Chapter 1:St.Layla's Festival

少年と友達

 あなたに、幸せの色が咲きますように。


  (聖女ライラの祝福)


 

 目を覚ませば、既に窓の外は別世界だった。

 昨日の夕方まではまだまだ準備途中といった様子だった道は、見事なまでに青い薔薇と色とりどりのリボンに飾られていた。寮の周りまで店が出ているわけではなかったが、一つ向こうの通りの賑わいが窓硝子越しにも伝わってくるようだ。

「おはよう、セイル。今日はいいお祭日和だよ」

 クラエスの声が柔らかくセイルの耳に響く。セイルはすっかりぼさぼさになってしまった赤茶の髪を何とか手櫛で整えつつ、既に着替え終わっているクラエスを見やる。

「おはよ。飯は?」

「何を言ってるんだい、セイル。こんな時間じゃとっくに片付けられちゃってるよ」

「あー……そっか」

「まあ、今日からライラ祭だから、食べるものには困らないはずだよ」

 クラエスが笑い、セイルも笑みを返す。待ちに待った祭、楽しまない方が嘘だ。窓の外に広がるのは青い空。同じくらいに透き通った青の花に彩られた世界が、セイルを待っている。

「さあ、着替えたら出かけるよ」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 セイルは慌てて顔を洗い、クローゼットからお気に入りのジャケットを引っ張り出す。今日から冬休みなのだ、制服を着る必要もない。手櫛を通しても依然ボサボサの髪は、帽子でごまかすことにする。

 この季節にはほんの少しだけ薄いジャケットを着てみて、これでは寒いだろうか、と思ったけれど、集う人々の熱気を考えれば問題ないだろうと思い直す。

 底のしっかりしたブーツを履いて、床を踏む感覚を確かめて。

「お待たせ、行こう!」

 セイルとクラエスは競い合うようにして寄宿舎を飛び出した。

 窓から見ただけでも祭の熱気が伝わってくるようだったけれど、外に出てみれば明らかに、普段と空気が違った。いい香りがあちこちから漂ってきて、道行く人々が聖ライラを表す銀のリボンを巻いた杖を振って笑いながら行き過ぎる。

 道を二回曲がって大通りに出れば、そこは既に人で埋め尽くされていた。セイルの故郷にも祭はあったけれど、こんなに多くの人が集まることなどなかったから、思わず目を白黒させてしまう。

「す、すっげー……」

「ライラの日なんて、この比じゃないよ。僕が前に友達と町に出た時には、すぐにみんなバラバラになっちゃってさ。お互いを探すのに苦労したよ」

「ま、まあ帰れなくなる訳じゃないから、大丈夫、だよな」

 セイルは小さく頬をひきつらせた。セイルやクラエスはこの町で暮らしているから、お互いはぐれてもどこをどう行けば寮に帰れるか、ということはわかる。

 だが、これでもしセイルが外から来た観光客だったりすれば、連れとはぐれた瞬間に絶望するかもしれない。そのくらいの人通りだったし、「この比じゃない」とクラエスが言うライラの日の人出に不安になるのも無理はない。

「まあ、はぐれたらすぐに寮に戻れば大丈夫さ。さてと、何から見る? まずは食べるものかな」

 クラエスはきょろきょろと辺りの屋台を見渡す。見慣れた肉と野菜を挟んだパンの屋台もあれば、わざわざ海を越えた首都からやってきたのだろう「首都ワイズ名物ワイズまん」ののぼりも立っている。それどころか、よく見れば各国の名物料理の屋台があちらこちらに立ち並んでいる。

「わあ、ユーリスうどんとか初めて見たよ!」

「だねえ。僕も食べたことはないな。食べるかい?」

「食べる食べる!」

 ユーリスうどん二つ、とクラエスが言うと、屋台の主は少年二人に器を渡してくれた。器いっぱいに入った海鮮の香り漂うスープに、ライブラでは珍しい太くつるつるした麺と、ユーリスの名産である野菜がたっぷり詰め込まれている。

 セイルは腹が減っていることもあり、湯気を上げるそれを立ったまま一心不乱に食べる。初めて食べる麺の不思議な噛みごたえと、スープにとけ込んだ海鮮と野菜の香りがとてもセイルの好みだった。

 そして、クラエスはといえば、見た目通りの猫舌なのでふーふーと麺を一本ずつさましながら口の中に入れていた。そんな食べ方で美味しいのかなあとセイルは思ったが、クラエスはクラエスで満足そうではあった。

「ごちそうさま、おじさん! 美味しかった!」

 セイルが器を返すと、屋台の主はにっと微笑んで言った。

「ありがとさん。お前さんたちに、幸せの色が咲くことを」

「うん。おじさんにも、幸せの色が咲きますように」

 セイルも歯を出して笑い、聖女ライラの祈りの文句を言葉にする。これは、聖ライラ祭の間だけの挨拶である。セイルの倍近い時間をかけてうどんを平らげたクラエスも同じように店主とお互いの幸福を祈り、その場を後にした。

「ごめんね、時間を取らせちゃったな」

「ううん。それじゃ、どこに行こうか」

「そうだなあ、今はまだ城址に行っても何もないだろうし、広場にでも行こうか」

「城址って、魔王城のこと? あそこで何かやんの?」

 セイルの言葉に、クラエスは楽しげな声音で答える。

「最終日、ライラの日には城門が開放されるんだよ」

「えっ、本当? 俺、前に忍び込もうとしてめっちゃ怒られたんだけど」

 城址、というのはかつて魔王が居城としていた建物のことだ。数百年の時を経てもなおほぼ当時と変わらぬ姿で佇む石造りの城の周りには、忍び込もうとする悪ガキどもを阻止すべく、常にリベルの役所から派遣される警備員が立っているのだ。

「僕もやったことあるけどね、正式に入ることができるのはこの日だけなんだ」

 と言っても、奥は崩れかかっていて危険だから、入り口周辺を見学できるだけだけどね、とクラエスは苦笑してみせる。

「それでも、魔王と聖女ライラが決戦したホールや、魔王が保管していた宝が見られるんだ、面白そうでしょう?」

「すげえ、それ、絶対見に行かなきゃだな!」

 セイルにとっては御伽噺の世界でしかなかった「聖女と魔王」の戦いの軌跡をこの目で見ることが出来るのだ、気にならないはずがない。

 クラエスによれば、その日は城址前で当時の聖女と魔王の戦いを再現した劇も行われるらしい。僕が所属する楽団の演奏つきだから、是非見に来て欲しい、とクラエスは言った。

「けど、普通に見ようと思うなら、早めに場所取りにいかないとすぐに人に埋め尽くされちゃうけどね」

「それじゃ、当日は早起きだな」

「セイルに、それができるかなあ」

「な、だ、大丈夫だよ!」

 きっと。

 ぽつり、小さな声で付け加えるセイルに、クラエスはくすくす笑いを投げかける。むうと頬を膨らませるセイルだったが、その時視界の端にふと何か見慣れぬものを見た気がして、思わず視線をそちらに向ける。

 ひらり、ひらりと冷たい風の中を舞う、銀色の何か。

 それはまるで。

「蝶々……?」

 まさか、と思う。こんな寒風の中を飛ぶ蝶など見たことがない。けれど、その姿はまさしく銀色に輝くアゲハ蝶だった。クラエスが、セイルの声を聞きつけて不思議そうに問いかける。

「蝶々だって?」

「うん、あそこを飛んで……あれ?」

 セイルが一瞬クラエスの声に気を取られた間に、蝶のようなものは忽然と消えていた。首を傾げるセイルに対し、クラエスは呆れた声で言う。

「こんな季節に蝶々なんて飛ばないと思うけどなあ」

「けど、確かに蝶々に見えたんだ。銀色の、見たことないアゲハ蝶だった」

「銀色のアゲハ蝶? それこそありえないよ。青い薔薇と同じで、今こんなところで見られるはずもないじゃないか」

 クラエスの言葉に、それもそうかと思い直す。もしかすると、銀色のリボンが風に煽られて飛ばされているところを、蝶と勘違いしたのかもしれない。銀色のアゲハ蝶など、それこそ伝説の中の存在でしかないのだから。

 とにかく、こんなところで立ち止まっていてもどうしようもない。セイルはクラエスと共に、再び人ごみの中を歩き出した。

 あちこちの屋台で足を止め、見慣れぬ玩具に目を輝かせ、広場に集まっていた大道芸人の芸に見とれる。

 そんなことをしているうちに、一日が駆け抜けるような速度で過ぎていった――

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