#25:同居人
日没まで余裕を持って自室に帰って来たクロンは、戸の取っ手に手をかけたところで何者かの気配を察した。
部屋に置いた荷の中に盗られるようなものは置いていない。それに、日の入り間近に窃盗を行えば、逃げ道などまったくないはずなのに。
思いあぐねたところで、何かを叩く激しい音が聞こえてきた。
クロンは勢い良く戸を引いた。
真っ先に目に飛びこんできたのは、どこか見覚えのある、薄紅色の頭と部屋を覆う程の大きな木箱……ようなものだった。
「お帰り」
その頭は何も動じずに言った。ミュカだった。
彼女は膝を折って座り、一心不乱に槌を叩いて何かを作っている。
「な、何でぼくの部屋にいるの? それに、そのどでかい箱はいったい……?」
「タンス」ミュカは手を止めずに答えた。「家具が一つもないから作ってる」
クロンは唖然とした。ミュカの考えは唐突過ぎて思考が追いつかない。
「あ、ありがとう」
ミュカはクロンに軽く目を向けて何度か瞬きをし、それからまた、作業に没頭した。
心なしか、クロンには槌を打つリズムが狂ったように思えた。
「……何か作るって、約束した」
そう言えばそんな話をしていたな、とクロンは思い出した。
「じゃあ、今度はぼくがお返しに何か作らないとね。まだ、今日始めたばかりの見習いだけどさ」
「うん。期待して待ってる」
その時、金槌の奏でる音に混じって、壁の向こうからバタバタと何か動く音が聴こえてきた。
クロンが視線を送ると、ミュカは、はあー、と誰にでも聞こえるぐらいの大きなため息を吐き出した。
「……うるさいのが帰って来た」
「え? でもそこ、キミの家じゃないか」
長屋に二人入れるような部屋はないはずだ。
「同居人。……同居させられた」
気だるそうに、ミュカはゆっくりと立ち上がった。
「夕飯は買ってきたけど、あの子、わたしが傍にいないと怒る。……でも、このままじゃクロンが食事出来ないし眠れない」
作りかけの
「大丈夫。何とかするよ。ここからならぼくでも何とか出来るだろうし」
ミュカは首を横に振った。
「作るって決めたらわたし一人で最後まで作る。だから、良かったら晩御飯を持ってウチに来て。食べ終わったら続きやるから」
少女の意志は頑ななようだ。仕方ない、とクロンは夕飯に付き合うことにした。
◆
「ただいま」
ミュカが自分の部屋の引き戸を開けた途端、どこかで聴いたような大きな声が飛んできた。
「もう! どこ行ってたのさー!」
それは、部屋の奥で背を向けて荷物を下ろしている誰かが発したものだった。
「ごめん。隣行ってた」
「隣……?」
声の主が振り返る。クロンはあっと声を上げた。
「キミ、もしかして、さっき空に花を咲かせていた……!?」
金髪の少女は一呼吸置いてクロンを指差した。
「あーっ! もしかしてさっきの、何も買わずに帰ったお客さん!?」
クロンは手に持った夕飯を落としそうになった。
「そう言われると、何も買えなくて申し訳ないんだけど……」
「いやあ、冗談冗談。ここに住んでるなら買えるわけないし」
ミュカは二人を交互に見比べる。
「……実は、もう出会ってた?」
「うん。さっきね。市場でこの子が実演販売していたのを目撃したんだ」
「いやあー、アレはよく売れたよー。……じゃない。初めましてだったね。あたしは種屋のエルヴェ。この子と同居してるんだ。よろしく」
二人は握手を交わした。ミュカの時よりも、ごく自然な握手だった。
「ぼくは、クロン。ヨリデ村から越してきたんだ。こちらこそよろしく」
クロンはふと思いついて、部屋を見回した。
「……そう言えばここ、同居しているにしてはやたら広いような気が……」
見たところ、玄関の戸が二つあり、部屋の幅が二倍ぐらいはある。
「この子が壁板を蹴飛ばしてブチ抜いた」
ミュカは呆れた顔で座卓に夕飯を広げた。
そして、隣の部屋……だった所にある、もう一つの座卓も運び込んで、横に並べた。
「……長屋はこの程度で崩れないからいいけど、調べもしないでやっちゃだめ」
エルヴェは大きな口を開けて笑い飛ばした。
「いやあー、しっかりした抱え柱があるから大丈夫かなーって思って。
それに、一つの部屋が一人半ぐらいの広さだとするじゃない? ……うん、実際そのくらいはあるんだ。これを二つ合わせたら三人分になるんだよ? 家具の大きさもさ、ギッシリ詰めるわけじゃないから、一つ半の大きさで二人分はいける計算さ。実際、ミュカが家具を造ってみたら上手くいったしね」
クロンはほう、と感心した。力任せに見えてわりと計算高い性格のようだ。さすがにあの実演を行うだけはある。
エルヴェは座卓に手を置いて身を乗り出してきた。
「ね、この際、そっちの部屋もブチ抜いてさ、四人半にしない?」
「さすがに、それはないと思う」ミュカが溜め息交じりに即答した。「クロンがそうしたいと言うなら、そうしてもいいけど」
クロンは慌てて手を振った。
「遠慮するよ。……でも、狭いのをどうにかしたいってのは同感だ」
「でしょ? そこであたしから提案なんだけどさ」
エルヴェがまだブチ抜いていない壁をトントン、と叩いたので、クロンは思わず身構えた。
「これ、勝手口みたいな木戸に替えたらどうかな? 食事の時だけでも一緒になれるよ」
「……食事だけなのに、開ける必要あるの?」ミュカは既に一人で食事を始めていた。「それより晩御飯食べないと冷める」
クロンは一言断ってから、ミュカの隣にあぐらをかいて座した。
「行き来するには確かに楽なんだろうけど、今はまだそのままにしておこうかな」
「そう? 残念。名案だと思ったんだけどな。ま、やりたかったらいつでも言ってよ」
そう言うと、エルヴェは何事も無かったかのように晩御飯の包みを広げていった。
クロンは二人の顔を伺い、見比べた。
いつも唐突に行動を起こすが、一度始めると相手に合わせて確実で慎重な行動をするミュカ。決めたら迷いはなく、最後までやり遂げようとする性格でもあるようだ。強いて言えば、口下手なのが残念というぐらいか。
そして、決断は強引でも、ちゃんと頭の中で計算し、無理と判れば引き際さえもわきまえているエルヴェ。話し上手で、人を惹き付ける力を持っている。
この二人はまるで正反対の性格だが、互いに互いを支えあっているようにも見える。
(同居人、か……)
ここへ来る前はリーエと同じ長屋に住むと思い込んでいた。
彼女の同居人はどんな人なんだろう。仲良くやっているのだろうか。
クロンには、そればかりが心配だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます