#19:役所
クロンを乗せた渡し舟は、真っ直ぐに北を目指した。
クストスの老船頭は行き先を聞いたきり、口を開かない。色々尋ねようと思っていたクロンも、自然と無口になる。
ちゃぷ、ちゃぷ、ぎぃ……。ちゃぷ、ちゃぷ、ぎぃ……。
耳を傾け、空の網目模様を眺めているだけで、心はすっと穏やかになる。
暖かいそよ風を身に受け、舞い散る白い花弁に手を差し出す。
(ルニは季節を感じる。森はいつだって夏のようだった)
そうしている間に役所前の桟橋に着いた。船頭に駄賃を払って岸に上がると、入り口に立っていた二人の見張りがやって来る。
「子供が一人で何用だ?」
見張りは子供と思って馬鹿にしている。クロンは少しむっとしたが、多少融通が利くと思い、素直に子供として演じることにした。
「お仕事と住まいを探しに来ました。あと、森ではぐれた友達も」
見張りは目を細め、クロンの腰の剣を指差した。
「それは貴様の剣か? 見たところ、森の警備隊のような格好もしているな」
クロンは直ぐに機転を利かせる。
「森林警備隊をしていた亡き父の形見なんです。都へ行くのに相応しい、ちゃんとした服が無かったので、せめてこれを着て参りました」
見張りの二人は腹を抱えて笑った。
「なるほどなあ。見るからに寸も
まぁ、どんな者であれ、来た者には仕事を与えて歓迎する決まりだが、探し人については答えられぬ。個の情報は漏らすなという規則だからな」
クロンは口をへの字に曲げた。
「新参者なら誰でも必ずここに来るんでしょ!? 見たかどうかだけでも教えてくれませんか!?」
「ダメだダメだ! そんなことより、仕事が欲しけりゃ急ぐんだな。日暮れになれば役所は閉まるし、夜中に外を出歩いてたりしたら、いくら子供でも、貴様を捕らえることにもなりかねん」
クロンは振り返った。日は真っ直ぐ西の空に傾きかけ、足下の影も長く伸び始めている。今日はひとまず諦めるしかなさそうだ。
「……分かりました。案内をお願いします」
「よろしい。このまま中に入り、一つ目の角を右に。直ぐそこに申請係がいる」
クロンは軽くお辞儀をし、入り口の戸をゆっくりと押した。
そこは古びた建物で天井も低く、壁や床は黒ずんでいた。掃除がきちんと行き届いていないのか、若干カビ臭い。琥珀灯も充分ではなく、時折瞬いて今にも消えそうだ。
かろうじて顔が見える役人の多くは人間だった。彼らは黙々と机に向かって活版に活字を打ち込んだり、蜜蝋印を押す作業をしている。
一方、少数のクストスは雑用に使われていて、活版を運んだり、片づけたり、或いは、床の水拭きをしていた。
彼らの行動を観察しながら、見張りに言われた通りに角を曲がって申請係の受付を見つける。背伸びしても届かないぐらいに高い長机の上にある呼び鈴を、跳躍しつつ叩いてカチンと鳴らすと、途端に片眼鏡をかけた鷲鼻の老人がぬっと首を延ばしてきた。
「うわあああっ!?」
クロンは驚きのあまりに着地に失敗し、床に転げ落ちた。
「ご用ぉ~件はぁ~!?」
蓄音機が壊れたような間延びした声に、クロンは圧倒された。
「お、お仕事と、住まいを……」
「んぁ~……クストスのぉ……はんぱもんじゃなぁ~!?」
また半端物呼ばわりされたが、次第に大きくなる老人の声が気になってしまい、それどころではない。
バン、と加工紙と筆が机の上に叩かれ、クロンは肩を震わせた。
「名前ぇ!
「は、はい……!」
クロンは直ぐに飛び上がって手を伸ばし、筆と加工紙を滑らせ、ひったくるようにして受け取った。
机に届かないので床に紙を置いてサラサラと書き、再び机の上に飛び上がって置き返す。
老人は片眼鏡を摘んで素早く目を走らせると、睨み付けるようにクロンに目を移した。
「……よろぉ~しぃい。これを持ってぇ、この先の配属係まで行くのじゃあ!」
老人は何かを放り込んできた。クロンは慌てて両手でそれを受け止める。
大きな琥珀の塊だ。中にはクロンの掌ほどはある大きさの、機械樹の樹皮が入っている。
樹皮の裏側には模様があった。先端に真ん中をくり抜いた小さな円と、そこから縦横斜めへ走る直線の羅列が無駄なく隙間を埋めつくすように何本も走っていた。
(回路……? 何かの機械に通すのか)
考えながら長机に沿って道なりに歩くと、配属係と書かれた机は三十歩程先にあった。
「その琥珀を受け取ります」
傍に来ただけで、きびきびとした女性の声と共に、白くしなやかな腕だけが机の上から伸びた。クロンは言われるがままにその掌に琥珀を乗せた。
……どうも、先程から自分が小さくなったような錯覚を感じている。机が高いせいもあるが、係員が特別大きいわけでもない。
何にせよ、こうしてクストスが優位に立てないように、見かけだけでも圧力をかけているのかもしれない、とクロンは思った。
「ヨリデ村のクロンさんですね。どうしてこのルニの都へ?」
係員の質問が始まった。どう答えようかと考えたが、ミュカからは特に注意も受けてないので、ひとまず素直に答えることにする。
「母が流行り病で、特効薬と交換という条件で都に来ました。来る途中には友達もいたんですが、はぐれてしまって……」
「なるほど。では、薬は後ほど、ヨリデ村へ届けさせましょう」
顔も見せない女性係員はあっさりと答えた。
やけに気前がいいので、クロンは思わず身構える。
「これまでにお仕事は?」
「……いえ、何も」
「おや、嘘はいけませんね」
背筋が瞬時に凍った。
戦えるということだけは隠しておこうと思っていたクロンだったのだが。
「先程も見張りに嘘をつきましたね。これで二回。次に嘘をつけば、あなたは逆賊の罪で牢に入れられます」
額から汗がどっと吹き出た。
一体どうやって見破ったというのか。この女性はクロンの顔を見ていないし、外の見張りともやり取りをしていた形跡はないはずだ。
係員は更に念を押した。
「この役所にいる限り、あなたに嘘はつけません。……いいですね?」
「はい……」
クロンには、そう答えるしか無かった。
理由は不明だが、不思議な力が干渉しているのかもしれない。力を封じられたクストスはおろか、人間にだってそんな能力は持たないはずなのに。
もしや、これもマテルの御技なのか。
「以前のお仕事は?」
質問は容赦なく続く。
「……森林警備隊。ヨリデ村の周辺の
「はい。素直でよろしいです」
ガシャガシャと、何やら機械の動く音がした。
「手先は器用そうですね。物作りをしたことは?」
――琥珀を渡す時も、掌だって見せていないはずだ。
「彫刻を少し。暇な時に」
「では、決まりですね。ピッタリのお仕事があります」
机の端から板状のものが飛び出た。クロンはまた飛び上がって、それを手にする。
小さな琥珀の板だ。中に樹皮が埋まっている。端には小さく穴が空けられていて、首にぴったりと留められるよう編み込んだ短めの革紐を通してあった。
「『琥珀技師』……?」
「はい。それがあなたのお仕事です。頑張って下さい。
その板は、あなたの仕事先と、都の民としての身分を保証する身分証です。ルニの都の住人である以上、コレを肌身離さず身につけておいて下さい。また、提示を求められた時はそれに従うように」
「……外したら、どうなるんですか?」
「命の保証はありません。余計なことは考えないことです」
クロンは皮紐を握り、一瞬躊躇ったが、思い切って首に留め、琥珀の板を服の中に滑り込ませた。出来立てだからか、不思議と温もりがあった。
「こちらは、あなたのお住まいと仕事先が記された地図です。いずれもルニの都にあります」
今度は厚い材質の樹皮紙が差し出される。大事な書類や、長く扱うものに使う紙である。
香ばしい焼き印で描かれているのは、ルニの都の全体図だった。そこに単純な赤と青の二つの円が、文字と共に蜜蝋の印で押されてある。
「青い円はあなたのお住まい。赤は仕事場です。日の出から二刻。その間に仕事場に到着するように」
「分かりました……」
「手続きは以上です。お疲れ様でした。日暮れに気を付けて、早めにご自宅へお帰り下さい」
真っ直ぐ引き返したクロンが役所を出ると、真紅の夕日が今にも沈もうとしていた。
いつの間にか服の中は、ベトベトと張りつく汗でぐっしょりと濡れていて、気分は優れない。
そこにいたはずの見張りはいなくなり、振り返ると、役所も明かりを消し始めていた。
先程の物言わぬ老船頭がクロンの帰りを待ってくれていた。彼はクロンを黙って見上げ、どこか同情するようにも見える眼差しを向けていた。
「行き先は?」
「居住区へ……」
そう絞り出して言うのが、精一杯だった。
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