一の段其の六幕 女神降臨






「かんのんさま、きれいだもんなあ」

 護衛がわりについてきた男が、あまりにその女性のことを褒めるのが気に障り、女は洗濯物から目をあげず、ぽつりと言った。


「観音様……ああ、美亜様のことか」

 一瞬、女が何を言ってるのか判らなかったが、自分が今まで賞賛してきた人のことに思いあたり、男はすとんと納得した。


「おとこしゅうは、みんないっとる。みあさまは、めがみさまでかんのんさまじゃと」

 そんな男の態度が、また無性に面白くなくて、女はぶすっとした声をだす。


「……ひょっとして妬いとるのか、お前」

 今までそんなそぶりを見せたこともない女が見せたその態度に、男は頬をゆるめながら言った。


「……そんたらこといっとらん」

 むっとして顔をあげた女は、実に嬉しそうな顔をしている男を見て、少し鼻白みながらそう言い返した。


「美亜様は、美しゅうて賢くてお優しいかたじゃ。皆、慕うとる」

 男は、気にかけていた女が自分に関心を抱いていたのだと知って、ここぞとばかりに口説き始めた。

「じゃが、それは女と想うてのことじゃない。あの方は久遠様と同じ神仏のようなかたよ。触れるなど畏れ多い。わしらにはお前のような女のほうが愛おしい」


 そんな男の態度に、今まで感じていた苛立ちが消えていくのを感じた女は、そのとき初めて、自分がこの男に好意を抱いていたことに気がついた。


 天文五年、春も終わりのある日の昼下がりのことである。


「わたしには恋はできませんからね」

 さとの周囲の監視を任せていた美亜が、ぽつりとつぶやくのを聞いて、久遠はナノマシンで土を変成して鉛筆を作る作業をやめて、まじまじと美亜を見つめた。


 本人が言っているように、生体アンドロイドである美亜に恋愛感情というものはない。

 生体とは言っても、美亜は動物よりは植物に近い存在だ。


 肌には、うぶ毛一つないし、汗や涙などの排泄物も動物のそれではなく、果汁のような芳香性の液体だ。

 食事もさして必要ではなく、性欲は存在せず、排卵なども当然ない。


 顕微鏡などの検査機器を使って調べなければ判らないほど人間そっくりであっても、陸上に住む脊椎動物に見られるような生殖本能とは無縁の存在なのだ。


 女神同然の扱いを受けている今と違い、過去には美亜の人間離れした美貌や理想的な肢体スタイルに惑わされた男は多かった。

 しかし、そういった面ではAI制御のロボットと変わらない彼女が、そのことで変化することはなかった。


 美亜が恋というものに興味を示したことがなかったわけではないが、それは知識的興味でそれも前世で生まれたてのときだった。

 この数十年、彼女が恋愛について口にしたことはなかったのだ。


 転生で彼女の魂魄を自分の魂魄に融合した副作用だろうか?

 それとも何か他の要素による変化か?


「昔みたいに恋をしてみたくなったのかな?」

 見られていることに気づき、何でしょう?、というように、自分を見返した美亜に、久遠は微笑わらいながら問いかける。


「いえ。過去に久遠様の妻として行動していたときのことを思い出しました。あの頃、よくわたしが言っていたことを憶えておいでですか?」


「……ああ。そのことか」

 久遠は笑みを苦笑にかえて憶えていることを認めた。


 美亜は、前世でよく久遠は恋をしないのかと尋ねていた。

 自分を好きになってくれという意味ではなく、人間を妻にしないのかという意味だ。


「昔も言ったように、人間と違って恋愛物質といわれる科学物質に、仙人は影響されない。純粋に人として尊敬でき、愛すべき存在に出会わなければ子は成さないのだ」


 相も変わらず久遠のことしか考えない美亜に、やはり彼女は変わらないか、と少し残念なような気分になった久遠だが、彼女が今まで以上に久遠を深く想うようになったことには気づかなかった。


「前にも言ったが私はまだ2歳だぞ。肉体年齢は5歳程度になっているが、母達はお前に仙術を習っているという言い訳があっても、私が目の届かないとこにいるのが心配のようだ」


 もっとも父は喜んでいたが、と笑う久遠に美亜も笑い返し話は終わった。

 確かに久遠の年齢で妻をめとるなどという話が出るのは、結婚を権力拡大の道具としている貴族か武家くらいのものだ。


 そして、久遠も美亜も、そういった論理で動く社会を創ろうとは思っていない。

 未だ道は遠く険しいが、新しい世界を造る為の準備と行動はもう始まっていた。 

 




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