07.若い恋人同士のように
露店、花火、エトセトラ。
いつの時代も、祭りというものは人の心を弾ませるものだと思う。
日が落ちて、そろそろ暗くなってくる頃。普段なら大抵の人は家路につくため人通りは少ないのだが、今日は色とりどりの浴衣や甚平を着た人々でごった返している。今日は近くの神社で祭りがあるからだ。
そんな人々が流れるように進んでいくのをぼうっと見つめながら、神社の鳥居にもたれている一人の少女がいた。
「もうっ、遅いなぁ……」
淡い黄色の浴衣を着て、いつもは下ろしている黒髪を一つに結った少女――藤野奈月は、下駄に包まれた素足をぶらつかせながら一人ぶつぶつと文句を垂れていた。待ち人来たらず、の図である。
――塾講師・桜井健人の突然の思い付きは、どういうわけか昨年の秋頃からちょくちょく増えてきていた。それも最初はこの塾の近くを当てもなくうろつくだけだったのに、今年の春になってからはやたらと遠くの方に連れて行かれるようになったのだ。
そして今回、桜井は奈月を夏祭りに誘った。しかも、まるでデートのようなシチュエーションをオプションに付けて。
それを聞いた母親の咲葵子は、やはり特に反対するでもなく「あらまぁ、デートみたいね」などと悠長なことを言った。そして、せっかくだからお洒落な格好がいいわ、と嬉しそうに鼻歌を歌いながら、せっせと奈月に浴衣を着せたのだった。
それだけ(母親が)気合を入れたというのに、誘った張本人である桜井はいまだ来る気配がない。奈月が待ち合わせの場所に着いてから、もう結構な時間が経っていた。奈月はもう何度目になるか分からないため息をつく。
もしかして、まだ塾にいるのかな……。ちょっと行ってみようか。
人の流れに逆らって歩き出そうと足を踏み出したとき、不意に後ろから乱れた吐息が聞こえた。
「ごめんっ……遅く、なっちゃった」
振り返ると、膝に手をついて息を整えている黒い甚平姿の青年がいた。汗による湿気のためか、それとも単に寝癖を直していないだけなのか……ふわふわとした茶髪が、いつも以上に酷く跳ねている。
奈月は腕を組み、きっぱりと言い放った。
「遅いです、先生。お仕事が長引いたんですか。それともうたた寝でもしていらっしゃったんですか」
先生と呼ばれた青年――桜井はその言葉に顔を上げ、少々目を泳がせた。そして気まずそうに、小さな声でボソッと呟いた。
「……ごめんなさい、後者です」
奈月は盛大にため息をついた。
「全く、あなたという人は……。もういいですよ。あまり遅くなるのもいけませんし、行きましょう。息はもう整いましたか」
「うん……ごめんね、もう大丈夫。じゃあ行こうか」
「――あれ、そういえば君浴衣だね。髪もくくってるし」
屋台が多く揃っている場所まで二人で並んで歩いている時、桜井が不意に奈月をまじまじと見つめながらそう言った。
「まぁ、祭りですから。たまにはいいんじゃないですか」
奈月が当り障りなく答えると、桜井はにぱぁっと笑った。子供の如くはしゃぐその姿は、やはりいつも通りの彼だ。
「うん! よく似合ってるよ、可愛い」
満面の笑みで言われ、奈月は思わず顔を真っ赤にした。桜井に悟られないよう一つ咳払いをすると、仕切り直すように
「先生も今日はわりとシックな甚平姿ですね。いつもガキっぽいですけど、大人っぽく見えますよ」
と皮肉混じりに言ってやった。桜井は案の定ぷくぅっと頬を膨らませ、反論してきた。
「ひどいな、俺はいつも大人じゃん!」
「どこがですか」
「どこがって……全部だよ」
「見た目だけでしょう。見た目は大人、頭脳は子供……っていう表現がぴったりですね」
「なにそのどこかで聞いたようなフレーズ! 不本意なんだけど!!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎ出す桜井を見て、奈月は思わず笑ってしまった。
「まぁまぁ、気にしないで。早くしないと売り切れちゃいますよ?たこ焼きとか、わたあめとか、クレープとか」
「あっ……そうだ、そうだよ!」
桜井は我に返ると、慌てたように奈月の手を引いて早足で歩き出した。奈月は一瞬びくっと肩を震わせたが、彼の手を振り払うことはなく、引っ張られるままに歩き出した。
「藤野、早く早く!」
「はいはい……わかりましたから、そんなに引っ張らないで下さい」
◆◆◆
「あ~、やっぱり屋台はいいね! 藤野!」
わたあめやイカ焼きなどを器用に片手に持ち、たこ焼きなどを入れた袋を腕にかけた状態で、満足そうに桜井は言った。
「屋台を満喫しているのはほとんどあなたですけどね」
桜井の隣を歩きながら、奈月は呆れたような表情で控えめにクレープを齧っていた。
「でもまぁ……ありがとうございます。奢っていただいちゃって」
「気にしないで。元々は俺が誘ったんだし……それに、最初長いこと待たせちゃったしね」
女の子を待たせるのは男としてさすがにダメだもんね~、と恥ずかしそうに笑った桜井を、奈月はまともに見ることが出来なかった。思わず顔を逸らした奈月に、桜井がおどおどといった様子で話し掛ける。
「もしかして……まだ、怒ってる?」
「怒ってなんて、いませんよ。最初から」
顔を逸らしたまま奈月は、先ほどの流れでいまだに繋がれていたままの手に、少しだけ力を込めた。
「……先生と一緒に過ごせるのは、楽しい、ですから」
聞こえるか聞こえないかくらいのか細い声。それでも桜井にはしっかり聞こえていたらしい。
「そっか……楽しい、か」
桜井は一回り小さく柔らかな手をそっと握り返すと、その言葉を嬉しそうに、かみしめるように繰り返し呟いた。
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