#16:雨の記憶

 十年前のあの大雨の日、都では大勢のクストスが虐殺された。

 本当に突然の出来事だった。ごく普通の平和な日に、前触れもなく人が次々と倒れていった。

 犠牲者の中には、歩くのもやっとな老人もいれば、魔法を使うのさえままならない幼子もいた。……それは、クロンの妹のキナも同じだった。

 石畳に次々と咲かせていく鮮やかな血の花に、人々の混乱もまた、染み渡るように広がっていった――。

 思い思いの方角へ逃げ出すクストス。それを面白がって弓や銃で撃ち殺す人間たち。

 時間をかけて狙う必要はなく、逃げた連中の群れは、もはや的の塊に過ぎなかった。

 中には命を賭けて抵抗する者もいたが、普段から魔法に依存していたクストスに力づくで抗うだけの力は無く、ましてや武器すらも持っていなかった。

 どういうわけか、魔法を使う者さえ誰一人としていなかった。


 クロンは深い記憶の底に沈んだ一つの記憶を無理矢理引きずり出した。

(あの日に起きたことは……クストスにだけ起こった異変だった)


 クストスが当たり前のように身に付け、手足の代わりに使っていた魔法能力。それが、種類を問わず、前触れもなしに、全て使えなくなっていたのだ。人間ポムサピア達が急に襲い掛かったのも、その事実チャンスを知ったからだった。

 これまでのクストスは、その大半が横暴な人種だと言われていた。魔法が使えることをいいことに優越感に浸り、時には魔法で虫けらのように殺戮を犯す者もいた。

 人間はずっと復讐の機会を伺っていた。――それがこの日、初めて実ったのだ。


 クロンの父、ゼハムは、流れ弾に当たって倒れたキナを助けるためにその場に残り、シラにクロンを連れて逃げるよう命じた。

 シラは冷静だった。全力で嫌がるクロンの手首を掴み取ると、腕が引きちぎられるぐらいの強い力で引きずって行った。

 逃亡者達は数日間、森の中をさまよい、夜は木の上で過ごした。その間、雨は一度も止まずに果てし無く降り続け、落ち葉はすっかり水を吸ってぬかるんだ。……途中、アラネアに喰い殺された者もいた。

 やがて、ヨリデ村に受け入れられて落ち着いた後も、クロンは泣き続けた。泣き続けることで、失った家族を忘れまいとしたのだ。

 そんな時、クロンは自分の嗚咽と違う声を、降りしきる雨の中から聞き取った。それは、村の広場から聞こえてきた。

 たった一人で雨に打たれ、ずぶ濡れになりながら泣き続ける、薄汚れた白いワンピースを着た幼い少女の姿。

 そのちっぽけで儚い姿は、都に置いてきたキナと、どこか重なって見えた。



(……あれは、リーエ、だった)



 周りの大人が橋の上から囁き声で噂をしていた。あの娘は両親を失くし、ヨリデ村まで皆の後ろから黙って付いてきたのだと。

 この時のヨリデ村には避難民ばかりで他人を庇う程の余裕は無かった。村長のガブル老人も、他のクストスの受け入れで忙しく、僅かな優しい人間達もそれに追われていた。

 あの子は、たったひとりだ。引き取る人もいない。なのに、母と一緒に逃げて来られた自分は、一体いつまで泣いているのだ。

 クロンは腕で涙を拭うと、雨に打たれるのにも構わず広場まで駆けて行き、うずくまる少女に真っ直ぐ手を伸ばした。

「かぜ、ひくよ。いっしょにウチに入ろ?」


 それが、リーエとクロンとの初めての出会いだった。

 二人は幼馴染みとして共に歩み始め、健やかに成長していった。

 哀しみは常に二人の心の中で燻ってはいたが、それ以上の充実感により、決して寂しいとは思わなかった。

 クストスの祖先が皆そうであったように、いつ頃からか、二人が抱えていた哀しい記憶は、心の一番奥深くにぼんやりとした形で取り残され、日常の中でわざわざ思い返す事も無くなった。――というより、むしろクロンにとっては、いつしか「忘れたい記憶」に取って代わり、リーエに至っては、事件があった事までしか覚えていなかった。

 それでも、リーエには決して譲りたくない部分があった。

 リーエは何度説得されてもクロンの家に住まわず、何年経っても一人で暮らしていくことを主張し続けた。

 彼女は信じていたのだ。いつか、この家に家族が無事「帰って」くるのだ、と。



 ――もしかしたら、と、クロンは考えを巡らせてぞっとした。

 リーエは既に、家族を失ったことすら忘れていたのではないだろうか……。

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