第7話 君、決めん
この世界にはもう“一匹”、人ならざるモノが人に混じって入り込んでいたではないか!
「触手……“クッション”ですの!?」
即座に空を蹴って降下したダブルセイバーだが、既に遅い。
加速という手段を提示した触手の意図に、累は即座に気づいていた。触手がそうやって拓いた道を、自らの意思で走る決意を即席で固めた。速度を増しながら、地上に触手を“溜めていく”。へびがとぐろを巻くように、らせんに積み上げて大きなバネを作り上げていく。触手の強度は、言うなればゼリーとゴムの
触手の意図は単純明快だった。落下地点にクッションを作って累を受け止める。
速度を落とせば追いつかれて殺される。追いつかれないようにすれば地上に激突して死んでしまう。触手の示した選択肢は、そのどちらでもなく、現状では累が生き残るために唯一許された可能性だった。
しかしなぜ累は、最初からその選択肢に辿り着けなかったのだろうか。自分をどうこうできないのなら、激突する方に細工をすれば良い。一つ目にとは言わずともいずれ思いつきそうなものであるが、さっきまでの累であればおそらく、決して辿り着かなかった選択肢に違いなかった。
理由はやはり、単純明快だ。
それは“触手に全てを委ねる”方法だったから。
累はそこまで触手を理解していなかったし、触手に信頼をおいてもいなかったのである。
だが、そのことで彼を責めることはできない。累と触手は出会って十分かそこらの仲だ。しかも仲と言ったって、相手は人間ではないのだ。喋りもしなければ、笑いも怒りもしない。身体から生えているからといって心まで一緒なわけではなく、触手の内心も伝わって来ない。勝手に動いて魔法少女を叩き付けたかと思えば、押し黙って累の指示に従い、回収されたり射出されたりする。その感覚は全くもって手足のようであり、同時に既存の手足とは全く違った独立した第五の肢でもある。
端的に言って意味不明であり正体不明。言うことを聞き、またそれに逆らう意思を持った三本目の腕にして十一本めの指。こんなものが身体から生えているなど、今もってそれほどの実感を持っているわけではない。それは決して難しい話ではなく、さっき初めて顔を見た人間を信用できるはずもないように、さっき初めて会った触手も信用できるはずがないだろう、ただそれだけのことだ。
だが、そうした感情とは別に、認めなくてはいけない事実もあった。
触手が最初に勝手に動いた時。もしも触手が沈黙していたらどうなっていただろうか。
累は事前の攻撃で地面に顔を埋められていたから、外の状況が明瞭に分かっていたわけではない。触手を通していくらかの情報は伝わって来ていたはずだが、受け取る側の累が攻撃を食らって少しばかりもうろうとしていたのだから意味がない。何にせよ、魔法少女のこれまでの行動を見る限り、まず間違いなく彼女は何らかの追撃を用意していたに違いなかった、と累は見ていた。
……言うまでもなく、この推察は当たっている。
累はあの瞬間、トドメをさされかけていた。“本当にその追撃で死んでいたかどうか”は実際に殺されてみなければ分からなかったが、ダブルセイバーがトドメをさすつもりであったことは紛れもない事実である。
累の手ではどうにもならないピンチが、累の頭上に振りかざされていた。しかし、累は脱したのだ。他ならぬ触手の活躍によって。
累は命を救われている。そして今も、生を諦め死を覚悟した累に、触手はその“手”を差し伸べた。
「どうにかなると、こいつは知っているんだ」
ピンクのクッションができあがっていく。文字通り、それは肉の塊だ。しかもぬるぬるした肉の塊だ。あんなものに頭から突っ込むのか、と思うと嫌悪感が後から後から湧き上がって来るのだが、そう贅沢ばかり言ってはいられない。もう贅沢を口にしている暇もない。
【この速度、受け止め切れるのかしら】
声の疑問はもっともだった。累とて答えを持っているわけではなかったが。
「触手は大丈夫だと思っているんだろう。俺よりもずっと、こいつは自分のことを知っているはずだ。なら、大丈夫なんだ」
と、返した。
信頼、というよりは、それも一種の諦めであった。もはや触手に任せるしかない。好き嫌いを並べる以前の問題で、累にはそれ以外に残された道がなかった。だから、仕方なく、どうしようもなく、触手に身を委ねるに過ぎない。声は少しだけ諦めたような、悟ったような優しい調子で。
【それも信頼だわ】
と、微笑んだ。
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