Chapter 2:Nothing is in My Hand

影と狂信者

「ああ、今日は何て素晴らしい日だろう」

 ブランは燃え上がる塔の上で、空を仰ぎました。

 城が、町が、全てが赤い炎に包まれる中、空だけは抜けるような青空でした。

 黒い軍勢の足音が迫る中、スノウの代わりに王の服を纏ったブランは笑います。

 本物のスノウは無事逃げ延びたはずでしたから、ブランにはもう何も思い残すことはなかったのです。

「さあ、この幸福のうちに、私の幕を下ろそう!」


   (『聖王スノウの伝説』第三章三節「白竜城陥落」)


 

 よかった、と彼は白い息をついて思う。

 夜は寒い。いくら屋台の裏が借りられたところで、夜風を十分にしのげるわけでもない。外で寝ることに慣れている彼ならともかく、スノウが連日の野宿に耐えられるとも思っていなかったから、偶然といえスノウが出会ったセイルというらしい少年には感謝すべきだろう。

 そして、自分はいつも空回りするばかりで、果たしてスノウのためになっているのだろうか。そう苦笑しながら、がっと靴底で黒尽くめの男を踏みつける。

「さて、と」

 思考を目の前の事象に戻そう。並列的な思考は彼の得意とするところだが、横道に逸れたまま対峙するのは相手にも失礼だろう。そんな、暢気ともいえる思考を巡らせながら、男を零下の瞳で見下ろす。

「秘密結社の荒事屋さんが、俺様に何の御用?」

 彼の口元は笑みに歪んでいたけれど、目は完全に笑っていなかった。もちろん、例えばスノウがそんな彼の表情を見たら「いつものこと」と笑ったに違いない。ただ、そのいびつな表情は足元の男に恐怖を与えたのかもしれない。男は小さく呻いて、硬く閉ざしていた唇を開いた。

「貴様……何者、だ」

「悪いが、名乗る名前がねえ」

 普段と変わらぬ答えを返し、もう一度男の体を強く踏み抜く。痛みからか、黒尽くめの男は大げさに体を折るも、そんなことは彼の知ったことではない。そもそも、襲われたのはこちらなのだ。殺さないように手加減したのだから、正当防衛と言ってもよかろう。

「で、こっちの質問に答えてもらおうか。『エメス』が俺様に何の用だ」

 男の肩に嵌められた紋章……剣と杖を交錯させ、その周囲に歯車を模ったそれは、異端研究者の秘密結社『エメス』を示すものだ。

 異端研究者。女神の教えに反する、禁忌の知恵と知識を信奉する者たちの総称だ。女神の厭う鋼の武器、銃を操る彼もまた異端研究者の一人ではあったが、異端と言ってもピンからキリまでいる。単に研究するだけで満足な研究者もいれば、自分の知識を否定する女神の存在そのものを敵視する、過激な連中も多い。

 その、「過激な連中」ばかりを集めた秘密結社が『エメス』だ……否、「今は」そうだ、といった方が正しいか。過去がどうであったのかも知る彼は、複雑な心持ちながらそれを表情には出さずに黒尽くめの男の体に踵をめり込ませる。

「別に、答えなくても答えはわかってる。けれども、俺様手前の口から話を聞きたいの。わかる? それとも禁忌に染まりすぎて楽園の言葉も忘れちゃった?」

 笑みを浮かべ、ふざけた口調で言いながらも彼の心は酷く冷え込んでいる。それもまた、「いつものこと」だ。

 男は彼の問いには答えようとしない。まあ、答えないだろうな、と彼も思う。あっさり答えるような奴ならば、とっくに話は終わっているし、そもそもこうやって相対することもなかっただろう。

 面倒になってきた。そもそも彼は気が長い方ではない。黒い外套の下から銃を抜き、予備動作もなしに男の肩を無造作に撃ち抜く。決して、大口径の銃で肩の全てを吹き飛ばしたわけではない。ほんの少し、肩に穴が開いただけだ。だが、当然のごとく死にたくなるような痛みが男を襲ったのだろう、男は彼の足の下でのた打ち回る。

「大げさだな。骨も切っちゃいけない部分も綺麗に避けたから、安心しろよ。魔法でもかけりゃ、一日で治る」

 その言葉に、嘘は無い。彼の目的は相手に口を割らせることだ。再起不能になるまで傷つけることではない。ましてや、殺すことでもない。男はがくがくと震えながら、掠れた声で呟く。

「貴様、狂ってる……」

「うん、知ってる。だからとっとと吐け」

 彼は笑顔で言い切った。男がどう思っているのかなんて、彼にはわからない。男の顔一面に広がっている感情がおそらく「恐怖」であることはわかるけれど、それ以上は、何も。

 男は、ぽつり、ぽつりと言葉を落としていく。誰とも知らない男――彼のことだ――の手で神殿から『知恵の姫巫女』が奪われたこと。奪った男を殺し、姫巫女を『エメス』の手中に収めようとしたこと。その結果がこれだ。

 そのシナリオの全てがあまりに思い通りで、彼はただただ呆れるしかなかった。事実上のトップに楽園最大の『賢者』を擁するはずの『エメス』だが、実際の行動はここまで稚拙なのかと思わされる。

 もう、これ以上聞く必要も無いかと判断して、彼は男の体を蹴り飛ばす。男は一瞬「助かった」という表情を浮かべたが、そこに銃声が二発。続けて、男の叫び声が木霊する。

 だが、彼は男を振り向くこともせずに、銃を収めてその場から歩き出した。

 殺したわけではない。単に、足を壊しただけだ。運がよければ明日の朝には助け出されるだろう……『エメス』の紋章をつけていたのだ、おそらくは神殿に引き渡されて終わりだとは思うが。傷のことも、銃によるものだとわかれば、『エメス』の異端同士の抗争とか、適当に理由をつけて闇に葬ってもらえるに違いない。

 何しろ、女神様にとっては禁忌や異端は「存在しないもの」、見なかったことにするのが一番なのだから。

 それにしても、と彼は思考を用済みの男から今の状況に切り替える。『エメス』にはいつかバレると思っていたが、予想以上に情報の伝達が早い。神殿側ではまだ、『知恵の姫巫女』の誘拐を明かしていないにも関わらず、だ。

 ――神殿に内通者でもいるのだろうな。

 彼は思って、唇を苦笑の形にした。まあ、考えなかったことではない。ユーリス神殿にとって『知恵の姫巫女』であるスノウは存在するだけで価値がある。そして、そのスノウを手にすることができれば、神殿に対する影響力は計り知れない。

 だからこそ神殿も『知恵の姫巫女』が今神殿の外にいることを明かさずにいるのだろう。可能であれば、何も起こらないうちにスノウを連れ帰りたいと思っている。それ故にあそこまでの少人数の騎士が、直接リベルの町に現れたのだ。

 騎士を先にあしらったのは失敗だったな、と彼は珍しく後悔した。『エメス』がここまで早く動くと想定できていれば、騎士を泳がせて『エメス』にぶつける方法を取るということもできたはずだ。

 だが、過ぎたことを悔いても仕方ない。今の彼の役目は期日までスノウを守り、目的の場所に連れて行くこと、それ以上でも以下でもない。この程度の誤差など、彼の役目には何ら影響を及ぼさない、はずだ。

 スノウが不安げに彼の名を呼ぶ。

 彼はそれには応えない。聞こえていてあえて応えないことは、スノウにも伝わっているから問題は無い。

 ただ、スノウの声があまりにもか細かったから。そこに流れる感情こそ理解できなかったけれど、彼は闇の中に小さく白い息をつく。

「……その名前で呼ばれるのは辛えよ、スノウ」

 老人のような声で呟き、手を握って……開く。

 そこには、何があるわけでもない。それこそ、短い指をした無骨な手だけが、そこにあった。

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