第16話

 仕事を終えて会社を出ると、クリスマスが近づいてきたことを実感する。わたしはいつもと反対方向の地下鉄に乗った。こんなに寒い日も、鈴木さんはあの場所でヒロコさんを待っているのだろうか。そんなことを思いながら今日の目的地を目指す。

 大学時代の同級生、卓也くん。以前、煙草の件でアドバイスを貰った友人だ。一人暮らしの鍋はなんだか寂しい気がして作っておらず、卓也くんの、鍋を食べに行こうという提案はわたしの心を躍らせた。


「で、最近は鈴木さんとはうまくいってるの?」と、生ビールを一気に半分まで飲んだ後、卓也くんは言った。

「うーん。どうなんだろ」と言った後、わたしはいままでのことを説明した。鈴木さんを追いかけたこと、ヒロコさんのこと、不思議なライターのこと、そしてやきいも祭りでの涙のこと。

 鈴木さんは不器用なだけで悪い人ではないのに、会社のメンバーから誤解されていることを、わたしはずいぶんと力説した。話しながら、わたしは鈴木さんをずっと気にし続けていたと自覚する。

「なるほどねえ」

「何が、なるほどなの?」とわたしは、お通しの枝豆を食べながら言った。

「いや、なんでもないや」

「え? どいうこと?」

 わたしはしばらくしてから、卓也くんの言っている、なるほどの意味を察した。

「いや、ちょっと待ってよ。そういう訳じゃないし。鈴木さんはヒロコさんにぞっこんなんだよ? 大体さ、わたしより二十歳も年上なんだから。恋愛感情とか、そういうんじゃないって」

 わたしは恋愛という言葉を使い、なんだか恥ずかしい想いがこみ上げた。

「そんなこと、わかってるって」と卓也くんは言った。

 わかっているなら、言わせないでよ。と、なんだか腹立たしい気持ちになる。

 個室の扉が開いた。水炊きが到着する。二人で、おおと歓声を上げる。湯気が立ち上り、透明感のあるスープの中で、やわらかそうな鶏肉がぐつぐつと音をたてている。

「そういえば、クリスマスの予定はあるの?」と卓也くんが言った。

「それ、言わなきゃダメ?」

「俺は、仕事だよ」

「ああ、わたしもそれ」

 なんだ、一緒なのかとほっとした。

「俺の家はさ、家族でクリスマスパーティーをするのが決まりになっているんだよね。妹が丸ごと鳥をオーブンで焼いてさ。父さんなんて、悪乗りしていつもサンタの格好をしているんだよ。だから、その日は定時に帰らなきゃいけないんだ。社会人になったら、解放されると思ったら、母さん、絶対に帰ってこいっていうんだよ」

「え、それってすごい楽しそう」

 わたしの身体の中で、嫌な脈が打っている。

「でもさ、やっぱり好きな人と遊びに行くとか、憧れるじゃん」

 卓也くんは、水炊きを口にした。

「わたしの家では、絶対にありえないシチュエーションだね」

「なんか、家族の仲があんまりよくないんだっけ?」

「あんまり、じゃないよ。すごくだよ。もう、嫌になっちゃうよ」

「でも、クリスマスは家に帰るんでしょ?」

「いま、わたしは一人暮らしだよ」

「え? 職場ってこの辺でしょ? 実家から通えるのに、一人暮らしをしているの?」

 この質問をされるたびに、嫌な気持ちになる。どうして一人暮らしをしているの? いったい、何人に聞かれたことか。家事ができるようになりたいと、適当な嘘をついて、ああすごい偉いね! と言われるたび、その嘘から生まれた傷はどんどん深くなっていた。

「じゃあ、クリスマス会を企画してみたら?」と卓也くんは言った。

「そんな、簡単に言わないでよ」

「でもさ、一人暮らしをしていると、親を大切に想う気持ちが生まれてきたりしない?」

「そんなの、生まれてこないよ」

「生まれてこないって、そのいい方はなくない?」

 そういうところ、可愛くないよなあと、卓也くんは言葉を重ねる。

 顔が熱くなった。

 わたしは、何も喋る気がなくなってきた。

「あ、ごめん。言い過ぎた」

 わたしは小さく溜息をつき、ちょっとトイレに行ってくると席を立った。

 戻ってきてから、気まずい雰囲気を解消しようと、わたしはイベントばかりの土日のことを話した。卓也くんは、たくさん笑ってくれた。楽しく過ごそうと思っていたのに、どうしても家族の話題をされると、気持ちが沈んでしまう。確かに、家族を大切にしない女の子は、はたから見たら可愛くないんだろうなと思いながら。

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