#11:黒の巨体 - 1
他愛のない話を続けている間に眠くなった二人は、いつしか馬車の揺れに身を任せて眠っていた。
役人達は、そんな二人の様子を伺い知る事は出来なかったが、二人が馬車から降りようものなら、直ぐにでも監視を付けるつもりでいた。
各地の村からクストスを出来るだけ多く、穏便且つ丁重に連れて来ること――それが政府から請け負った使命だった。理由までは聞かされていない。
クロン達は自ら志願してやって来たが、万が一、ということもあり得る。背後の籠車では常に前方を注視していた。
――だからだろう。最初に異変に気付いたのも、後方の役人達だった。
「長官! 何だか様子が変です!」
監視を続けていた一人が声を張り上げた。
この隊を指揮する中年の長官は、籠の前方に取り付けられた小窓から外の様子を伺った。
「……あれだけ晴れていたというのに、急に濃霧だと?」
念の為に背後の窓も確認するが、そちらに濃霧は発生していない。
「そう言えば報告にあったぞ。森の濃霧は確か……」
――と、言いかけたその時。前方の落ち葉が間欠泉のように吹き上がり、黒い塊が地中から宙に飛び出した。
六頭の馬は揃っていななき、前脚を高く上げて急停止する。
「総員、戦闘配備!!」
長官の一声で全員が籠から飛び出す。
ほぼ同じタイミングで、前方の籠からも役人達が長槍を構えて躍り出た。
「何!? 何なの!?」
急停止の揺れで目を覚ましたリーエは、跳ねるように起き上がり、寝ぼけ眼のクロンを揺さぶった。
「早く起きなさいよ! 様子が変よ!?」
「う……な、何?」
まだ完全に起きていないクロンは、唐突に鳴り響いた轟音にようやく目を見開き、慌てて耳を掌で塞いだ。
「耳、痛……っ!」
一拍遅れたリーエは、耳鳴りを起こしてしまった。
「――! ――――!」
クロンが何か言っているが、全く聞こえない。
「クロン! 外見てきて!」
クロンは強く頷くと、警備の時には持ち歩かなかった両刃の琥珀剣を鞘ごと携え、籠から飛び出した。
馬車の前方では、長槍を構えた役人達がジリジリと後退している。対峙しているのは、全身が黒い体毛に覆われた何かの獣だ。威嚇しているのか、剥き出しにしている鋭い牙と分厚い爪を武器に、二本の太い足で立っている。その体長は優に大人の三倍はあった。
馬車が落ち葉を退かしたお陰で板履きは必要ない。存分に動き回れるが、このような巨体の怪物を相手にするのは、クロンにとっては初めてだった。
(機動力は活かせるけど、役人達がいると戦いづらいな)
クロンが亡き師匠から伝授された「森閑剣」は、この広い大森林で戦う事を想定されたものである。
剣を鞘に収めた状態から一呼吸で数打の斬撃を浴びせる居合を主な攻撃方法とし、その太刀筋は宙に舞う木の葉の軌道を変えず、真っ二つに斬るという。
基本となる太刀筋は円だ。刀身が長ければ長い程有利に戦えるが、その分、剣は重みを増すので、特性を活かしにくくなる。
クロンは小柄ではあったが、筋力は並の大人ほど持ち合わせている。その身長よりも長い剣により、素早い敵を相手にしても安全圏から斬る事が可能だ。
ただ、唯一の弱点はその間合いの広さにある。人が多い都や、今のように障害物となる馬車や人が多い状況では活かしにくい剣法なのだ。
「小僧。手出しは無用だ。そこで隠れて見ているがいい」
長官は片刃の琥珀剣――琥珀刀を斜め上段に構える。
「者共! 退けい! 前を開けよ!」
長官の指示を合図に、役人達は左右へ退き、うち一人の御者役が馬車に乗り込んだ。
しかし、御者がいくら鞭を振るっても、馬車は動く気配がない。馬達が怯えきっているせいで呼吸が揃わず、力が分散しているためだ。
獣が、その馬車に目掛けて丸太のような腕を振りかぶった。
「くっ! 撃て――!」
止むを得ず放った長官の一声で、脇に控えた部下が短剣を投擲する。
短剣は吸い込まれるように獣の腕に突き刺さり、拳は止まったが、代わりに鋭い眼光が長官達を捉えた。
(まずい……!)
クロンは馬車に向けて走り出した。
ほぼ同時に、籠に残されていたリーエがようやく外へ転がり出る。
「クロン――ッ!」
叫びながら後方へ走り出すリーエ。
その背後で、獣は大地を揺るがしながら駆け出す。
「リーエ!」
クロンは、向かってきたリーエを抱えつつ脇道へ大きく跳躍し、もつれ合うように落ち葉の中を激しく転がった。
馬車の馬達も、迫る巨体から逃れようと、一斉に左側へと走りだす。
それでも馬車を動かすには至らなかったが、獣は一番目の籠車だけを足で踏みつぶし、構わず前進した。
潰された籠からは、赤くべっとりとした液体が溢れ出ており、獣の足元へと引きずるように続いていた。
「来るぞ!!」
長官は振り下ろされた右拳を反対側に飛び退きつつ、その腕に素早く数打の斬撃を浴びせた。
ドス黒い血を噴き出した獣は呻き声を上げ、左腕で右腕を押さえつける。
その隙に、長官は獣の懐へ潜り込み、巨体の背後へとすれ違いざまに身体を一転させ、両足の腱を真一文字に斬った。
「ぬう……浅いか!」
舌打ちする長官は直ぐに身構えたが、獣はそれより早く振り返り、長官の身体を掴み上げた。
「は、放せ!!」
かろうじて手の中に収まっていなかった両手を使い、刀を振るおうとしたが、刃が届く前に何かが砕かれる音が聞こえた。
「な……!?」
それが、自分の背骨の砕ける音だと知る頃にはもう遅く。
長官の頭は、一瞬で噛み砕かれていた。
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