2.ルニの都と地下の大空洞

#13:地下の礼拝堂

 静けさを取り戻した森で、リーエは自らの置かれた状況に気付き、ぞっとした。

 一難は去ったが、馬車を失い、この広大な森の中に取り残されたのだ。また別の獣が現れるとも限らない。

 根渡りでも構わない。早く森を抜け、都へ向かわなくては――そう考えた時、ようやくクロンのことを思い出した。

 大量の落ち葉を泳ぐようにかき分けながら急いで籠車に戻ると、クロンは額から血を流したまま気を失っていた。

「起きてっ! ねえ、起きてよ、クロン!」

 揺さぶったり、頬を叩いたり、耳元で名前を呼んだりしても起きる気配はない。

 リーエは途方に暮れた。クロンは余程強く頭を打ったに違いない。このまま起きなければ午後を過ぎ、やがてアラネアが支配する夜がやってくる。そんな時間までここにいたら、二人とも無事では済まされない。

 クロンの腰にぶら下げた森林警備隊の懐中時計を拝借して確認すると、まだ正午を過ぎた頃だった。

(あの速度の馬車で半日なんだから……ここから歩いていけばギリギリ日没には間に合うかもしれない)

 陽の光が射し込む僅かな隙間から空を見上げても、まだまだ日は高い。リーエは意を決すると、荷をまとめて背負い、その上からクロンを背負った。

 一度振り返って轍を確認し、進行方向を定める。このまま真っ直ぐ進めば、きっと都にたどり着けるだろう。


 ――ガサッ。


 その時、ふいに草むらから聞こえてきた微かな音に、リーエの耳は独りでに動き、反射的に屈み込んだ。リーエは音を立てぬよう、落ち葉の中からそっと様子を伺った。

 それは、落ち葉の中で身動きが取れなくなった、馬車のはぐれ馬だった。

(一頭じゃ走ることは出来ないけど、クロンを運ぶことぐらいは出来るわね)

 ついでに荷物を乗せて身軽になれば、自分が先導して道を作ることが出来る。そうしている間に、もしかしたらクロンも目が覚めるかもしれない。

 リーエはクロンをその場に横たわらせると、獣に怯えてしまった馬を驚かせないよう、落ち葉の中からそっと近付いていった。

 しかし、落ち葉の中では視界が悪く、馬の出す物音を頼りに近付いていくしかない。

「あっ……!!?」

 ――だから、異変があることに気付けなかった。

 積もった落ち葉の中で落ち葉ごと「足を踏み抜く」なんて、誰が予想出来ただろうか。


 はぐれた馬は、リーエが立てた物音に驚き、素早く振り返った。ヒトの気配は察していたが、襲いかかってきたと勘違いしたのだ。

 だが、そこにあるのは宙に舞い、再び降り積もろうとしている僅かな落ち葉だけで、もう一つあったはずの微かな気配さえ、いつの間にか忽然とその場から消えてしまっていた。



 ◆



 クロンが目を覚ますと、開いた視界に薄暗いセピア色の低い天井が目に付いた。ちかちかと瞬く琥珀灯に照らされた周辺は、本棚とベッド、古びた木の小机と椅子だけで、窓は一つも付いていない。

 まさか、地下牢にでも入れられたのか、と慌てて身を起こしたが、視線の先にある木戸を見て考えを改めた。

 ズキズキと痛む頭を押さえると、包帯が巻いてあった。つまりは、誰かが介抱してくれたのだろう。

 戸に鍵はかけられていない。クロンは音を立てないようそっと戸を引くと、隙間から頭だけを出し、外の様子を伺った。

 天井と同じ土壁の狭い通路だ。左右等間隔に戸が並び、突き当たりは左右に道が続いている。

 クロンは人気がないことを確認し、通路へ出た。忍び足で歩いて突き当たりまで来たところでそっと曲がり角から首だけを出し、左右の様子を伺う。左手の通路の先には、彫刻が施された大きな扉。恐らくここが入り口だろう。

 右手の先には、小高い天井の広間が広がっている。ここだけは琥珀灯を従えたステンドグラスで一際明るく、鮮やかな光を携えていた。

 その最奥には、古びた木彫りの女性像――クストスが崇める女神、ディア・クレルの姿がある。クストスの血を引くクロンには、馴染み深い彫像だ。

 ということは、ここはヨリデ村にはなかったクストスの礼拝堂らしい。

 だが、一体何処のだろう? 辺りには外の様子が分かるような窓が一つもなく、空気はジメジメとして若干カビ臭く、息が詰まる。

「お目覚めですね」

 背後からの声に、クロンは反射的に肩を震わせて振り返った。

 歳は二十歳を超えたぐらいだろうか。全身を薄い青のベールと修道衣に身を包んだ女性。どうやら、ここの修道女らしい。

 その全身を覆う服装のせいで、種族は判別出来そうにない。目立つ耳や尻尾などが見当たらないので、もしかしたら人間の可能性もある。

 彼女は両手一杯に花束を携えながらクロンの脇を通り過ぎ、ゆったりとした動作で女神像の足元に捧げられた古い花束と取り替えた。

「あの……、どうしてぼくはここに……? ここは一体どこですか?」

 尋ねてから名乗りもしなかったことに気付いたクロンは、慌てて姿勢を正し、深々と礼をした。

「ぼく、クロンって言います」

 修道女は振り返ると、にこりと微笑んだ。

「私はアス。この『やすらぎ横丁』にある地下礼拝堂の院長を務める修道女です」

「……地下!? ぼくが眠ってしまった間に、一体何があったんですか? 誰がぼくを……」

 と、そこまで言ってから、幼馴染みが傍にいないことに気付く。

「他に……女の子は来ませんでしたか!? キツネの耳を持つクストスの女の子です!」

 畳み掛けるように尋ねるクロンに、しかし、アスは動じずに答える。

「ここは、都から追放され、都の為に働き続けているクストス達の街、地下坑道街マレ。

 あなたを連れてきたのは私の友です。この花を摘んでくれた時に偶然、天井が崩れ、あなたが落ちてきたと言っていました。あなたのお友達に関しても、もしかしたら彼女が知っているかもしれません」

「だったら、その人にお礼が言いたいな。リーエの事も聞きたいし」

「では、街の外れにある花畑へ行くと良いでしょう。今の時間なら、まだその場所にいるかもしれません。

 ここを出た通りを道なりに沿って歩いていくと、大きな穴がある広い場所に出ます。そこは、琥珀を取り尽くした穴で『大空洞』と呼ばれ、最奥の鉱脈まで穴が続いています。花畑は吊り橋を渡り、壁に赤い目印の付いた通りにありますよ」

「ありがとう。行ってみます」

 踵を返して大きな両扉の前に来た時、クロンは一度だけ振り返った。

 視線の先にはアスの他に、何世紀もクストスを守ってきたという女神の像が――まるでクロンの行く末を見守るかのように、じっと佇んでいた。

 クロンはまだ見ぬ外の地下世界に緊張の糸を張り巡らせながら、力を込めて重い扉を開いた。

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