元禄ぷろれす武芸譚 ケンタくん、ラリアット!

石田 昌行

序章

プロローグ

「ここはどこだ……」

 目を覚ました青年は、そう呟いて思わず周囲を見渡した。

 あたり一面に広がる竹林が、否応なしに視界の中へと飛び込んでくる。

 立ち並ぶ竹同士の密度は、間を人がかろうじてぶつからずに通れるくらい。

 頭上に伸びた葉が、降り注ぐ日光を遮り、適度に心地良い日陰を形成していた。

 跳ね起きるように青年は身を起こした。

 そっと吹いた微風が、かすかに竹の葉を揺らして乾いた音色を奏で出す。

 本当にここはどこなんだ。

 青年は思った。

 なんで自分はこんなところで横になっていたんだ。

 自分はいまのいままで、団体バスに乗って目的地へと向かっていたはずだ。

 通路を挟んで隣りのシートに座っていた先輩が、読書中の自分に話しかけてきたことまではおぼえている。

 だが、そのあとの記憶が曖昧だ。

 鈍い痛みが頭蓋を襲う。

 打撃による痛みではない。

 なんというか、強く三半規管を振り回された時に生じる不快感が強くなった、そんな感じの痛みだ。

 誰かが自分をこの地まで移動させたのか。

 もしかして誘拐?

 いわゆる「事件」に巻き込まれたって奴か。

 いや、そんなはずはない。

 そんなことが、できようはずはない。

 そもそも、自分が乗っていたバスの中には、同じ団体に所属する仲間たちが十人以上も一緒にいたのだ。

 仮にそんな事件性の強い出来事が起きたとしても、自分だけがそれに巻き込まれるなんて状況はありえるものだと思えなかった。

 いったい何が起きたんだ。

 額に手をやり、直前の記憶を必死になって思い出す。

 やや時間が経ってから浮かんできたのは、けたたましいブレーキ音と同時に発生した急激な減速。

 そして、ぐらりと傾くバスの車体。

 上から降ってきた多量の荷物。

 それぐらいだ。

 もしかして、自分は交通事故にあって車外へと投げ出されたのだろうか?

 そう結論づけてもいいような気はした。

 だが、それにしては周囲に事故を起こしたバスそのものが存在しない。

 いや、バスどころではない。

 ほかの仲間たちの姿はおろか、山間を縫って走っていたはずの近代的な舗装路までもが見当たらないのだ。

 認めたくないが、なんらかの出来事が自分を遠く離れた別の場所へと移動させたことに疑う余地はないようだった。

 本当に、ここはいったいどこなんだ。

 日本であることだけは間違いないと思う。

 なぜそう断言できたのかは、彼自身にもわからなかった。

 あえて理由をこじつけるなら、いま見えているこの風景が生まれ育った故郷のそれに類似していたからだろうか。

 青年は呆然としたまま、ゆっくりと立ちあがった。

 百九十近い長身と筋骨隆々とした逞しい肉体が、竹林の中にくっきりと新しい影を落とした。

 遠くどこかで、小鳥が歌っていた。

 のどかな、あまりにものどかな時が青年の周囲を流れていった。

 女性の悲鳴が響いてきたのはその時だった。

 静寂が打ち砕かれ、下草を踏む足音が断続して迫ってくる。

 何事か、と振り向いた青年が見たものは、息を切らせて駆け寄ってくるひとりの少女だった。

 背丈は小さく、おそらく百五十にも満たないほど。

 しかも、青年と比較して、ひと回り以上は幼く見える。

 せいぜい、中学生になったかならないか程度の年頃か。

 質素な色合いの和装に日本髪を結った少女だった。

 それを目の当たりにした青年が、軽く我が目を疑う。

 これはなんだ?

 時代劇の撮影か何かか?

 だが、自問に対する回答は成されなかった。

 それよりも数瞬早く、その少女が青年に向けて哀願したからだった。

「ならず者に追われております。どなたかは存じませんが、何卒お助けくださいまし!」

 凛と通る琴の音のような声で少女は言った。

 その澄んだ瞳には、明らかな怯えと、この場からなんとか逃げ延びようとする懸命さとがありありと浮かびあがっていた。

 ふたたび下草を踏み分ける音が鳴り、今度は人相の悪い三人の男たちがふたりの前にやってきた。

 三人が三人とも薄汚れた着物袴にぼさぼさのマゲ頭。

 どこから見ても、時代劇に登場する典型的な無頼浪人そのものだった。

「おい」

 困惑する青年に向け、無頼浪人のひとりが凄んだ。

「その娘を渡してもらおうか」

 怯えた少女が青年の広い背中へ身を隠した。

 だが、いま自分の身に降りかかっている状況を判断しかねていた青年は、おろおろと顔を左右に向けただけで明確な態度を取ろうとしなかった。

 いったい、何が起こっているんだ?

 青年の眼前で、無頼浪人たちが腰の得物に手をかけた。

 鯉口が切られ、つらりと白刃が抜き出される。

 陽光を煌めかせた三本のそれらは、紛い物では醸し出せない一種独特の存在感で青年の意識を捉えた。

 硬質な殺気が青年の心胆に吹き付ける。

 体感温度が確実に数度は下がった。

 そう感じられる一瞬だった。

「邪魔だてするようならば」

 無頼浪人は宣言した。

「斬る!」

 鋭い切っ先が一足一刀の間合いをもって青年へと向けられた。

 明らかに威嚇ではなかった。

 じりっとお互いの距離が詰められる。

 いったい、何が起こっているんだ。

 ごくりと息を飲む青年の背筋に、これまで感じたことのない冷たい汗が流れ落ちた。

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