第194話 番外編14-9 降臨

 少女は、浮かれていた。


 もうすぐ、城に帰れる。

 仲良くなった旧岸部藩士達にも、今後の生活のための資金が援助されるという。


 父親には、勝手な事をしたと叱られるかもしれないが、本当の事……つまり、最初はさらわれて、訳の分からないうちにこの寺に匿われて、そしてそこで彼等に出会い、心を開いたことを正直に話せば、きっと分かってくれるだろう。


 自然と笑みが浮かぶ。

 今日も、この話をこれまで親身に話し相手となってくれた『鏡の精』に伝えよう。

 そして、ずっと励ましてくれた彼女? にお礼も言おう――。


 いつも通り、夜になって、離れの部屋に一人だけにされ、かんぬきがかけられる。

 そのタイミングを見計らって、彼女は鏡に話しかけた。


 これまでのこと、それとお礼の気持ちを全て打ち明け、『鏡の精』も祝福してくれると思っていたが……返って来たのは、強ばった、そして切羽詰まったような声だった。


「……紅姫、よく聞いてね……あなたは、悪い人に騙されているの」

「……えっ?」

「私達も、最初それを知ったときは、にわかには信じられなかった……でも、その『資金の援助』には、本当にとんでもない裏があったのよ」

「……何を言っているの?」


 少女……紅姫には、鏡が言っている意味が分からなかった。


「……これから、あの『同輪どうりん』と『英生えいせい』という二人の僧が話していた内容を聞いてもらうね……」


 そして、次に鏡から聞こえて来た音声に、彼女は驚愕した。

 今まで若い女性の声だったのに、それは聞き覚えのある二人の男性……間違いなく『同輪」と『英生』のものに変化していたのだから。


 ――その会話の内容を全て聞き終わった彼女の表情は、『驚き』から『恐怖』へと変化していた。


「……私が、殺される? 慎衛門と一緒に?」

「……そう。今の会話の内容は、一昨日の夜に、仙界の技を使って彼等二人の言霊を封じ込め、今、解放したもの。間違いなく、あの二人が相談していた内容なの」

「……そんな……信じられない……」


 彼女は、涙を浮かべて顔を左右に振っていた。


 恐怖と、困惑。

 自分が今まで努力してきたことは、何だったのか。

 旧岸部藩士達を助けるどころか、持ち逃げしたという汚名を着せられた上で、殺されるという。

 そんな話、にわかに信じられるわけがない――。


 しかし、紅姫は前々からこの二人の僧に不信感を抱いていたこともまた事実だった。


 決して大きくも強くもなく、体制も盤石ではなかった旧岸部藩は、家臣同士の抗争も多かった。

 そんな中、藩主の娘と言う立場の彼女は、常にご機嫌を伺う者達の、作り笑いや欲望の視線に晒されてきた。

 そのせいか、あるいはまだ子供故の純粋さゆえか……紅姫は、自分に話しかけられた内容に、嘘や、隠された魂胆がある場合、それを感じ取る勘の鋭さが身についていた。


 そして『同輪』と『英生』の二人からは、なんとなく悪しき気配を感じていたのだ。

 しかし、裏に隠されているのが何なのかまでは分からない。

 だから、これまで彼等の言う通りにするしかなかったのだが……。


「……もう、誰も信用出来ない……あなたのことも……」


 彼女は、うつむき、涙を流した。


「……そう、ね……でも、お願い、信じて。私は、あなたの味方……それを証明するために、今からそちらに、天の使い……仙人様が降臨するわ」

「……えっ……今から……仙人、さまが?」


 きょとんと顔を上げる


「そう、あなたを窮地から救ってくれる仙人様……その方は、決してあなたを傷つけたりはしない。最初、驚くかもしれないけど、唯一あなたを助け出せる方。だから……いきなり信じてって言っても無理かもしれないけど、話だけでも聞いて欲しいの……あと、驚いたとしても、絶対に大きな声を上げたりしないで」


「私を助けてくれる……仙人様……」


「そう、そうなの。だから……お願い、大きな声を出さないって約束して!」


『鏡の精』の声は、真剣だった。

 姿がないため、表情を伺うことは出来なかったが、とても嘘を言っているようには聞こえなかった。


「その約束をすれば、私を助けてくれる仙人様が……来てくれるの?」


「ええ、その通り。それで、その仙人様が信用出来るかどうかは、あなた自身が見極めればいいのよ」


「……わかった。本当に、そんな人がこの場所に現れてくれるなら、話だけでも聞いてみる。大きな声も出したりしないから……」


 藁にもすがる思いだった。

 ただ、ほとんど信じてはいなかった。

 この警戒厳重な城砦寺社の奥の離れに、部外者がいきなり来ることなど出来るわけがない――。


「ええ、ありがとう。じゃあ……仙人様にそう伝えるね……」

「うん……でも、どのぐらい待てば……」


 と、そう話し始めた直後、かたん、とふすまの向こうで音が聞こえた。

 えっ……と、彼女はそちらを向いた。


「……仙人様、もうそちらに着いたはずよ」


 まさか……まさか……。

 本当に……?


「……紅姫様、失礼します……時空の仙人、前田拓也です……」


 ――ゆっくりと襖が開かれ、その青年は現れた。

 武士とは違う……僧侶でもない……商人の格好をして、荷物を背負った、まだ若い優男やさおとこだった。


「えっ……あっ……」


 思わず大声を上げようとしたが、『鏡の精』との約束を思い出し、なんとか堪えた。

 しかし――自分しかいないはずのこの離れの間に突如出現した彼に、新たな恐怖を感じずにはいられない。


 仙人、と聞いて老人を想像していたのに、まだ若い男であることにも大いに戸惑っていた。

 そもそも、どうやってここに入ってきたのか。

 扉の閂が外された気配はない。

 ひょっとしたら、ずっと前からこの建物の中に潜んでいたのか……。


「……よく声を出さないでいてくれた。ありがとう、『鏡の精』との約束を守ってくれたんだね」


 青年は、そう言って微笑んだ。

 そして『鏡の精』という単語が彼の口から出たことで、彼女の中で一連の話が繋がった。

 しかしそれと同時に、ある疑念が浮かんだ。


「……阿東藩……邪悪の仙人……」


 意図せず、自然に……怯えた彼女から、その単語が出た。

 しかし、そういう反応をされるかもしれないと、前田拓也は覚悟していた。


「……そう言っている人もいるらしいね。でも、信じて欲しい。俺は君に危害を加えたりは決してしないし、心の底から、君の事を助けたいと思っている」


「……いきなり入ってきて、そんな事言われても……信用できない……」


 紅姫は、部屋の角に座り込んで、震えていた。

 それが正常だ、普通の反応だ……と、青年は自分に言い聞かせた。

 だが、この状況を打開しないと、今後の作戦に繋げることはできない。


「……君に、見て欲しいものがあるんだ……それで最終的に、俺の事を信用出来るかどうか判断して欲しい」


 彼はそう言うと、背中の荷物を畳の上に下ろし、紅姫からすれば『黒い板のような物』……タブレットPCを取り出した。


 そこには、彼が現代とこの時代を行き来できるようになってから得られた全ての成果、そして最も大切なものたちが詰め込まれていた――。

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