第5話 君、落ちん

「あの魔法少女、捕まえれば俺は助かるのか」

【助かるわ。いえ、厳密にはもう一手間。魔法少女から“魔法を奪って”無力化すれば、あなたは助かるのよ】

 魔法を奪う。

 魔法少女なのだから、それはもう、魔法を持っていたって何も不思議ではなかった。もはやその辺の新たな常識について問い詰める時間も無駄なのだろうと、累は勘づき始めていた。今はやむなく鵜呑みにする。助からなければ先はないのだ。

【分かっているじゃない。それじゃあ助かりましょう。あの魔法少女を打ち倒すのよ】

「……そんな簡単に捕まってくれるのか?」

【触手は魔法少女を振り回した。多分単純な力比べならそう負けはしないのだと思う。でも“今の彼女”はどうかしら】

 魔法少女は変身してからが本気なのだという。そもそも魔法少女とは変身するものだが、最近の魔法少女は更に一段階、先に進めるらしい。その先が、あのダブルセイバーと呼ばれていた魔法少女の場合はジャージの姿、というわけだ。

 現実的に考えるなら、ドレスよりもジャージの方が動き回るには適しているに違いない。そして、夢がないにも違いない。累の触手は今の所、夢のない方の魔法少女とは戦っていなかった。

【夢なんて、最初からなかったでしょう】

 それはそうだ。

「とにかく、捕まえる」

 未だ勢いの落ちない空中で体勢を整える。左手を思いきり引いて千切れた触手を回収すると、今度は自分の飛んできた方に向かって腕を伸ばし、構えた。

 最短を真っ直ぐ追いついて来るのなら、飛んできた道を辿ってくるはず。ミニチュアのように遠く小さくなった地上。緑のタイルを背にした空の中に、魔法少女の姿はなかった。まだ見える範囲まで来ていないのだろうか。

【魔法少女は空を飛べる】

 今更な情報だ。そもそもダブルセイバーは、空から降りてきて累の前に現れたのだから。

【だから飛んでくる方向も一方とは限らない】

 それも承知している。しかし、累は自分がとんでもない速度で吹き飛んでいることを自覚していた。空がどこまで続いているのかは分からないが、少なくとも、草花の区別もつかない緑色の真っ平なタイルのようになってしまった地上を見れば、自分がどれだけの高さまで来たのかが分かる。視界は雲らしき霧に霞み、肌寒い。高度いくつと正確に言えるものではないにせよ、これほどの速度にそう易々と追いつけるはずが。

【あるのよ。だから魔法少女なんじゃない】

 急に影が差した。日が雲に隠れたにしては、身体が覆われるのが早すぎる。振り返る間もなく、またも脳天に衝撃が走った。累の悲鳴は、突き落とされる身体が受けた風圧に掻き消され、空に消え、かつ彼は空から消えた。

 累のいた場所にはダブルセイバーが浮いている。両手を組んで振り下ろした姿勢のままくるりと一回転し、真下に向かって宙を蹴った。まるで見えない板があるかのように、逆さのまま空に足をつき、バネのように膝を縮めて、ずどんと蹴ったのだ。地面が抉れる代わりに、空では雲が抉れた。大地が悲鳴をあげる代わりに、空気がその身を揺らした。大きく、穴が出来る。

「くそ!」

【油断しないの】

 累は空を飛べない。だから落とされれば落ちるだけだ。急速に地上が近づいて来る。そのまま激突して木端ならぬ肉端微塵になるなど考えたくもなくて、ほとんどやみくもに、累は落ちる方へと触手を撃ち出した。ばしゅん、と粘液をまき散らして勢い良く触手が射出される。回収した時は生肉を乱暴に引き千切ったような切断面だったのが、既に傷は回復し、目も鼻も口もないらしい丸っこい……まさにみみずライクな先端へと変わっていた。

【さすが、宿主に似て治りが早いわ】

 声は暢気なものだ。努めて無視し、ともかく、触手の先端を仮に頭とするなら……触手は頭から、累よりもますます速く降下した。

 やみくもだが、何の算段もしなかったわけではない。少女一人を軽々と振り回す怪力である。男子高校生を支えるぐらいは問題ないはずだ。しかし、この勢いを前にしても同じ結果になるのかは分からなかった。今は触手を信じる他にない。マンションの二階から飛び降りているのとはわけが違うのだ。

 地上に着いた触手が勢いを殺し、安全に地上に降りられれば良い。多少怪我をするようなことがあっても、すぐに治るだろう。そう考えていた累だが、もちろん、これは見通しが甘かった。

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