問い

 ホールのように広い空間。そこも床は一面緻密な模様が描かれたカーペットが敷き詰められており、天井からはシャンデリアが下がる。小さな舞踏会が開けてしまいそうな、そんな気品のある場所。そこに響くのは、ピアノの音色。端の方に置かれた、しかし存在感のあるそのグランドピアノは漆黒でありながら上品に照明の明かりを反射させている。

 鍵盤の前に座っているのは、フクシアだった。

 その音色に割って入る扉をノックする音。続いて聞こえてきたのは、細い声。

「失礼、します……」

 おそるおそる入ってきたのは、ティエラだった。

 あの日――フクシアがティエラと共に外に出向いた日以来、ティエラはフクシアの元へ行く機会が圧倒的に増えていた。対照的にアグワやソルはフクシアがいない時の清掃等を任される事が増えていた。

「フクシア様……お風呂の準備が、出来ましたが……」

「分かった分かった……もうすぐ行く」

 そう言いながらフクシアはピアノを弾き続けている。力強さと、可憐さと、儚げさのある音。ティエラは初めて聴くグランドピアノの音に、まるで花のような音色だなと感じた。

「フクシア様、ピアノを弾かれるようになって、どれくらいなのですか……? とてもお上手で……」

「どれくらい? 知らないし、あんたには関係ないでしょ」

「あ、す、すみません……」

 謝りながらティエラは演奏するフクシアの側に立ち、フクシアの演奏を眺める。初心者とは到底思えないその手の動きに、ティエラは見惚れてしまいそうだった。

「なんかたまに弾きたくなるの。誰かに教わった記憶もないのにさ」

 黒いグランドピアノに白鍵、結ばれず背中に流れる銀の髪に透き通る肌と黒いワンピースのコルセット。ティエラはこんなにピアノの似合う人と、あの日血の海で立っていた人が同一人物だなんて到底思えなかった。

「ティエラ、そんなにおかしい?」

「え、いや、なんでも……」

 フクシアは突然力任せに鍵盤を叩いた。花を枯らすような灰色の不協和音が大きく鳴り響くと同時に、ティエラはびくりと身体を硬直させる。

「何をしたってあたしは変な目で見られる。そう、あの日だってあんたは気を失った。他の侍従もみんな、気分を悪くした顔をする」

 フクシアは激しく立ち上がり、椅子ががたんと倒れる。自らの手を眺めながら、表情はない。

「あたしは普通なのに。したい事をする事がおかしいの? 違う、周りがおかしいんだ。そうじゃない? あたしがおかしいの?」

「…………」

「あんたはどう思う?」

「…………」

「…………」


 フクシアはティエラの元に詰め寄るや否や、首を荒々しく掴んだ。


「ティエラ……」

「…………」

「あたしが、怖い?」

 ティエラは全身から力が抜けていくのを感じる。唾を飲み込む喉の動きが、ピアノで温まったフクシアの手に筒抜けとなる。脳裏によぎる血の海。抵抗なんてできない。

 しかし、ティエラは視界の真ん中にいるフクシアを、怪物のようには思えなかった。めりめりと頬の皮膚が裂けながら覗く何本もの歯を、牙を見ても、ティエラはソルみたいに、フクシアをだとは言えそうになかった。

「いえ、怖く……怖くない、です」

「…………」

 ぽつりと返した返事すらこだましそうな程、演奏の余韻も全てなくなり静まり返った部屋。フクシアはじぃっとティエラの顔を眺めていたが、ゆっくりと首から手を離した。

「風呂、入るから。タオル準備してて」

 フクシアはそう言いながら扉へと向かっていく。ティエラは跳ねる心臓を感じながら、ゆっくりとお辞儀をする。

「分かりました……」

 扉が閉まる音を聞いたティエラは自らの喉元を触り、残った熱を感じていた。

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