ぼくと理想の✖✖✖(2)
2
姉に続いて教室に運び込まれてきたのはコピー機にも似た大型の四角い箱型の機械だった。それで僕らのテスト結果――といえばいいのだろうか、先ほどの結果を測定するらしい。
手伝わされたのはもちろん僕たち男性陣だ。四人がかりならさして重くはなかったが、どうしてだろう、絞首台に自分で縄を結っているような気がしてならない。
「そもそもどうして遅れたのさ」
息を切らせながら、せめてもの揶揄にと姉の遅刻を咎めてやる。
「着る服に困ったとか、そういうのは止めてよ?」
常識人を装ってはいるが、この姉、時折常軌を逸した行動に出ることが少なくない。料理などは姫路さんと同じ領分だけれど、服装管理にも独自の哲学があって、簡単に言えば人の目を気にしないのだ。
去年帰国した際、ガウン姿だったというのはいまだに僕のトラウマスイッチだ。
今だって、いつも通りの黒のチノパンルックだ。ゲストとして呼ばれている立場としてはいささか普段着すぎやしないかと心配してしまう。スーツにネクタイとまでは言わないけれど……。
「まさか。アキくんは姉さんをなんだと思っているんですか。ちゃんと――」
するりと、姉さんはカバンから白衣を取り出した。化学の先生が着るような、羽織るタイプの白衣だ。
ホッとする。その手があったか、と手を打つほどだ。
白衣一枚羽織れば、それだけで研究者然としたふうにも見えてくれるから安心だ。
「――これに着替えますよ」
「安心できない!? 頼むよ姉さんしっかりして!」
白衣一枚とか何考えてるんだこの姉は!
「吉井君、ご自分の立派なお姉さんをそんな風にいってはいけませんよ」
「海外最高峰の大学を出てるんだ、あんたとは雲泥の差だよ」
高橋教諭とババァ長から口々に非難されてしまった。この学歴至上主義の権化たちめ、日ごろの姉さんを知らないからそんなことを言えるんだ。
「それと、遅れたのにはもうひとつ理由があります」
姉さんが指を立てて微笑むのと同時に、
「バカなお兄ちゃん!」
と背後から強烈なタックルを食らった。げふぅというダメージをこらえて振り返ると、そこには小学校低学年の女の子――美波の妹、葉月ちゃんが僕の腰回りにおでこをぐりぐりと押し込もうとしていた。
「葉月!?」
美波がいち早く反応して、僕から葉月ちゃんを引きはがそうとする。抵抗する葉月ちゃんが、僕の豊かでない腹肉をひっつかむのですこぶる痛い。
「おひとりで寂しそうでしたので、せっかくなので実験台――」
「実験台!?」
「――昨今の事情から危険と判断し、一緒に遊ぼうと提案したのです。純真無垢な少女の心理、比較対象としてこれ以上ないほど貴重なデータが採取できそうですから」
やっぱり実験台じゃないか。
「葉月ちゃん、やっぱりおうちに戻ったほうが」
いい年こいた高校生がこれから心身ともにあられもなく痛めつけられる大惨事に、純真無垢な少女を巻き込みたくない。美波も同じ思いのようで、頷き合って二人して葉月ちゃんの目線に顔を寄せる。
「ねえ葉月。確かに今日はパパもママも帰ってくるの遅いけど、お留守番、できるでしょう?」
「ヤです!」
「葉月ちゃん。これから血みどろの惨劇が繰り広げられるんだ……。スプラッタでホラーなやつ」
「バカなお兄ちゃんが守ってくれるから大丈夫です!」
僕が真っ先に死にそうなんだけどね。
説得に首を振り続ける葉月ちゃんに、結局僕らは根負けした。確かに姉さんのいう通り、一人でお留守番させておくよりは危険はない。……実験内容にもよるけれど。
ともあれ無事に準備が整った。姉さんに白衣を羽織らせることにも成功し、僕らと葉月ちゃんは足の折れかけた各々のちゃぶ台へと移動する。
「で、何をさせるつもりなのさ」
えらい先生様として招かれていたって、変に堅苦しく接することなんてできない。僕のいつもの気安さにババァ長などは眉をひそめていたが、当の姉さんに気にした様子がないのだから口出しはしてこなかった。
みんなから集めたテスト――ちゃっかり葉月ちゃんの分もだ――を興味深そうに読み返しながら、姉さんがいつもの落ち着いた声音で趣旨の説明を始めた。
「この学校は面白い試みに取り組まれていらっしゃいます。試験召喚……テストの点数を反映させた、実にオカルトチックな召喚獣を使役しているという点です」
使役、といういい方は少し異なる……と、僕は訂正しておかなければならないだろう。
あくまで僕らの試験召喚獣は、いくつかの例外を除けば成績向上のための「ゲーム」みたいなシステムだ。試験の点数をパラメータにして召喚し、操作して争わせて、団体戦なり個人戦なり――最終的には「楽しみながら勉強する」という目的がある。
多少ババァ長だけはこの革新技術の変わった運用を模索しているようだけれど、今のところ世界がVR技術に溢れかえったとか、あるいは逆にVRの世界に行けるようになったとか、そういう話は聞かない。
――ただ、姉さんもまた、そんなオカルトチックなVR技術の別運用を考えたらしい。
「私が特に注目したのは、召喚される召喚獣が、使役者のビジュアルや深層意識を一定のレベルで反映させている、という点です」
確かに僕らの召喚獣は千差万別だ。ミニチュア化された自分のぬいぐるみ、といった風体で、とりあえず戦いに用いられるものだから武装している。僕は木刀に学ラン。雄二はメリケンサックに学ラン。秀吉は巫女装束に長刀だし、ムッツリーニは忍装束だ。
「前に心象風景を投影したこともあったそうですね」
「ああ、お化け屋敷の時と――」
「ホンネをしゃべる自立型召喚獣じゃな」
召喚者二人の子供をシミュレートする、自分の未来をシミュレートする、なんて悪魔の実験も行われた。全部ババァ長発案のはた迷惑な行為だ。
――そういえばあの実験の数々、考えてみれば相当な先進技術のように思えてきた。何せ僕らの特性みたいなものが、毎度毎度より強調されていたのだから。
本音をしゃべる召喚獣は本当にホンネがダダ漏れになっていたし、お化け屋敷では心に傷を残すくらいシュールなお化けが登場してきた。僕はデュラハン(頭が空っぽ)。姫路さんがサキュバス(エロ)。美波に至っては……いや、深く思い出すのはやめておこう。なんとなく思考が美波に漏れている気がする。
「あんたらの特性と召喚獣がリンクしてるシステムは完全にブラックボックスさね。オカルトっていっちゃ身もふたもないが、正直いまだに解明されてないねぇ。うまく使えないか実験もしてみたが、あんまりいいデータも取れなかったもんでね」
このババァ、さんざん人を巻き込んだ挙句意味がなかったと言い切りやがった。今度校長室に鉄人写真集でも送り付けて――。
「今回は」
僕らの怒気を、姉さんの穏やかな声が引き取る。
「そうしたブラックボックスに、心理学的なデータを加味して一定の方向性を出力し、精度をより高めた投影を行おう、というものです。これはミヒャエル・エリノーチカ博士の取り組まれた論文にも――」
「待って、待って姉さん。専門的な話は判らないよ」
うんうん、とみんなが頷く。霧島さんや姫路さんは秀才だけれど、大学で、ましてや世界最高峰の研究機関で行われている実験内容や論文まで把握しているわけじゃない。見れば高橋教諭はともかく、ババァ長だってぽかんと口を開けているじゃないか。
「そうですね、でしたら――」
かみ砕いて説明するのも頭のいい人の特徴だという。要は、試獣召喚と叫んで何が現れるか、それだけ教えてくれればいいわけなのだけれど……。
「論より証拠、ですね。誰かに早速召喚獣を出してもらいましょう」
――残念ながら姉は天才肌だったようだ。
僕らは一足飛びに絞首台を駆け上ったらしい。ふと姉さんの優し気な目が僕を射貫いた。これはつまり。
「ではアキくん――」
「くじ引きにしよう!」
危ないってことだ。
とっさに大声で提案し、僕はあらかじめ用意してあった番号付きの割りばしを掲げた。
いつぞや王様ゲームに使ったやつだ。後生大事に抱えていて助かった。
何が召喚されるか、自分の何が暴露されるかわからない――そんな恐怖心の中、意を決したみんなの瞳が、僕の持つ割りばしへと向けられた。
3
「うーん、こういうのには強いはずなんだけど……」
1の番号を引き当てたのは工藤さんだった。普段の朗らかさからは程遠い、苦み走った顔で割りばしを睨んでいる。確かに生贄の羊に供される役回りになった記憶には乏しいけれど、これもクジ運というやつだからあきらめてほしい。
僕はといえば、棒にこっそり傷をつけておいたという前準備が功を奏し、九人中七人目というよい順番だった。というか一切の迷いなく最後尾の棒を確保に走った雄二とムッツリーニが恐ろしい。王様ゲームの傷作戦はひそかに露見していたのか。
結果的に、工藤さん、秀吉、姫路さん、美波、霧島さん……と不自然なほど女性陣が早い順番に固まることになった。
「アキ、これ……」
「明久君、この結果は不自然です」
「……雄二。後で話がある」
うすうす女性陣も感づいているようだけれど、知らぬ存ぜぬで通す所存だ。いざとなれば焼却処分するしかない。
「では工藤さん。召喚の手順はいつも通りに。それと、いざというときはこちらを使ってください」
姉さんの立つ教卓の前に、早押しクイズに使われるような赤いボタンがずずいと置かれた。
「強制停止ボタンです。これはマズい、というものが出てきたら、使ってください」
「これはマズいってものが出てくるんだ……」
教卓の赤いボタンを見つめるみんなの顔が引きつった。
「試獣召喚と同時に連打したいくらいじゃのう」
しかし何せ教卓との距離がなかなか遠い。他者の妨害すら不可避だろう。
一瞬の逡巡ののち、工藤さんは大きなため息を一つついて、
「仕方ない、どうなっても知らないよっ!」
と思いっきりの良さを見せた。
幸か不幸か、いやだいやだじゃ許されない、そんな校風を彼女も十分理解している。
「
工藤さんが叫ぶ。見慣れた幾何学文様が彼女の隣に展開され――少しずつ、寄り集まった青い光の粒が等身大の人の形を成し始めていった。
「こいつぁ……」
立ち現れた召喚獣――というにはいささかリアル志向の人物に、僕らは一様に唖然とする。
少し陰のある、二十代半ばくらいの物憂げな美貌の持ち主の男性が、不自然なほど長い脚を組んだポーズで鎮座していた。モデルか俳優といわれても疑わないかもしれない。
「イケメンね」
美波が容姿を端的に表現し、
「…………そしてマッチョ」
それからムッツリーニが最大の特徴を付け加えた。
そう。物憂げに流し目を送る細面の顔立ちからは想像できないほど、目の前の召喚獣は肉厚な胸板とバキバキの腹筋、丸太のような二の腕を晒しているのだ。前のはだけた半袖シャツ一枚という状況は二月には寒々しいものの、なんとなくモデル雑誌の表紙でも飾っていそうなセクシーなスタイルだった。
呼び出した張本人、工藤さんはというと。
「う、うはぁ……」
語尾にハートマークでもつけそうなくらい、ぽっかり口を開けて見惚れていた。今にも胸板を摩って感触を楽しみそうなくらいだ。
「とりたてて奇妙なものには思えませんけど……」
妖怪とか、子供とか、未来の自分とか……あからさまな出落ち風のものではなくて、姫路さんが小首をかしげる。いや、セクシーでマッチョな美形が現れただけでも出落ちくさいけれども。
「こいつは、もしかすると……」
雄二が沈思して冷や汗を流し始める。そのわきで、同じことに思い至ったのか、秀吉までもが青い顔をしていた。
「わしは尊厳を失うかもしれんのじゃ……」
「工藤さんは、そういう感じなんですね」
姉さんの、優しげだが意味深な言葉に、ぎくりと工藤さんが肩を震わせた。
「もしかして、玲さん……。これって」
「はい、そうです。オカルトチックな心象風景に、学術的な心理分析を加えて描き出した――召喚者の『理想の異性像』です」
瞬間、工藤さんがちゃぶ台を蹴って、いつにないアグレッシブさでバシンと強制停止ボタンに手を伸ばした。
「見なかったことに!」
――できるわけもなかろうも。
「あれが愛子ちゃんの理想の男性……」
「すごくマッチョだったわね」
「……スポーツ少女らしい憧れ」
女性陣はそんなふうに品評しているけれど、
「陰があるところはムッツリーニっぽいけど……」
「体つきはスポーツというより見せ筋じゃのう」
「肉欲の現れってことか……」
男性陣はオンナノコにも性的な興味ってあるんだ、とちょっと前かがみに慄いていた。
工藤さんは保健体育実践派を自称するだけあって、男性の性的な部分に臆さず理想を埋め込んでいるらしい。これは確かに人に知られたくない。というか、今後見る目がちょっと……変わってしまいそうだ。
「とりあえず……」
うがぁ、と頭を抱えて蹲る工藤さんという、結構貴重な光景からあえて目を逸らして、僕らは隣で妙に腹肉を気にするムッツリーニに視線を向けた。
「ムッツリーニの誕プレは、プロテインだな」
あれだけガチガチに割れた腹筋と比べてしまうと、道は果てしなく遠そうだ。
「――こんなのはありえない……」
不意に、今まで悶えていた工藤さんがゆらりと立ち上がって僕らを見た。とろりと尾を引くような赤い瞳は、間違いない、犠牲者を増やしてやろうという悪魔の視線だった。
「ムッツリーニ君。次、君だよね」
「ちがっ……」
ムッツリーニがブンブンと首を振る。彼の順番は9番目、つまりオオトリだったわけだけれど――。
「ほらムッツリーニ。いやだいやだじゃ先に進まないでしょ?」
「女に恥をかかせたままじゃ男が廃るだろうが」
「何をしておる。指名があることを誇りに思うのじゃ」
「…………裏切りが早い……!」
保身安全を最優先した僕らに、ぎりっとムッツリーニが奥歯を噛みしめる音が聞こえるようだった。生贄を捧げるときは潔いほうが被害が少ない。ここは素直に、工藤さんの望みを叶えてやるほうがいいはずだ。
「…………ぐっ! さ、
周りの空気と、何より工藤さんの殺気漲る脅迫めいた視線に背中を押されるようにして、ムッツリーニがしぶしぶといった風に召喚を開始する。
幾何学文様に光が集まり、肌色というムッツリーニならではの色彩を象っていく。というか肌色しかない。ようやく赤い色が現れたと思ったらすでにそれは覆面で――。
「顔を隠して体隠さず! けっこう仮め」
バシン、と緊急停止ボタンが叩かれて、現れた直後に危なすぎる肌色の物体は消え去った。
いろいろおっぴろげる直前、姉さんのファインプレイだ。葉月ちゃんもいる手前、僕だって惜しかったとか言えない。
「…………これは何かの間違い」
ムッツリーニが目を閉じて、何にもなかったかのように瞑想を始めた。
「身体だけあればいいってことか。本当にむっつりスケベだな……」
「ムッツリーニというより変態ね……」
「あはは、ちょっとその、ムッツリーニ君」
男性陣女性陣から漏れなく白眼視されているムッツリーニに、代表するように工藤さんが進み出て苦笑いを浮かべた。
「ちょっと……。ドン引きかな――」
「…………ぐっぅ!?」
最も攻撃力の高い人に、最も攻撃力の高い武器をぶつけられたようなものだ。われ関せずを貫こうとしたムッツリーニの身体がぐらつき、そして許してくださいと言わんばかりに床に両手をついてしまった。
救う手立てはないだろう。――その性根も含めて。
「おそらく土屋君の原風景、なのでしょうね」
酷薄な様相を呈し始めた教室を、姉さんののほほんとした声音が揺らした。何かしらのフォローを入れてくれそうな気配で、思わず、といった風にムッツリーニがすがるような顔を向ける。
「土屋君の幼少期に、強い影響を与えたヒーロー像、ヒロイン像なのでしょう。それを忘れないで追いかけ続けることは、決して少なくないことですよ」
「けっこう仮○だけどね」
「影響……っつーか、ムッツリーニの性の目覚めだろうが」
「ぐっふ!」
雄二が容赦のない残忍さで急所を抉った。肢体にムチ打つ残酷さと、そして自分のソレも暴露されるのではないかという未来予知に顔を青くする。
「…………けっこう仮○は正体不明の正義のヒーローなんだ……。俺の憧れなんだ……」
ムッツリーニはついにいじけた様に蹲って、外界とのつながりを拒絶し始めてしまった。
「はい、みなさん。どんどん行きましょう」
緊張感と恐怖に満ち始めた教室に、ぱんぱんと手をたたく晴れやかな姉さんの声だけが異質に響いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます