第39話 大勝負

 番長のキャラを急に破棄するのも興ざめだと思ったので、ネタが終わったときは軽く頷くようなお辞儀にとどめると決めてあった。

 けれども、割れんばかりの拍手と「よかったぞー」という歓声に八王子(はちおうじ)の胸には熱いものがこみ上げ、おのずと頭が下がる。


 登場直前、舞台袖から見たときには値踏みする表情だった観客は、終わってみればみんな笑顔。ニコちゃんマークがずらっと並んでいるように見える。

 気持ちいいのと幸せなのとうれしいの、全部たして割らないと、なんていう感情になるのだろう。隣の相方もそれを感じているのがわかったし、どこかで新しい扉が開いたのもわかった。


 相模(さがみ)と同時に、センターマイクで回れ右。テンションが上がりすぎたので、触れ合った左肩でド突けば、相方も負けじとド突き返してくる。

 本当は二人とも舞台右袖にハケるはずだったが、八王子は何となく相模を蹴りつけた。

 不意打ちだったが「オウフ」と叫び、相模は転がりつつ左袖へと消えていく。

 もう一度巻き起こった笑い声を、八王子は背中で聞いた。


 舞台裏で相模と合流し、山のようにある言いたいことの中から、一つだけ選んで口に出す。

「じゃあ相模、頼んだぞ」

「任せろ」


 相方の応答は簡潔だった。だがその声音に、「成功を祈る」みたいな感情を読みとるのはたやすい――真っ暗で、表情など見えない状態だったとしても。

 八王子は鉄の扉を開けて外に出た。

 夕日に目をしばたかせながら周囲をうかがうと、美倉(みくら)高五人組の姿は消えていた。凶器の金属バットもない。騒ぎになる前に撤収してくれたなら、それはそれでありがたい。


 刻一刻と運命の瞬間は迫ってくる。今さらキャンセルはできない。心臓が泣こうが喚こうが、すべきことをして決着をつけなければ、終わらない終われない。


 程なくして、体育館脇の通路をやってくる足音が聞こえてきた。砂利を踏む音が軽い。それだけで、相手が誰だか言い聞かされているような気がして、緊張が増した。

 土壇場になって押し寄せる後悔。人生初の告白をぶっつけ本番でやろうとか、どうかしていた。ちょっと天狗じゃないか自分、とツッコミ。誰かに練習させてもらえばよかったか――誰かっていっても、千葉(ちば)くらいしかいないわけだが。


(ああ、来ちゃう。来てしまう。運命の時が)


「八王子くん、お疲れさま! すっごい面白かったよ」

「そ、そう? よかった、頑張ったかいがあったなー」


 あの和泉(いずみ)から、満開の笑顔と最大級の賛辞「面白い」をいただいたのに、面白い返しができない。

 だめだ、よけいなことを考えるな。ネタならぬ告白の文言が飛ぶ。それほど凝ったことを言うつもりはないが、それでも。


 他のメンツを待っている小芝居をはさみながら、改めて和泉を盗み見る。直視できないのだから仕方がない。

 つやつやした黒髪が、肩口できれいに切りそろえられている。目は大きくてやさしげで、口元には可憐な笑み。なにより表情がいい。


 こんなに素敵な女の子が彼女になってくれたら、自分の毎日はどうなってしまうのだろう。勉強も頑張るし、部活の助っ人でもいっそうカッコいいところを見せなければならない。昼ご飯を一緒に食べたり、部活終わりに待ち合わせて帰ったり。もしかして、バレンタインデーにチョコレートなんかもらえたり……。休みの日には、遊園地や動物園なんかに行くのかもしれない。そしたらそしたら、一緒に写真をいっぱい撮ろう。たくさんの思い出を、いつまでも色あせないまま残しておこう。


 そのために必要な一歩を、八王子秋雄は今、踏み出す。


「もしよかったら、オレと付き合ってくれない……かな?」


 なにかもっと、前フリというかなんというか、もう少し会話があってからのほうがよかったのかもしれない。

 ほら見ろ、突然言い出したものだから和泉が目を丸くしているじゃないか。

 でも、一度口から出てしまった言葉は、二度となかったことにはできない。

 八王子が固まったまま見つめていると、和泉の表情が緩やかに変わった。それだけで結果を察することができたが――


「八王子くん、ごめんなさい」続く言葉までは予想できなかった。「わたしね、相模くんが好きなの」


 今、なんつった? とツッコミそうになったが、心配しなくても声なんか出やしない。

 たぶん、目が泳いだ。

 どうする。どうすればいい。こういうとき、プロの芸人ならアドリブが利くのだろうかと関係ないことに意識が行く。そのおかげで金縛りが解けた。


「あ……あー、相模かー。温厚でやさしいもんね。他のヤツだったらちょっと納得できないけど、アイツに負けたんなら、しょーがないか」


 はいダウト。

 相模にだけは負けると思っていなかった。あんな、最近ようやく人間になったばっかりのゾンビみたいな男に……。


「そう。八王子くんにボコボコにされてるのに、心から楽しそうな笑顔で素敵だな……って」

「あー、そう……かもね」


 正直、なにかおかしくないかとは思う。そこかよー! と、大きな声を出したくもなった。

 でも確かに和泉が評価してくれた点は、『番長|S(ズ)』の漫才で一番面白いウリの部分だと自負していたから、それが伝わっていたのならうれしい。


(うれしい?)


 たった今、初恋が無惨に散り果てたというのに。豆腐メンタルが豆乳みたいになっているはずなのに、うれしいってどういうことだ。

 失恋の痛みって、こんなものなのか? それともこの、八王子秋雄(はちおうじあきを)がマゾなのか?

 なんせ初恋の初失恋なので、判断のしようがない。


 一つ確かなのは、自分の考えたネタを、相方と一緒にカタチにして、それがウケたということ。その感動と興奮が、八王子の心に、まるで麻酔のように作用していた。他のタイミングでなら耐えられなかったはずの痛みも、チャラにしてくれたというのが真実だ。


「ちなみに……さ、オレがアイツに負けたのって、三白眼が怖かったりしたからだったりする?」

「えっ? 八王子くんを怖いなんて感じたことなかったな。目、大きいほうじゃない。でもわたし、男臭い人のほうが好きっていうか……」

「なるほど、そういうコトなら相模だよな。じゃあ、八重歯も関係ない?」

「関係ないよー。それに、相模くんにも八重歯あるから」


 それだけずっと相模を見ていたのなら、負けても仕方ないか。アイツに八重歯があるなんて、四六時中つるんでいる自分以外の誰が気づくだろう。

 改めて完敗すれば、気分は清々しい。

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