第18話

「あら、こないだ帰っちゃった子じゃないの!」

 そう言いながら、大きな手でわたしを招き入れた。

 カウンターの奥側の席に通される。こないだ来たときもそうだったが、割と繁盛しているお店のようだ。サラリーマン風の二人組の男がいて、わたしの横には、このあいだもカウンターに座っていた、オカマの人がいた。奥でダーツをしている人は、どこか強面のホストのような風貌をしている。

 ママはまだ何も頼んでいないのに、ビールを持ってきた。

「ここのお店はね、三千円払えば、後は適当だから」

「適当?」

「そう、メニューもないのよ! 困っちゃうわよね。その日のノリで、あるもの適当に出すから、それ食べて。飲み物も、まあ、適当に飲んで!」

 ママはそう言うと、嬉しそうにビールを飲んだ。

「このあいだは、すみませんでした」

「いいのよ。扉を開けて、帰っていく人なんてざらよ。慣れているから、気にしないで」

「あの男性、今日はいないのね。結構、物静かでいい感じの男だったんだけど」と隣に座るオカマの人――そうだ、名前はえりさんだ――は、嬉しそうに会話に入ってきた。

 わたしは、えりさんに小さく会釈をした。

「それにしても、なんでまたここに来ようと思ったのよ。って、そんなことわたしが言っちゃダメか!」

 ママは陽気な人だ。そう。その感覚は、あの一瞬でも感じていた。だから、すこしだけ、ここが気になっていたのだ。

「ちょっと、嫌なことがあって」

「なになに、何でも聞くわよ。オカマなんてね、多かれ少なかれ、みんな嫌な思いを味わって生きてきた人種なのよ。たぶん、そこら辺の仕事ができない上司よりよっぽどいいアドバイスができるわよ」とえりさんは言った。

 わたしは、卓也くんとの飲み会の話をした。うまくいっていない家族の話題を出されて、気まずい雰囲気になってしまったことを。その後、ぐるぐると家族のことを考えていたら嫌な気持ちになり、気付いたらこのお店の前に立っていたと、そんなことを言った。

「え? 何そのノロケ話」

 と、ママはあっけらかんと言った。

「え? ノロケ話ですか、これ」

 わたしは、いつも以上にオーバーリアクションになる。ママにつられるように。

「そんなちまちましたことはどうでもいいんじゃないのかな。わたしなんて、もう親になんて会えないからね。立派に社会人になって、いまを生きているんだから、それでいいのよ!」 

 ママはそう言い終わると、茶色の扉が開いた。

「あ、おじいちゃーーん!」

 お店にいる人たちは、拍手で彼を出迎えた。おじいちゃんと呼ばれる彼は、わたしの席のさらに奥側に座り、どうも、と小さく会釈をした。ダーツをしていたホスト風の男が寄ってきて、元気にしてたかい! と気さくに声を掛ける。

 ここにいる人たちは、みんな常連さんだったようだ。

「では、おじいちゃんも来たことだし、テキーラショット対決、するわよおお!」

 みんなが歓声をあげる。

 わたしは、小さな声でえりさんに、「誰かのおじいちゃんですか」と聞いた。

「そんなわけないじゃないのよ」とえりさんは言う。

「いま、もう二十三時ですよ」

「おじいちゃん、いつもこの時間くらいにふらふら来るのよ」

「それ、大丈夫なんですか?」

「まあ、大丈夫でしょ」

 みんな、友達だしねと、そうえりさんが言うと、わたしのためのルール説明が始まった。

 ゲームは盛り上がった。

 わたしは終電に気付かず、帰れなくなってしまったことを伝えた。みんなは歓声をあげた。

 本当は、終電の時間をわかっていたのだけど、

 もちろん、そのことは内緒だ。

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