仇は討つ! 復讐の土屋陽向

 方々から、斬り結ぶ音が響いていた。

 生徒会側勢力はもはや陣形など考えず、無理やり人員を投入して混戦に持ち込もうとしてくる。高得点者を僕らの輪の中に突っ込ませて注意を剃らす。崩れかけた場所をピンポイントに強襲し傷口を広げていく。

 要所要所を押さえた、的確な指示を飛ばすのは黒覆面の男――須川君だった。流石は異端審問会の元リーダーと言わざるを得ない。役目を終えた高得点者を、味方もろとも引き潰そうとする酷薄さはどこか雄二にも通じるところがある。

 けれど、この混戦模様を最初に掌握しつつあるのは木下さん――僕らの陣営だった。

 必死になって駆けずり回り、飛び込んでくる敵にわが身を削って対応し、着実に長蛇を方陣に組み替えきったのだ。連携の取りやすい形を作れれば、こっちは木下さんが選抜した精鋭中の精鋭だ。敵の突撃を二度三度と押し返し、手痛い反撃すら加えて始めていた。

「点数を減らしたものは一旦陣の中に入りなさい! そこから援護に徹するの! 弱った召喚獣でもサポートなら出来るわ、とにかく犬死厳禁! 一人でも多く道連れにしなさい!」

 敵の包囲は確実に狭まってきている。でも、一瞬にして崩壊しなかっただけでもありがたい。木下さんも相当点数を減らし、油断のならない300点台にまで落ち込んでいるが、まだまだ後方は粘れそうだった。

 むしろ問題はムッツリーニのほうだ。こっちは完全に攻めあぐねている。

「…………くっ!」

 圧倒的速さを誇るはずのムッツリーニの召喚獣が、ことごとく工藤さんの戦斧に跳ね返されてしまっていた。

 急所狙いは完全に警戒されていた。工藤さんの獲物である大きな戦斧は、今や鉄壁の盾として機能している。加えて、返しの一閃が強力な破壊力を持つ。そうそう当たるものではないとはいえ、ワンミスが命取りになりうる攻防にムッツリーニも額に汗を浮かべていた。

「…………すまない明久、これは手間取りそう」

 二人の点数差は100。その分だけ工藤さんをじわじわ削っているものの、このペースでは前を突破するより先に後ろが飲み込まれてしまう。

「いかん明久! 伏せるのじゃ!」

 唐突に背後から秀吉から指示が飛んできて、僕は咄嗟に召喚獣を地面に這い蹲らせた。飛び込んできた召喚獣が、僕の首を狙って鋭い一撃を放ったのだ。秀吉の警告がなければ食らっていた。

「この……!」

 相手の着地に合わせてこっちも木刀を叩き込む。胴を捕らえた――が削りきれない。返しの刀を受け止めて、つばぜり合いにもつれ込んだ。点数はこちらがギリギリ勝っている。一気に押し返してやる――と力を込めた瞬間、敵は俊敏な動きを見せて大きくバックステップした。

 上手い、などと感心している場合ではない。僕は最前線に釣りだされた格好になってしまった。

「大将首だ!」

 誰かの掛け声が飛んで、一塊になった集団が僕目掛けて様々な武器を突き出してくる。これは避けきれない――なら!

 一番点数の低い武器に、僕は召喚獣を突っ込ませた。腹部に鈍い痛みが走った。結構重いブローを食らってしまった。が、点数は残った。反動を利用して陣地まで飛び退ることも出来た。

「ちぃ、しぶとい……。あと一押し、行くぞ!」

「秀吉! 吉井の前に――」

 四度目の突撃が、今度は僕のいるほうへ集中的に敢行された。狙いを見て取って、木下さんが秀吉を差し向かわせる。が、その後が続かない。

 見れば、木下さんは敵の切り札だろう、300点台のトップ集団に囲まれていた。一対一ならまだしも、ここまで消耗を強いられた木下さんが対抗できるはずもない。

「木下さんに援軍を!」

 彼女を潰されれば僕らは統率を失う。が、他でもない木下さんの返事は明確な拒否だった。

「ここはいいから! 早く突破しなさい!」

 纏まった戦力のまま新校舎に雪崩れ込むという作戦は捨てるしかない――と、木下さんは判断したのだ。誰もが僕ただ一人を送り込むためにここで徹底抗戦し、討ち死にする――非情とも悲壮ともいえる最後の手段だった。

「ムッツリーニ、早く……!」

「…………判っている……だが工藤のガードが固い!」

「ボクは比較的オープンなほうだけど?」

 みんなの決死の覚悟を無駄には出来ない。けれど、昇降口の突破はムッツリーニに任せる以外に方法がなかった。急げ急げと背中をせっつく。ムッツリーニは苦渋の表情を浮かべて、再度召喚獣を光に変えた。

「甘いよ、ムッツリーニ君!」

 やはり跳ね返されてしまう。防御に徹した高得点者ほど、試召戦争で倒しにくい存在はない。工藤さんも数多くの試召戦争を経験しているから熟練の運用をしてくる。

「こうなったら僕も加勢して――」

「…………やめろ明久! その点数では風圧だけで消滅する!」

 僕の保健体育は54。お世辞にも誉められた点数ではない。――言い訳をさせてもらうなら、姉さんに参考書を軒並み焼却処分されたのが効いている。

「いいのかな、ボクだけに集中してて。――崩れちゃうよ? 後ろが」

「――しまった!」

 工藤さんの警告に振り返って、僕は苦悶の声を上げた。

 敵が繰り出した、陣中枢への四度目の突撃。防御を固めるのが、間に合わなかった。堪えきれず深々と敵の軍勢が突き刺さった。刺し込んだナイフをぐりぐりと動かすように、突き刺さった敵の主力から高得点者が解き放たれて、あっという間に最前線が崩壊する。

 木下さんの指揮がなくなっただけで、こうも簡単に――。

「後ろを立て直してくる! ムッツリーニ、頼むよ!」

「…………必ず突破する……!」

 とにかく粘って粘って粘りきるより他に、手段なんてない。

 状況は、僕たちと工藤さんの根競べの様相を呈し始めていた。



 いよいよ敵味方の区別も難しくなった陣の只中で、懸命な指揮を執っていたのは秀吉だった。

 秀吉の声はこの喧騒の中でもよく通る。少しずつ少しずつ周囲に味方を呼んで、その集めた味方を他所に送り込んで前線を再構成していく。陣が雲散霧消の一歩手前で踏みとどまり、一回り小さい方陣が再度組み立てられつつあるのは秀吉のおかげだ。

 ただ、やはり木下さんの抜けた穴は大きすぎた。マップ兵器みたいな超火力で、無理やりにでもスペースを作ることが出来ない。殆ど密着するような位置から陣全体を締め上げられて、もはや時間の問題なのは誰の目にも明らかだった。すでに秀吉自身、持ち点を二桁にまで減らしている。

「秀吉!」

 敵の召喚獣を切り払いつつ、僕は秀吉の隣に並び立った。秀吉は戻ってきた僕を咎めるように何事か言いかけたが、おそらくムッツリーニの試練に気付いたのか、すぐに意識を目の前の敵に向けなおした。

「……長くは持ちそうにないのじゃ」

「ううん、よくやってくれたよ秀吉。何でもする、指示を!」

「うむ、では明久、さっそく働いてもらうとするかの。攻撃を明久に集中させて、敵が分散しているうちに周りを立て直したいのじゃが、できるかのう?」

 その言葉に頷いて、僕はあえて見せ付けるように敵の最前線に切り込んでいった。僕の点数もすでに100点台の半ば。力と力のぶつけあいでは殆どの敵に勝てなくなってしまっている。

 けれど、毎日のように観察処分者として召喚獣を使役してきた僕には、主導権さえ握れるなら敵のど真ん中でだって避けまくる自信がある。ましてや相手が操作に不慣れな下級生主体となればなおさらだ。

「今じゃ! 押し返せ!」

 敵集団の意識が僕に流れたのを見計らって、秀吉が前線を押し上げ始めた。背後から殴られる形になったことで、敵が慌てふためく。

 このまま立て直せるか――と、再び敵陣を疾駆しようとした僕の召喚獣が、敵集団を駆け抜けて現れた黒覆面のミニチュアみたいな召喚獣に攻撃を受けた。咄嗟に木刀を振り回して迎撃体制をとるが、そいつは巧みな召喚獣捌きを見せて回避する。

「くっ、須川君――!」

 ここまで戦場をリードし続けてきた須川君が、ついに最前線に姿を現したのだ。戦争経験の多い元2-Fの面々は数多くの劣悪な戦線を生き延びてきた猛者ぞろいだ。こと元2-F相手には、操作の技量は勝敗を分ける決定的な要因にはならない。

「俺が相手になってやる……。一騎打ちといこうじゃないか、吉井!」

 下級生たちを押しのけて須川君本人が僕の前に進み出てきた。黒い覆面を脱ぎ捨て、多分胃の出血が続いているのだろう青白い顔を周囲に晒す。

 そんなになってまで戦おうとするなんて、並々ならぬ決意だ。下級生たちも須川君の凄みに押されて、僕たち二人を取り囲むように円陣を作り始めた。

 逃げられなくなった――ここにきて最大のピンチだ。

「くっ……」

 須川君の召喚獣を観察する。黒覆面の姿に、まるで裁判官が持つような木槌を巨大化させた獲物。審問会で処刑を決定する立場にいたという、彼の心の闇が反映されている。頭上に輝く点数は――54。

「一撃で落とす! 覚悟するんだ須川君!」

「ま、待て吉井! 話を聞け!」

 一騎打ちとはなんだったのか、飛びかかろうとした僕を制して、須川君は突然地面に両手両膝を付いた。Fクラスの得意技、礼法に適った完璧な土下座の姿勢だ。周囲の下級生たちの温度がみるみるうちに冷えていく。さっきまでのファインプレイが台無しだった。

「聞いてはならんのじゃ、明久!」

 秀吉の警告が僕の背を押してくる。

 元2-Fクラスは何だってやってくる。命乞い、不意打ち、脅迫、裏切り……恥も外聞もない言葉が並ぶけれど、生き残るためならどんな汚いことだって出来るのが2-F出身者の強みなのだ。当然秀吉だって知っている。

 彼らに対し一番効果的な戦術は『問答無用』だった。とにかく何かされる前にぶった切る。

 振り下ろされた木刀を済んでのところで交わし、須川君の召喚獣が全力で逃げ始める。醜い追いかけっこが始まってしまった。

「取引をしよう、吉井! お前にとっても悪い話じゃない!」

 聞くな、耳を塞げ、懇願も哀願も決して許してはならない。

 木刀と木槌のつばぜり合いになった。押し込まれながらも須川君は叫び続ける。

「俺は――秀吉を自分のものにしたいだけなんだ! 実は吉井のことなど眼中にない! お前のことは狙わない、絶対だ!」

「――乗った!」

「明久ッ!?」

 疑ってごめん、僕を見逃してくれるなんて須川君は本当にいいやつだ。

 それに引き換え――。

「す、須川よ! わしなんかより、アキちゃんなんてどうじゃ! あの子も人気じゃろう!?」

 秀吉は人身御供を捧げることに躊躇いがなくなってしまったようだ。すっかり精神性がスラム街の住人みたいになっている。

 ――ちなみにアキちゃんとは僕の女装姿のことだ。僕にはまったくその気はないことをここに明記しておく。

「どっちが好きとか、どっちが可愛いとか、そういう問題じゃないだろ!?」

 秀吉の言葉に強い否定を投げつけて、須川君は敢然と立ち上がるや、

「俺は――俺は秀吉がいいんだ!」

 鮮烈な咆哮が校庭に響き渡った。

「秀吉、君のことは忘れない!」

 僕は逃げ出すことにした。須川君のそのまっすぐで純真な気持ち――これっぽっちも関与したくなかった。

 そういえば円陣を組んでいる生徒たちはみんな半裸だ。つまり、ここにいる全員、秀吉狙いということじゃないか。僕が突っ込む必要なんて最初からなかったのかもしれない。

 須川君率いる軍勢が、大将たる僕を完全に無視して秀吉に殺到し始めた。それはそれで釈然としないけれど、

「まだ駄目だよ。――イクのは僕と一緒だ」(出典:家庭教師ラブティーチャーは不遜なオオカミ)

「覚悟しろよ? 俺は相当、イヤラシイぜ」(出典:ドクターの甘やかな報酬)

「――僕が、発情期だ」(出典:法律事務所に恋が咲く)

「飲み込んで……俺のエクスカリバー……」(出典:ナイトは妖しいのがお好き)

 ――こんな、いくらか頭をヤってしまった角川ル〇ー文庫の帯みたいな台詞を呟く半裸の集団と絡みを持ちたくない。ぶっちゃけ当事者でなくともトラウマものの光景だ。秀吉には悪いが、なんとか自力で終戦まで逃げ切って純潔を守り抜いて欲しい。

 召喚獣バトルなど関係ないとばかりに始まった押し合い圧し合いで、僕らの陣はついに崩れ去った。接戦、混戦ときて、ついには乱戦――というより乱闘があちこちで始まっている。誰が秀吉を嫁にするのかで仲間割れが起こっているらしい。

 校庭は、半裸の男たちががっぷり四つに組み合って肉弾戦を演じるという、近年稀に見る地獄絵図となった。男臭が充満する只中を、須川君の言葉通りまったく目を付けられない僕はどうにか無事に済んでいる。いや、いち早く逃げ出した秀吉も、辛うじて――。

「捕まえたぞ、秀吉!」

 駄目だったか。

 昇降口へ急ぎながらも、僕は秀吉の安否と純潔を気にして後ろを振り返った。肉体派のマッチョマンに抱きすくめられる秀吉の姿がそこにはあった。

 秀吉は衣服を犠牲にしてまで男たちの腕の中から逃れ出る。しかし逆効果だ。艶かしい秀吉の姿態に校庭の空気が最高潮に達した。このままでは秀吉の人生が変わってしまう――。

 が、地べたを転げ周り、秀吉は飛び掛ってきた男たちを避けきると、偶然目の前に現れた唯一の救世主――プリーツスカートから伸びる白い生足を見つけて咄嗟にしがみついた。

 そうだった。秀吉の目標は『誰でもいいから彼女を作り、自分が男だと証明すること』だった。もう戦争の決着を待つなんて悠長なこと、やってる場合ではないと気付いたのか。

 だけど――!

「だ、ダメだ秀吉、その人は!」

 僕の制止は届かない。距離が離れすぎている。

「わしは、おぬしのことが好きなのじゃぁ!」

 秀吉の告白が、そのよく通る声で校庭全体に響き渡った。

 誰もが足を止めた。

「秀……吉……?」

「うそ……じゃろ……」

 ――禁断の姉弟愛、その実物を目の前にして。

『ラノベならともかく、本物たぁドン引きだぜ秀吉……』

『人間としてそれはどうなんだ秀吉……』

『双子が好きとかマジのナルシストか秀吉……』

 周囲から上がる冷たい声に青筋を浮かべ、木下さん――秀吉のお姉さんはおよそ女の子がしていいものではない軽蔑の表情で、自分の足にしがみつく秀吉を見下す。

「これは違うのじゃ! 信じてくれぬか、姉う……」

『――よかった秀吉はまともだったんだ!』

『――じゃあ何の遠慮も要らないな!』

『――いっせーのせでイクぞ!』

「…………。これはその……そういうことじゃ……」

 秀吉はもはや真っ白な灰になってしまった。いまさら人違いだと訂正も出来ず、さりとて禁断の園へ進むわけにも行かず――木下さんにしがみついて、全てを悟った瞳で虚空を見つめている。

「木下家の恥ね……」

 ふぅ、と木下さんは悩ましげに肩を落とした。怒りよりまず、ストレスから退行現象を起こして口をもぐもぐさせるだけとなった弟に強い憐憫を抱いたのかもしれない。試召戦争を逸脱したこの乱痴気騒ぎに、どう落とし前をつけるか考え始めたのだろう。

「秀吉、安心しなさい」

 やがて解決策を見つけたのか、木下さんは晴れやかな顔で微笑んだ。そして秀吉の頭を一撫でしてから、

「全部お姉ちゃんがなかったことにしてあげる。秀吉も目撃者も、この世から消し去って……ね」

 と、死刑を宣告した。

 此度の戦争で最大の暴風が戦場を駆け抜けた。秀吉の、須川君の、半裸の男たちの、数多の召喚獣が一撃で吹き飛んで収拾の付かない大騒ぎになった。ちなみに彼らの本体も無事では済まされない。フィードバックはないはずだけれど、次々に半裸の男たちが崩れ落ちていく。召喚獣が放つ爆炎を隠れ蓑にして、木下さん自らが非人道的な攻撃を繰り出すのが逆光の中で見え隠れしていた。

 文月学園の女子は強すぎる。――武力も、それを行使してしまう精神も。

 今の木下さんに敵味方の区別はもはやないだろう。巻き込まれては堪らない。僕は必死になってムッツリーニのところへ急いだ。



 

「…………明久」

 ムッツリーニは未だに工藤さんを突破できていなかった。額に汗を滲ませて、劣勢の気配すら漂わせている。しかし、よくよく見れば優勢なのはムッツリーニだ。細かく削る作戦に転換したのが功を奏したのか、工藤さんとの点数差は300点にまで広がっている。これだけの開きがあれば、工藤さんだって防ぎきれなくなってくるだろう。

「…………秀吉は?」

 ムッツリーニの問いかけに僕は頭を振った。ムッツリーニはちらりと背後の阿鼻叫喚に目をやって全てを察する。逃げ惑う半裸の男たちに、暴れまくる修羅と化した木下さん――。

 この光景は現世にあって良いものなのだろうか?

「…………いいヤツだった」

 結果、深くは考えないことにしたらしい。ともかく、僕とムッツリーニが最後の生存者となったわけだ。

 乱闘騒ぎから距離を置いていた、工藤さん麾下の生徒だけが僕らを遠巻きに包囲している。彼らはギリギリ保健体育のフィールドに立ち入っていない。ムッツリーニの点数に怖気づいているか、あるいはドン引きしているか。

「あはは。大変なことになってるねぇ」

 点数差を気にした様子もなく、工藤さんは僕らの後方を眺めて面白おかしそうに笑った。あの地獄絵図を笑って済ませるだけ、工藤さんもたいしたメンタルだ。

「…………そろそろ終わりにする」

 300点もの差があれば、これまで鉄壁の防御を誇ってきた戦斧を打ち抜いてダメージを与えることが出来る。ムッツリーニが召喚獣をかがめさせた。

「たしかにまともに遣り合っても勝てない――けど、ボクもひとつ坂本君から策も貰っていてね」

 工藤さんの合図で、彼女の背後に整列した人影に、僕は慌てざるを得なかった。

「ムッツリーニ! 見ちゃダメだ!」

 工藤さんは水泳部――ならば、一様に恥らいながらラップタオルを羽織る女生徒たちは、その部員だろう。

「今日こそ勝つよ、ムッツリーニ君!」

 勝利宣言とともに、工藤さんの召喚獣が戦斧を振り上げて襲い掛かってきた。それにあわせて、背後の女子水泳部員たちがタオルを空に放り投げる。果たして、その下から現れたのはシンプルながらスレンダーな競泳水着のいでたちだった。

 マズい、こんな姿を見せられたら、ムッツリーニは――!

「…………甘い!」

 が、ムッツリーニはぎらりと眼光を輝かせると、目の前の楽園を一顧だにせず、ただ一人工藤さんを見つめて言い放った。

「…………もう俺は惑わない」

 そして次の瞬間、ムッツリーニの召喚獣が光となっていた。工藤さんの召喚獣を迎撃し、その勢いのまま周囲を駆け巡ると、一瞬にして保健体育フィールドを制圧してしまう。戦死者の屍を積み重ね、その上に立って構えを解くムッツリーニの召喚獣はどこか誇らしげだった。

「そんな!」

 工藤さんが驚愕に目を見開く。これまで必ず反応してきたムッツリーニが、よもやハニートラップを踏み潰して正面突破してくるとは。僕だって信じられない。

「砂で自分の目を潰すなんて!」

 ……捨て身の作戦だったのか。

 見れば、ムッツリーニは目を真っ赤に充血させていた。競泳水着の女生徒たちを視界にいれないためなのか、ムッツリーニは頭を垂れつつ工藤さんに向き直る。

「…………いつまでもエロいだけの俺じゃない。工藤愛子、この間はその、すまなかった」

 手段はどうであれ、今のムッツリーニはとても格好良かった。二人がどんな関係まで発展しているのか詳しく聞き及んだわけではないけれど、工藤さんとムッツリーニの間にはほのかな桃色の空気が漂っているような気配すら感じられる。

「驚いたよ、ムッツリーニ君。そこまでしてくるなんて」

 恥ずかしそうに、でもちょっと嬉しそうに、工藤さんは顔を逸らした。戦意を失ってくれた――のだろうか。

 未だ工藤さんの召喚獣は健在なままだ。間一髪、戦斧の柄で直撃を免れたらしい。ただ、残りの点数は300点台。例えムッツリーニの視界が不十分といえど、勝敗は決したといえる。つまり、ムッツリーニが合図をくれさえすれば、僕は新校舎に踏み入ることが出来るのだ。

 工藤さんの反応に頷いて、ムッツリーニがついに、僕の待ちわびた台詞を言おうとした。

「…………明久、早く――」

「駄目だよ、ここは通さない」

 が、300点の召喚獣をなおも奮起させて、工藤さんは凛々しい顔で昇降口の正面に立ちふさがった。

「…………ここまでしても許してくれないのか?」

 目まで潰したのに、とムッツリーニは不満そうだ。

「ううん、ムッツリーニ君の覚悟はよくわかったよ。ボクだって嬉しいんだけど――負けたままっていうのは悔しい」

 工藤さんが悪戯っぽく笑う。決着を付けたいという理由も、本気だったのか。

 読み違えたな、と苦笑交じりにムッツリーニは呟いて、最後の一撃を見舞うために召喚獣を動かし始める。工藤さんも柄の折れた戦斧を掲げて、攻撃態勢を取る。無謀な突撃にしか見えないけれど、底知れぬ自信が見え隠れしているのが不気味だ。

「…………その点数では無理だ」

「それはどうかな。ボクにはまだ、最後の手段があるんだ。時間が掛かっちゃって、間に合うかハラハラしたよ」

 そして、工藤さんは僕らの背後に目を向けた。その視線の先を追う。

 ――しまった、と僕が歯噛みするのと、ムッツリーニに動揺が走るのがほぼ同時だった。

「…………あれは……陽向!?」

 土屋陽向さん――ムッツリーニの妹が、混乱の中を戦いながらこっちに向かってきていた。

「…………卑劣な……!」

 ムッツリーニが憎々しげに声を搾り出す。生かさず殺さずといった塩梅で、土屋さんは上手くこちらへ誘導されつつあるのだ。

「工藤さん! あんまりだよ!」

 たまらず僕は抗議の声を上げた。この策はえげつなさ過ぎる。

 このままだとムッツリーニは――実の妹に保健体育900点という生き恥を晒さねばならなくなる!

「来ちゃ駄目だ、土屋さん!」

 僕の指示が届いているのかいないのか。どちらにせよ、無理な相談だった。すでに点数を大分減らされている土屋さんは、三匹の召喚獣にじりじりと押されるがままだった。

 兄とは違い総合科目の点数がそこそこ高かった土屋さんだ。精鋭としての選抜した木下さんの人選は当然の判断といえるが、ことここに至って裏目に出たか。最前線と最後尾に配置して、かち合うことのないよう配慮したつもりだったけれど、工藤さんは最初から土屋さんを誘導するよう兵を動かしていたらしい。

「あれ、お兄ちゃん――?」

 ついに土屋さんが僕たちに気付いた。そして、残った唯一の味方を頼ってか、こちらにまっすぐ向かってきてしまった。

「…………くっ!」

 兄としての尊厳を墨守するため、ムッツリーニが咄嗟に召喚獣を保健体育フィールドから引き剥がそうとする。その隙を、多分工藤さんはずっと待っていたに違いない。

「隙あり!」

「…………!」

 肉薄してきた召喚獣を、避けきることが出来なかった。当てにくい代わりにダメージ倍率の高い戦斧が一撃、ムッツリーニの召喚獣を真横に断ち割った。辛うじて体力を残して地面に墜落した召喚獣は、しかしもう残り二桁まで追い込まれてしまっていた。

「これはボクの温情だよ、ムッツリーニ君?」

 念願かなったとばかりに工藤さんは笑う。温情――その通りだろう。間一髪、ムッツリーニは妹に生き恥を晒さずに済んだ。が、それは同時に僕らの勝機が完全に潰えたことを意味する。

「お兄ちゃん!」

 悔しさに崩れ落ちる兄に、土屋さんが駆け寄った。

「24点!? そんな点数じゃ無理だよ!」

 お兄ちゃん、頑張ってたんだよ――と伝えるべきではないだろう。多分何の誉め言葉にもなりはしない。

 すでに周囲は包囲の輪を狭め始めていた。ここにいるのは最後の生き残りとなる僕とムッツリーニ。どちらも点数はレッドゾーン。襲い掛かられた瞬間、勝敗は決着するだろう。

 どうする。――どうにもならない。

「……私が仇を取ってあげる!」

 諦めかけたその瞬間、勇敢に立ち上がったのは土屋さんだった。そうだ、まだ一人だけ残された戦力がいる。

 保健体育フィールドに飛び込んだことで、土屋さんの召喚獣がその意匠をきらきらと変えていく。現れたのは兄と似たピンクのくのいち姿だ。

 点数は――210。

「流石はムッツリーニ君の妹……いうべきなのかなぁ」

 工藤さんの好評価は当然だろう。この点数、新一年生としては大分高い。周囲を牽制する程度には充分すぎるほどだ。だが、肝腎の工藤さんには到底及ばない。

「久しぶり、陽向ちゃん。でも、その点数じゃボクには勝てないよ」

 二人には面識があるのか、工藤さん自身は少し戸惑い気味だった。ムッツリーニを通しての交友だとしたら、なんだかんだムッツリーニ、僕に隠れて相当充実した高校生活を送っていたようだ。

 けれど、工藤さんが朗らかな笑顔で挨拶をする一方で、土屋さんの目には殺気が篭っている。言いたいことがある、という面持ちだった。

「許さないです!」

 土屋さんがくのいちの召喚獣をまっすぐ走らせた。だが、惜しいかな兄のそれと比べて格段にスピードが遅い。ムッツリーニとの戦いに慣れた工藤さんにしてみれば、カウンターを叩き込む絶好のチャンス――!

「覚悟してください――愛子お義姉ちゃん!」

「ふぇ……!?」

 土屋さんの一言に、工藤さんの防御が崩れた。小刀が肩口を切り裂き、点数が大きく減少する。着地した土屋さんの召喚獣は、すぐさま身を翻して連続攻撃を仕掛けて始めた。受けに回ることになった工藤さんは、いまいち集中力を欠いて防戦一方に追い込まれていく。

「日向ちゃん! その呼び方は恥ずかしいからやめ――」

「愛子お義姉ちゃん! どうしてお兄ちゃんの気持ちに気付いていながら、いつも苛めるんですか!」

「苛めてなんか、というか苛められてるのはむしろボクで――」

 うん?

「ムッツリーニ? 何か僕に弁解すべき事柄はないかい?」

「…………違う、愛子が言っているのは明久の想像するようなことでは――」

「名前呼び? 今ポロッと出てしまった感あるよね? 込められている情が違うって言うか」

「…………黙秘権を行使する」

 こいつ、だんまりか。おかげで僕らを取り巻く生徒たちの殺意がぐいぐいボルテージを上げていっている。遅かれ早かれ身体を痛めつけてでも二人の関係について問い質すことになる――。

「知ってるんですか愛子お義姉さん! お兄ちゃん、リビングのパソコンで『土屋愛子』の姓名判断調べてるんですよ!? グーグル検索の履歴に残ってました!」

「…………ぐふぅ!?」

 ピュアか。

 予想以上に早く身体より先に心にダメージを受けることとなり、ムッツリーニが悶え苦しみ始めた。家族共用パソコンはこれがあるから怖い。

「ムッツリーニ君、それはちょっと話が早すぎるんじゃないかな……」

 ほら、工藤さんだって引いている。中学生くらいではありがちな話かもしれないけど、勝手に名前を使われるというのは誰だって気持ちが悪いに決まっている――。

「……それと『土屋愛子』だと字画悪いって出るし、いっそ『工藤康太』とかの方が――」

『――殺るか?』

 いけない、工藤さんが満更でもない感じに頬を赤らめたものだから、一触即発の空気になってしまった。土屋さんの奮戦はありがたいけれど、いい加減暴露話は辞めさせなければ。

「土屋さん、もうそれくらいにして――」

「そんなお兄ちゃんを……年頃の男子を、日々悶々とさせるなんて間違ってます! おかげでお兄ちゃん、夜になると毎日」

「本当にもうやめたげてよぅ! 君のお兄ちゃん息してないんだ!」

 友人だからというより男子高校生代表として止めなければ。それだけは――それだけは勘弁してやって欲しい。すでにムッツリーニは、秀吉と同じく明日から拭い去ることの出来ない業を抱えて生きなければならないのだから。

「一体お兄ちゃんと愛子お義姉ちゃんはどこまでいっちゃったんですか! 愛子お義姉さんは実践派ですから、きっと私の想像も付かないようなところまで――」

 召喚獣と暴露を四方八方に振り回す土屋さんの行動は、もはや暴挙暴走の類だった。動揺を隠し切れない工藤さんをぐいぐい押しこんでいるけれど、引き換えにムッツリーニに向けられる殺意が今にもはちきれんばかりになっている。心停止状態でぐったりするムッツリーニはもはや戦力外だ。誰かが一言殺せと叫ぶだけで、試召戦争をうっちゃった大乱闘がここでも発生しかねない。

「ま、まだ付き合っても――」

「そんなの信じられません! 愛子お義姉さんは実践派ですから、きっと――」

『ムッツリーニを……』

 マズい、これは止められないか!?

「まだキスまでの私と久保君より、二人はずっと前に進んでるに違いありません!」

『ムッツ――いや、久保良光を殺せ!!』

 ……うん。心なしか校舎のほうから良光君の悲鳴が聞こえた気がする。僕を取り囲んでいた兵たちも、雪崩を打って旧校舎のほうへと駆け出していった。もののついでとばかりにムッツリーニの召喚獣と本体を蹂躙していったのだから彼らも容赦がない。これで秀吉に続き、ムッツリーニも脱落だ。

 気付けば昇降口前は空っぽになっていた。唯一残った戦力である工藤さんは土屋さんの口を塞ごうと必死になっていて、僕に気が回っていない。完全突破のチャンス――なのだけれど。

「みんな、ありがとう――?」

 なんだかいまいち、こうじゃないんだよなぁという落胆が拭いきれなかった。てっきり燃えるようなシリアス展開の末、傷つき倒れていく仲間たちの声を受けて新校舎へ突入するものだと思っていたのだけれど……。

 仕方ない。こうなれば僕だけでも、せめてものシリアス展開とやらを演出してやらなければ。

 悲壮な決意と孤独感を胸に、頬を叩いて気合を入れると、僕は単独新校舎へと走り出した。



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