ぼくと理想の✖✖✖(4)


 青い幾何学文様が丸く広がり、光の粒子が徐々に人の姿を模り始めていく。

 スカートが――ピンクのフリフリだ――が現れたとき、強張っていた秀吉の肩からほっと力が抜けていくのが判った。

 少なくともドレス姿。男性ではない。むしろ演劇の王女様が出てきそうな感じだ。秀吉がさっきとは一転、晴れ上がった声を上げる。

「ま、まあこれでわしも男じゃと証明――」

 そして召喚獣の顔を見ると同時に絶句した。

 僕も絶句した。

「アキちゃん」

 一瞬で凍てついた教室に、誰かがぽつりとつぶやいた言葉だけが響いた。

 召喚されたのはフリフリのドレスでかわいらしいポーズを決める、僕こと吉井明久の女装姿――通称アキちゃんだったのだ。

「ひ、ひで……よし……?」

 どう受け止めればいいんだろう。どう受け止めるべきだろう。

 僕が理想の異性? 秀吉の?

 ちらりと秀吉の顔をうかがう。秀吉もちらりと僕の顔を見ていた。目が合う。とっさに顔を伏せる。

 どうしよう――まともに顔が見られない!

「なぜ顔を赤らめるのじゃ!? これは何かの間違いじゃ! おぬし女装しておるのじゃぞ! そこに違和感を抱くべきではないのか!?」

 そうだった。確かにこれは僕の名誉に対する大問題だ。

 女装はおかしい! ありえない! ありえないんだけど……。

 秀吉がそうして欲しいって懇願するなら、尊厳を失ってでも……。

「明久君のあの反応……。裏切りにあった気分です……」

「真のラスボスは瑞樹じゃない、って薄々思ってたけど……まさか本当に……」

「姫路、島田、誤解するでない!」

 嬉しさ51%、微妙さ49%で戸惑っているうちに、女性陣二人の瞳からハイライトが抜けていた。背筋に生物学的な恐怖を走らせて、秀吉が必死になって抗弁する。

「女装した明久……。これは理想像としてアウトなのかセーフなのか……」

「アウトに決まっとるじゃろう!?」

 雄二は雄二で深刻そうな顔を作って呟く。本気で悩むというよりいかにして種火に酸素を送り込めるか画策する、畜生らしい意図が透けて見えるようだ。

「おぬしもじゃぞ明久! アキちゃんでよいのかっ! 何か弁解せんと……」

 はっと僕は我に返る。実はかなり嬉しかった、なんていえば女装癖があると宣言するようなものだ。過去に何度か女装したことはあるけれど、望んだことは一度だってない。その点だけははっきり否定してしまわないと。

「そ、そうだよ! 僕に女装癖はない!」

「…………でも秀吉が手に入る」

「………………僕、に、女装、癖は…………!」(ぎりり)

 ムッツリーニのいらぬ横やりに、うっかり奥歯を噛みしめてしまった。

「アキのあの様子……。猶予はもう無いと見ていいわ。もう殺るしか」

「…………助言する。行動は早いほうが良い」

「ですね。友人を手にかけるのは不本意ですが、ここは協力して未来の敵を」

「思いとどまるのじゃ! そのFクラス謹製サバトルックにそなたたちだけは手を出してはならんのじゃ!」

 いけない、貴重な女性二人が墜ちてはならない暗黒面に片足を突っ込んでいる。必死に押し留る秀吉を、僕は援護しなければならない――のだけれど。

 なぜだろう、さっきから秀吉と女装の両天秤が振り切ったまま帰ってこないんだ。もちろん僕は秀吉を選――。

「おそらく、この結果は」

 どす黒いオーラに染まりつつあった教室に、咳ばらいが一つ、軽やかに流れていった。

 ――姉さん。ほとんどただ一人、のほほんとした笑顔を浮かべている。アキちゃん登場という結果にも動じていない様子だ。

 はっと秀吉が顔を上げて、すがるように姉さんを見つめた。

「秀吉君は、性別の誤解を受けるような外見や扱いに悩んでいたのでしょう」

「そうじゃ……そうなのじゃ!」

 うれし涙だろうか――瞳を潤ませて何度も頷く秀吉に、姉さんはにこりと微笑みかけて続けた。

「きっと秀吉君は、そんな自分を受け入れてくれる人を理想と思ったのでしょう」

「そうか、だからアキちゃん……なのね」

 美波がどこか納得したように、フリフリドレス姿のアキちゃんを見た。

 ドレスの裾を摘まみあげて、満面の笑みで恥じらいのないピースサインを決めるアキちゃんは――確かに女装を完全に自分のものにした変態そのものの姿だ。

「秀吉君の苦しみがなんとなく……判りました。アキちゃんなら仕方ないですね……」

 姫路さんもすこし笑って、ようやく美波と一緒に被りかけていたFクラス謹製サバトマスクを下してくれた。

 これで話は決着――。

「待って!? 僕の女装姿を受け入れないで!?」

「秀吉は性の不一致に悩んでいたのね」

「不一致には悩んでおらんが!? 身も心も男じゃが!?」

「フッ、悔しいが秀吉は――明久、てめぇのもんだな」

「雄二! 貴様は黙ってろ!」

「…………後は二人で仲良く」

「ムッツリーニもじゃ!」

 火だけつけて安全圏にひた走ろうとする二人はやっぱりゲスだ。

「大体なんで『アキちゃん』なのさ! 香美ちゃんでもワン・シェンリーちゃんでもいいはずだ!」

「こっちに火の粉を飛ばすんじゃねぇ!」

「…………運命を受け入れろ明久……!」

 胸倉をつかんで取っ組み合いをする僕らの後ろで、姫路さんがぽつりと呟いた。

「でも――たしかに、どうしてアキちゃんなんでしょう……」

 とてもとても冷えた声だった。

 他にも候補がいたはずなのに、と姫路さんは小首を傾げる。

「明久の女装趣味が一番しっくりくるってことだろ」

「…………明久ほど女装趣味が似合う男はいない」

「人の女装を勝手に性癖にするんじゃない……!」

 隙あらば薪をくべようとしてくる。この二人、やっぱりただじゃおかない――!

「秀吉」

 ――と、今度は美波が、再開しかけた騒乱を一言で切り落とした。

 それも、とてもとても冷えた声だった。

「説明できる?」

「それはじゃの! なんというか……友人の中ではやはり明久が……いやそうではないぞ! おぬしらが想像しているものとは違うのじゃ! 早合点するでない!」

 慌て始める秀吉では要領を得ないな――と、自然に僕らの視線は姉さんに向いた。姉さんなら確かな分析をしてくれるはずだ。そんな信頼が生まれつつある。

 姉さんはにこりと笑って答えてくれた。

「不純同性交遊は、許します」

 違う、そうじゃない。

「秀吉、ちょっと――」

 いつの間にか秀吉の背後に、美波が、姫路さんが、立ち並んでいた。

 二人は秀吉の小脇に腕をかけて、それからにこやかに微笑んで言った。片手に握りしめた黒覆面が、この先の悪夢を物語っていた。

「隣の教室、行こ?」




「次はウチたちね! 覚悟しなさいアキ、そのままのあんたを呼び出して、愛の深さをわからせてあげるんだから!」

「ちょっと恥ずかしいですけど……きっと私の理想の人はありのままの明久君だと思います!」

 隣の教室から戻ってきた美波と姫路さんは、いつになく晴れやかな顔でそんな風に宣言した。

「始める前から『明久が理想』だってよ。愛されてるな」

「…………告った女子は強い……」

 ニヤニヤと僕の後ろで雄二たちが囃し立てる。

 僕は二人から好きだと言われた。うれしいし――ちょっと気恥ずかしいけど、僕だって二人のことが好きだ。だから二人の気持ちにしっかりと応えるべきなんだろうけど、どうしてかこれまでうやむやになってしまっている。

 でも今はその前に。

「秀吉はどこ行ったの!?」

 連れていかれたまま帰ってきてないんだけど!

「明久君」

 姫路さんがかわいらしく首をかしげて、微笑んだまま言う。

「まだ秀吉君に未練があるんですか? 秀吉君は素直だったのに」

「秀吉は『もう』明久のことは何とも思っていないって。安心しちゃった」

 ねー、と顔を見合わせる二人の様子で、隣の教室で何があったか把握できてしまう。

 自白の強要と拷問と洗脳――果たして秀吉は生きているのだろうか。

「安心しろ明久。秀吉だってFクラスなんだ」

「…………拷問には慣れている」

 いつからFクラスはCIAになったんだ。

「では、次は姫路さんですね」

 秀吉の失踪を意に介せず、姉さんが話を進めていく。

「あ、玲さん。さっき瑞樹と話したんですけど――」

 美波がもじもじしながら姫路さんの肩に手をかけた。

「一緒に召喚しようって、決めたんです」

「どちらの理想が明久君と近いか、確かめようって」

 姫路さんも美波に笑いかける。

 僕の人生にこんなことがあっていいのかわからないけれど、僕を巡って彼女たちは争う立場だ。それなのに二人は親友の関係を崩していない。それが僕にとっては何よりも嬉しい――。

「理想とかけ離れてたら、アキは要らないってことだものね、瑞樹」

「美波ちゃんも、明久君と違う人が出てきたら……その恋は嘘だってことですよね」

 前言撤回。あの二人、笑いながらバチバチやりあっている。

「…………告った女子は強い……」

「いずれ血を見るな」

 雄二たちは傍観の構えだ。くそ、固定カップリングのわき役は気楽でいいよなぁ!

 姫路さんと美波の申し出に、姉さんは笑顔で了承し――あれ、姉さんは不純異性交遊を認めてなかったんじゃなかったっけと一瞬蒼白になった僕を取り残して、二人は声を揃えた。

「「サモン!」」

 二人にとって僕が理想――なのだろうか。そんなはずはない。僕よりイケメンはたくさんいるし、頭のいい人ならそれこそ星の数のほどいる。二人だって、テレビのアイドルに憧れたりすることもあるはずだ。

 でも――。

 両手を握りしめて幾何学文様を見つめる姫路さんと美波。まるで念を送っているかのようだ。「そのままの僕」が出てきてほしい――そんな祈りが読み取れる。

 素直にそれは――ちょっと気後れしてしまうけれど――うれしいこと、だと思う。

 やがて二人の男性像が判明した。

 長身のとてつもないイケメンと、小学生くらいのショタっ子だった。

「どっちも僕じゃない!?」

 長身のイケメン。少女漫画から抜け出てきたみたいに、背中に薔薇を背負ってそうな王子様みたいな顔立ちだ。

 イケメンはすっと、それが当たり前の仕草であるかのように膝をついた。頬を染める――美波の前に。

「美波。いままで素直になれなくてごめん」

「ふえっ……あの……その……」

「全部僕が優柔不断だったからだ。これからは美波を愛す。美波だけを――見ていたいんだ」

「で、でもウチは嫉妬深いし……スタイルも……そんなよくないし……」

「ううん、美波。誤解しているよ。僕はつるぺたが――いや、つるぺたじゃないとダメなんだ!」

「アキ……!」

 そして手を取り合う二人――。

「なにその寸劇! 容姿にも性格にも僕の要素がどこにもないじゃん!?」

 そんな気障な仕草したことないしできる気もしない!

「な、なによ! アキは成長すればきっとこんな風に――」

「今更背は伸びないし顔も変わんないよっ!」

「――いや!」

 雄二が鋭く目を光らせて断言した。

「面影はある!」

「…………目と鼻と口がある……!」

「なかったらヒトじゃないよ! それに僕はどっちかっていうと胸は(ゴキャァ)」

 ちぃ、失言したか!

 ねじれた首を戻しながら、次に僕はショタっ子に目を向ける。

 長身イケメン王子様(貧乳派)が美波の理想だとしたら、あのくりくりとした素直そうな男の子は姫路さんの願望だろう。

「あのね、あのねっ」

 ショタっ子が姫路さんに駆け寄ってにぱっと笑った。

「ぼくが姫路さんを幸せにしてあげるね!」

「はわわわわかわわわ!」

 がばっと胸にショタっ子を抱きしめた姫路さんは何とも幸せそう――なんだけど。

 僕は恐る恐る尋ねてみる。

「あの、姫路さん。それ、僕の小学生時代?」

「はい!」

 満面の笑みで答えられてしまった。

 ……見たことない。こんな子。

「姫路さん、言いにくいんだけど……そんな子、僕のアルバムには映ってない――」

「そんなことありません!」

 断言した姫路さんが、僕と並べるように少年を抱え上げた。僕と少年とを見比べて、顔を蕩けさせる。

 そして言ってはならないことを言った。

「はわ……やっぱり明久君はあの頃のままです」

「僕の中高時代を全否定!?」

「確かに面影はある」

「…………目と鼻と口が」

「それはもういい!」

 姫路さんの中で僕は小学生のままなのだろうか。これでも少しは成長したと思うんだけど、ここまできっぱり断言されてしまうとショックだ。

「瑞樹。年齢が違いすぎて、ありのままのアキとはいえないわ。この勝負はウチの勝ちね」

「美波ちゃんこそ、ありえない成長を望むなんて明久君を全否定ですよ? 勝負は私の勝ちです」

 どっちも負けじゃないかな。というか二人は本当に僕でいいのか不安になってきた。

 打ちひしがれている本体を差し置いて、二人は姉さんに詰め寄った。僕の成長を一番近くで見守ってきた姉さんに判定を委ねようという考えらしい。

「玲さん、どちらが本物のアキに近いですか!」

「二人とも、とってもアキ君を好きでいてくれているんですね」

 不純異性交遊は許しません、と僕に厳命しているはずの姉さんだけれど、二人の露骨なアピールにはなぜか鷹揚だった。少しは――僕の学生生活を認めてくれたのだろうか。

「けれど、愛が偏りすぎていますね」

「愛が……偏り……?」

 姉さんは二人の理想とする僕(らしきもの)を眺め見て、微笑ましいといわんばかりの口調で続けた。

「相手にこう在ってほしいと願うのは愛です。相手のありのままを純粋に受け入れることも、また愛です。どちらの愛が素晴らしいかは、量で測ることも、質で測ることもできません」

 なるほど、と賛意を示す声が高橋先生のところから聞こえた。冷静沈着な高橋先生をも動かすくらい、姉さんの言葉は金言であるようだった。

「つまり愛とは、理想とは、バランスなんです」

 ――ちょっと。

 ちょっとだけ、心に来るものがあった。これは自分を見つめるときにも当てはまる言葉のような気がした。

 今の自分を受け入れて――そこから地続きの理想を描いてゆっくり成長していくものなのだと。

 あの姉さんからこんな台詞が出てくるとは思わなかった。姉さんは頭がいい。生まれつきの差なんだって僕は諦めていたけど、もしかすると姉さんも、そうやってゆっくりと成長していったのだろうか。

「そう……よね。瑞樹」

「はい、美波ちゃん」

「この勝負は引き分けね」

「ですね!」

 姫路さんと美波が笑いあって、矛を収めてくれた。よかった、大団円だ――。

「では特別に、私が本物のアキ君を見せてあげますね」

 姉さんが余計なことを言わなければ。

「ちょっと待って姉さん」

「なんですかアキ君」

「理想の異性……だよね?」

「はい。理想の異性アキ君ですよ」

 ルビから危険な匂いがする……!

「理想が身内っておかしくないかな姉さん!」

 このままだと吉井家の恥が大っぴらになる!

「何を言っているんですかアキ君。葉月ちゃんのように、身内の影響というのは計り知れないものなのですよ」

「あんた大人だろ!」

「いいですかアキ君」

 なんとか止めようとする僕に、姉さんは咳払い一つして断言した。

「小さいころから……ずっとアキ君のそばにいました。アキ君だけを見ていました。そのままのアキ君が好きですし、いつも今以上に立派な人になってほしいと願っていたのです。そんな私の理想の異性がアキ君になるのは当然じゃないですか」

「姉じゃなければな!」

 頭がよかったはずの姉さんの変貌に学園長も高橋先生も引いてる!

「泣ける姉弟愛近親相姦だな」

「そのルビほんとに泣けてくるよ!」

 姉さんの決意は固い。ならばとにかく出てくる前に緊急停止ボタンを押さなければ!

 とっさに駆け出した。

「おっとストレッチの時間だ」

 そして雄二に足を引っかけられて転んだ。

「何するんだよ雄二!」

 ひっくり返っている間に、サモン、と軽やかに姉さんは宣言してしまっていた。

 光り輝く粒子が人の形を成す。必死に緊急停止ボタンに手を伸ばす――が、なぜか姫路さんと美波に体の動きを封じられて身動きが取れない。

「――これが本当のアキ」

「これこそが愛……なんですね」

 どうやら僕の姿が出てきてしまったらしい。ぽかんと口を開ける二人をどうにか押しのけて、僕はようやく姉の理想と向き合った。

 ――確かにそいつは、僕だった。少々顔立ちがきりりとしていて、いつもハネている寝癖が整えられていること以外は僕そのものの姿をしていた。

「完璧な愛……か」

 雄二が感心したように言う。

「アキ君。受け取ってください。私の愛を」

姉弟愛ふつうのやつだよね!?」

「もちろん。姉弟愛禁断のやつですよ」

 とてつもない変態がここにいる!

 ついとそいつは、姉さんの袖を引いてにぱっと笑った。――ずいぶん幼い表情で。

「ねぇねぇお姉ちゃんっ。ぼくおしっこしたい!」

「中身が退化してるよ畜生!」

「理想のアキ君です!」

「こんな弟になってほしいの!?」

「ねぇねぇお姉ちゃん、お姉ちゃんのおっぱいにチュウし」

 結局力任せに緊急停止ボタンを押して、それ以上僕ならざる僕の暴挙を防ぐことができた。

「本当のラスボスは……玲さん!?」

「私よりスタイルがよくて……勝てない!?」

「ないから! 絶対にないから!」

 それでも喧噪さめやらず、僕は必死になって、みんなに吉井姉弟が健全な関係であるかを説明しなければならなかった。

 姉さんが一切協力してくれなかったことに、僕は恨みを抱かざるを得ない。

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