に気づいてざわつき始める。衛兵が舞台に向かって駆け出し、また騎士たちも動き出してしまう。

『間違いありません、スノウ様を攫った賊です!』

 「意思の石」から聞こえるのは、動揺する騎士たちの言葉。そして、そのうち一人が舞台の上に駆け上がってしまえば、もはやライラに止められるはずもない。舞台の上に集う衛兵と騎士が、男を取り囲む。これでは、もはや劇どころではない……

 ――これが、あの男の計画なのか?

 観客たちの不安そうなざわめきが増していく。ライラも舞台に向けて駆け出しかけたが、そこで気づいた。楽団の座る席の足元に、スノウと少年の姿が見えたのだ。二人は不安げな面持ちで舞台を見つめていたが、やがて少年がぱっと顔を上げて楽団を見据えた。

 その瞬間、凍っていた時間が、唐突に鳴り響いたファンファーレによって動き出す。

 ライラがはっとしてそちらを見れば、楽団のちょうど端の席に座っていた喇叭を持った猫人の少年……スノウを匿っていた寮にいた少年だ……が、一人だけ立ち上がってファンファーレを奏でている。それにつられるようにして、迷っていた楽団の生徒たちも各々の楽器を鳴らし始める。

 音色が、少しずつ、少しずつ広がっていき、やがて指揮者が指揮棒を勢いよく振り上げた。

 高らかに響く、『聖女ライラの騎行』。

 その音色に背を押されるように、悪魔の扮装をした男に向かって、騎士と衛兵が鬨の声をあげ、各々の武器を振り上げて果敢に飛び掛った。すると、悪魔はまるで風に乗るかのように高く飛び上がり、傷一つ受けることなく前に飛び出す。

 銀色の槍を拾い上げた黒い男は笑う。笑いながら、大きく手を広げて言った。

「その程度か、楽園の勇者ども。さあ、我こそはという猛者はいないのか? この舞台の真の主役は誰だ!」

 観客の歓声、舞台に詰め掛ける「猛者」たち。広い舞台は人でいっぱいになり、騎士や衛兵の姿は人の中に紛れてしまう。それでも確かな存在感で舞台に立ち続ける悪魔は、不意に楽団の足元……スノウたちに顔を向けて、強く槍で床を突いた。

 それが、合図だったのだろう。

 スノウたちが舞台の上に駆け上ったのが、見えた。

 それを見たライラも、同時に動いていた。

 何が出来るかもわからない、わからないけれど、ここで立ち止まっていたら二度とスノウには会えなくなる。自分が何故ここにいるのかも、わからないまま終わってしまう!

 ライラは手甲から聖別の槍を引き抜き、舞台に躍り上がる。槍を手にした女騎士の姿は誰の目にも鮮やかに映ったのだろう、聖女ライラだ、という声が上がるのをライラの耳は捉えていた。

 何という皮肉だろう。ライラは微かに眉を寄せる。

 こんな中途半端な自分は、聖女とは程遠い。きっとそれは、スノウのように前を見据え続ける存在に与えられる称号だ。

 ――そうだろう、悪魔?

 ライラが舞台に上った瞬間、悪魔に襲い掛かっていた人々がライラのために道を開けた。その向こうに立つ仮面のブランは、ライラに顔を向けて笑っている。仮面の下の顔は見えないけれど、「笑っている」ことはわかった。

 そして、ライラは槍を構える。舞台の奥に消えていくスノウが、一瞬こちらを見たような気がした。それを追おうとする彼女の前に、ブランが立ちはだかる。

「少しくらい付き合ってくれよ、聖女様」

 ブランは作り物の槍を構える。普段は銃を操る彼だが、槍を構えるその姿は正統のものだ。緊張を指先まで行き渡らせるライラに対し、ブランはいつもどおりにへらへらと笑いながら、

「ま、楽しく踊りましょ、お祭なんだから、さ!」

 言葉通り、踊るような動きで一歩を踏み込んできた。

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