第1話(その3) 「ずっと前からあなたのことが好きでした(キラッ☆)」

 松川は、じゃなくて志展ちゃんは愛玩動物で言うなら柴犬みたいな感じだ。黒く透き通って大きめで丸い瞳。この瞳というのが描写として正しいかどうかは不明で、正確には虹彩なんだけど、そこらへんは適当にみんな瞳って言っている。あと髪の毛は少し茶色が混じっていて、少し巻き毛でそんなに長くない。これで耳としっぽがあったらみんな家で飼ってみたくなる、おねだりをされたらどんどん間食をさせてすぐデブになるタイプの柴犬だな。

 そんな子がわたしの目をじっと見て、両手をわたしの両手に置いてこう言う。

「樋浦さん、ずっと前からあなたのことが好きでした。つきあってください、お願いします」

 志展ちゃんは頭を下げたので、収録マイクの前にある、高価な金魚すくいみたいなのに頭をぶつける(ショックマウントって言うらしい)。本当は昼休みの教室で、クラスの大半がこちらを見るような見ないようなふりをしてしっかり見ているので、正直なところかなり恥ずかしい。発声もクリアで、声だけ聞いてもいい気持ちになる。この声で古典とか読んでくれないかな。「はるはあけぼの!」とか。

「ご、ごめんなさい、もう一度やり直します」

「ちょっと待った」

 と、ここで藤堂さんの演技指導が入る。

「これはアニメの収録だよね? そういう、手を握ったり、目を見たりって演技いる? ほら、ペット犬じゃないんだから、ご主人様の前に手を乗せなくてもいいの」

 藤堂さんもペット犬っぽく思ってたのか。そのポーズだと、どうも頭をなでてみたくなるだけで、わたしのほうは好きとは違う感情しか出てこない。

 わたしもちょっと自分の意見を言う。

「そうだね、舞台で芝居やってるんじゃないんだから。あと、動作入れるなら、女子の場合は手を腕の前で組んでさ…いや、それは腕組み…手を腰に当てちゃさらにだめだよ…こう祈ってお願いするみたいな感じで」

「あ、そうか、説明不足でした。この告白は男子の演技のつもりなんですよね。樋浦さんって…女子に告白されても全然問題ないっていう、ゆり系?」

「いやいやいやいや…そうだよね…」

「声のお仕事の場合は、性別関係なくやることもあるんです。声変わり前の小学生とか」

「じゃあさ、今度はシノブが女子役で、セイが男子役ってのでやってみない? 場所は体育館裏で、時間は放課後の午後4時。天気はちょっと曇ってて、告白するんだけどフラれたら雨が降るって感じで」

 また藤堂さんはややこしい設定を入れてくる。

 ちなみに今は昼休みで、場所はいつもの教室で、もはやもうわたしたちを見ていない人はいない。

「ずっと…ずっと(と、手を腰のあたりで横に動かして)前から(手の甲をこちらに向けて、奥から手前に)あ、あなたのことが(わたしを指さして)好きでした!(キラッ☆)」

 これは手話ですね。「キラッ☆」っていうのは、アルファベットのI・L・Y(アイ・ラブ・ユー)の字なんで、日本の実際の手話とは違うし、最後のところはけっこう声が大きい。これじゃ体育館裏でも半径50メートルぐらいには聞こえるだろう。

 おお、と、男子たちの間から歓声があがって、ほかのクラスからもなんか様子をうかがいに来る人たちがいる。どうするんだよ。

「はい、ここでセイは、ごめんなさい、と言ってその告白を断る」

 容赦ない藤堂さんの指示だな。

「どうして? いったい誰がどういう理由で、こんな子に好きって言われて断れるのよ?」

 こんなかわいい子に、って言おうと思ったけど、まあそれはいい。

「ええと…その理由は、ちょっと待ってね、今から考えるから…地元の議員の娘という許嫁がいて、将来は婿養子になって義父の地盤を継いで、将来は総理大臣になる予定だから?」

「ややこしすぎるし、その設定はわたしが藤堂さんのために考えた設定だから」

「なんだよその設定は」

「実はおれ、女なんだ、というのはどうですか?」

 志展ちゃんが頭がいいのか悪いのかわからないことを言って話をややこしくする。

「ああもう、じゃあとりあえずやってみるよ。ご…ごめんなさい?」

 最後が「?」になったのは、頭を下げたら何かにぶつかったからで、うまく見えないけど、手でその形をなぞってみると、丸くて薄い高価な金魚すくいのようなものだった。

「これはショックマウント…」

 なるほど、ここじゃそういう動きしちゃいけないんだ。

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