騎士と影の不可解

 ライラは、その姿を見つけた時、己の目を疑った。『知恵の姫巫女』と彼女を攫った誘拐犯を探していたのは確かだが、その誘拐犯があっさりと見つかり、しかも呆けた表情で道端に座り込んでいるのだから。

 問答無用で死なない程度に斬り飛ばしてやろうかと思ったが、その前に男がライラに気づいたらしく、顔を上げた。

「や、ライラちゃん。スノウは見つかった? その様子じゃ見つかってないと思うけど」

 昨日と同じ、いたって軽い口調で男は言う。自分を追いかける騎士を目の前にして、本当にどのような神経をしているのだろうか、とライラは怒りを通り越して呆れるしかなかった。

 そう、昨日男に対して感じていた敵愾心は、この時にはすっかり薄れてしまっていた。そんな腑抜けた自分に対する呆れもその中に少なからず含まれていたのは、間違いない。

 とはいえ、看過は出来ない相手。ライラは篭手から槍を取り出し、男に刃を突きつける。

「そんなところで何をしている」

「んー、考え事ー」

 へらへらと笑って男は応じる。ただ、その手が銃の握りにかかっていることにライラは気づいていた。神殿の精鋭たる騎士たちをたった一人で倒したのも頷ける。隙だらけのように見えて、実際にはどこまでも冷静に状況を見極めている。呆けた態度を取っている、この瞬間でさえ。

「ねえ、ライラちゃん」

「気安く呼ぶな」

「減るもんじゃなし、いいでしょうに」

 男は刃を突きつけられた姿勢のまま、当たり前のように言う。

「俺様さあ、そんなにスノウに似てるかな?」

 ライラは、一瞬何を問われたのかわからなかった。

 目の前の得体の知れない男と、ライラのよく知る少女がどうしても結びつかなくて。ライラはわかりやすく形のよい眉を寄せた。

「全く似てない。それはスノウ様に失礼だ」

「そうよねえ。正直、俺様もそう思う」

 女のような口調で言って、男も肩を竦める。一体、この男は何を言わんとしているのだろうか。ライラは胸に湧いてくる苛立ちを何とか押さえ込みながら、男を睨み付ける。

「スノウ様は一緒じゃないのか」

「今は完全に別行動。そうじゃないとスノウに迷惑がかかっちまうからね」

「……?」

「こうやって言っちゃえばよかったのにねえ。どうして俺様まで言葉飲み込んじゃったんだろ。わっかんねえなあ……」

 男の言葉の後半は、ライラに向けたものではなかったのだろう。口元こそ笑みのままだったが、まるで、己に言い聞かせるような呟きだった。ライラを前にしても変わらぬ態度の男に、ライラはもはや苛立つことすら馬鹿馬鹿しく感じ始めてきた。

 ただ、どうしても。これだけは男の口から聞いておかなければならなかった。

「何の話をしているんだ。それに、そのままでスノウ様は無事なのか」

「無事だってわかってるから、別行動なの。それに、俺様が単独で動かないとスノウが危険なのよ」

「……どういうことだ」

 危険、という言葉には、ライラも緩みかけた意識を引き締める。男はゆらりと顔を上げてライラを見据える。その瞳の色は、どこまでも、冷たい。

「もうライラちゃんも知ってんだろ。『エメス』が動いてる。多分、神殿の情報が漏れてたんだろう」

 何故、それを。

 言いかけて、ライラはその言葉を飲み込んだ。愚問だと、理解したからだ。

 今朝、一人の男が捕まった。神殿が敵対する異端結社『エメス』の紋章を身につけた男は、しかしライラが見た時には既に半死半生の状態だった。致命傷を負っていたわけではない、ただ的確に、「死なないように」肩と足を穿たれていたのだ。それは、ライラの仲間たちを戦闘不能に追いやったそれと、全く同じ傷だった。

 そう――『エメス』の刺客は、この男に撃たれたのだ。

「異端が、『エメス』を撃ったのか」

 ライラの問いに、男は座り込んだまま「ははっ」と呆れたように笑った。

「異端の全てが『エメス』じゃない。いくら頭の固い騎士様でも、そのくらいはわかるでしょうに」

「それは否定しない。だが、何故撃った」

「無論」

 今までのふざけた口調が嘘のように。笑顔ながらも決然と、男は言い放つ。

「全てはスノウのためだ」

 刹那の躊躇いすらなく放たれた言葉に、ライラは言葉を失ってしまった。

 そこに少しでも虚構が見えたなら、ライラは迷いなく槍を振るっていただろう。だが、男の言葉に嘘はないと……そう、信じさせられてしまった。

 不可解だ。

 不可解に、過ぎる。

 目の前の男は『知恵の姫巫女』を攫った罪人だ。だが、「彼女のため」という言葉が理解できない。それが嘘ではないとなれば、余計に。

 槍を持つ手が、微かに震えたのが自分でわかった。それはライラ自身の戸惑いだ。目の前に存在する男が「何」であるのか、判断できないが故の戸惑いだ。

「……貴様は、何を企んでいる」

「何も企んでなんかいねえよ。それなら『知恵の姫巫女』を攫おうなんて危険ばかりで実入りの少ないことより、もっと建設的な企てをする」

 淡々と紡がれる低くしゃがれた声に先刻までの浮つきはない。それが、男の本来の喋り方なのかもしれない、とライラは思う。昨日出会ったばかりの男の「本来」など、ライラに判断できるはずも無かったけれど。

「ならば、何故スノウ様を攫った」

「それはスノウに聞くことだな。ただ、一つだけ」

 男は、突きつけられた槍の先端から目を外すことなく、ゆっくりと立ち上がる。ライラは動けないままに、男の挙動を見つめていることしか出来ない。

「俺はスノウを傷つけるつもりは無い。出来ることならば、これ以上スノウを追うのをやめてやってくれねえか」

「そんな言葉、信じられるか」

 信じてもいいのではないか、という思いが頭をよぎったことは否定できない。けれど、実際に『知恵の姫巫女』の無事を確認出来ていない状態で信じるのは、それこそ浅はかにして愚か極まりない行為だ。そして、男も浮かべていた笑みを苦笑に変えて言った。

「だろうな、それでいい。お前さんは正しいよ。神殿の人間として、騎士として」

 前髪の間から覗く、男の零下の瞳が不意にライラを射る。ライラははっとして槍を握る手に力を入れたが、男は銃に手をかけた姿勢のまま、ライラの持つ槍の刃と柄との接合部分を鋭く蹴り上げた。その勢いで跳躍して距離を取った男は、銃口をライラに向けた。

 男との会話に気を取られすぎた……その事実に、ライラは軽く唇を噛んで、もう一度槍を構えなおす。この距離は、まずい。相手の隙を見て踏み込めば何とか刃が届く距離ではあったが、相手にその「隙」など存在しない。

 男はじりじりと、銃を手にしたまま下がる。口元の笑みはそのままに、しかし決して笑むことの無い瞳でライラを見据え。

「そいつ、連れ帰っておいて」

「そいつ?」

 ライラは男の視線を追いかける。建物と建物の隙間に、今までは気づかなかったが人の足のようなものが覗いている。そして、ライラの視線を誘導した男は、身を翻して駆け出した。

「待て!」

 ライラは男を追って駆け出そうとするが、建物の隙間に倒れている人の足も気になった。それに……男を追ったところで、求める人物は見つからない。昨日の対峙でそれを理解しているライラは、目の前の事象から片付けることにした。そこに倒れていたのは、獣人の青年だった。だが、ライラの目はまずその青年のベルトのバックルに向けられていた。

 普通ならば服に隠れて見えないそこには、剣と杖とが交差した、歯車の紋章――『エメス』の紋章があった。そして、青年の手には男が持っていたものよりも一回り大きな銃が握られていた。

 青年の体には、銃による傷はない。おそらくは素手で相手を昏倒させたのだろう。注意深く確かめながら、ライラは誰に届くこともない呟きを放つ。

「あの男……本気でスノウ様を守る気なのか……?」

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