第282話 薰の意思

 茂吉が前田美海店に飛び込んでくる前に、この店で働きたいと言い出したのは、薰本人だった。


 前々日に前田拓也に救出され、そして前日にはその彼と三郎の活躍により、蛇竜海賊団は壊滅したと聞いている。

 そんな彼女が、ぜひ働きたいと志願したのが、得意分野と思われていた『海女』の仕事ではなく料理店の給仕だったことに、彼女の親戚筋にあたる徹、登も、そして前田拓也も驚いた。


『給仕の仕事を通じて、女性としての作法を学びたい』というのが建前で、本音では、少しでも前田拓也の側にいたいという気持ちがあったのだ。


 その最も根幹にあったのが、単純に


「自分を助けてくれた前田拓也殿に恩返しをしたい」


 という、ある意味純粋な動機だけだった。

 少なくとも本人は、そう考えているつもりだった。


**********


 その日の早朝、俺は三郎さんから、


「足羽島に潜伏していたと思われる全ての蛇竜海賊団員を捕縛した」


 と報告を受けた。


 ナイトスコープを貸し出していたとはいえ、たった十人ほどでそれだけのことをやってのけたのだ、さすがは三郎さん、そして阿東藩の忍集団だと感心した。


 念のため、忍五人ほどで『山狩り』ならぬ『島狩り』をしているということだが、無線による連絡では、連れて行った忍犬も反応を示さないということなので、元の無人島に戻っているようだった。


 海留さんによれば、足羽島から外海に逃げだそうとしていた連中は、全て『黒鯱』による砲撃で沈めたとのことなので、海賊団の壊滅は間違いのない状況だった。


 また、少なくとも俺のドローンによる攻撃では、直接の死者や重傷を負った者はおらず、せいぜい火を消そうとして軽い火傷を負った者がいた程度のようなので、その意味でも大分気が楽になっていた。


 こうなれば、あとはその戦果を阿東藩主に報告し、海賊達を引き渡して俺の仕事は終わりだった。

 まあ、その攻撃方法については説明を求められることになるとは思うが……ここはごまかさずにきちんと話して、阿東藩の戦力とすることについては丁重にお断りしようと思っている。


 そんなこんなで、まずは薰に、もう海賊団は存在しないから安心するように、という話をしようと思っていたのだが、あいつは既に立ち直っていて、この日から『前田美海店』で給仕として働きたいと言っていた。


 てっきり、『海女』になると思っていたし、それが得意分野だと思っていたのだが、どうも「女性として、言葉使いや態度をきちんと学びたい」という意思があったようだ。


 確かに、海女の仕事では、姉御を始めとして男っぽい口調で働いている者も多い。だからこそ、薰も馴染みやすいと思っていたのだが、彼女なりの考えがあってのことなのだろう。


 とはいえ、拉致されてからたった二日しかたっていない。

 どんな様子だろう、と気になったので、開店前の前田美海店を尋ねてみた。


 引き戸を開けると、


「あ、すみません、まだ準備中で……」


 と、お里の声が聞こえてきたが、俺の顔を見ると、なぜか少し怯えたような表情で、


「拓也さん……」


 と声を上げた。

 その隣を見ると、やはり少し青くなった茂吉さんが、慌てて


「は、話はもう済んだから……お里、お夏さん、今の話はくれぐれも内密にしてくれよ……じゃあ、また来るからっ!」


 と、俺には軽く挨拶をしただけで、どこかへ言ってしまった。


「……茂吉さん、どうしたんだろう。前と違って、飯も食わずに帰るなんて……顔色も良くなかったし、どこか具合でも悪かったのかな?」


 俺のそんな疑問に、ナツが


「……まあ、拓也殿が気にする事じゃないさ。それよりも、お里、開店の準備が遅れた。急いで終わらせよう……薰も、今日からしっかり働いてもらうからな」


「はいっ、頑張りますっ!」


 薰は素直に、大きな声でそう返事をした。

 うん、あの事件のショックももう完全に払拭したようだ。さすがは『黒鯱』当主の一人娘、といったところか。


 そしてナツに、何の用でここに立ち寄ったか聞かれたので、城に昨日のことを説明に行く途中で、薰の事が気になったので立ち寄った、と話すと、なぜか薰は赤くなって、


「わ、私はもう元気ですから……仕事、一生懸命頑張りますから、今後ともよろしくお願いします!」


 と頭を下げてきた。

 今までとちょっと違って、大分給仕らしくなっていたので、奥でこっそりナツに確認したところ、薰に対しては


「お客に対しては敬語を使うこと、なにか気に障ることを言われてもムキになって反論せず、私のところまで報告するように、と言い含めただけだよ」


 とのことだった。

 ただ、彼女の今の様子を見ると、俺に気に入られようと頑張っているようだ、とも付け加えられた。


「そんなに、この店で働きたいと思っていたのかな……」


 と、俺が首を傾げると、


「……相変わらず拓也殿は鈍感だな……まあ、今はそのぐらいの方がいいのかもしれないな」


 と、少しあきれ顔をされてしまった。


 なんにせよ、今後は海賊団に攫われる心配もないし、阿東藩に馴染むためにも、この店で働いてもらうのが良いんだろうな、と、安易に考えてしまっていた。


 その後で、彼女のかなり真剣な決意を聞いて、また悩んでしまうことになるのだが……。

 まずはこの日、阿東藩主へ諸々の報告をする必要があった。


 そして事態は、俺が思っている以上に大げさなものへと展開されていくのだった。

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