第183話 人斬り

 里菜を追いかけて走り始めた俺だったが、月が雲に隠れてしまった事もあり、すぐに彼女を見失ってしまった。

 それでも、嫌な予感が消えなかった俺は、小さなLEDライトの明かりを頼りに彼女のいなくなった方向へと五分ほど走った。


 視界の悪い林を抜けると、そこは少し開けた枯れ野となっていた。

 ちょうどその時に、雲の切れ間から月光が差し込んでその場を照らし出し……三十メートルほど先に浮かび上がった光景に、俺は戦慄した。


 両膝と左手を地面に突き、右手で自分の胸元を押さえる、着物を着た少女、里菜。

 その彼女に太刀を突きつけ、何かを呟いている、頬に傷のある長身の男。

 よく見ると、苦しげに胸元を押さえる里菜の右手は、真っ赤に染まっていた。


 ぞくん、と鳥肌がたった。

 彼女は、出血している。


「やめろっ!」


 俺は反射的に叫んだ。


 里菜は一瞬こちらを見て、驚愕の表情を浮かべ、


「拓也さん、来ちゃ駄目っ!」


 そう叫んで立ち上がろうとして、バランスを崩し、再び両膝と左手を地に突いた。


「拓也だと……前田拓也か。……なるほど、そういうことか」


 男は、そう言ってニヤリと笑った。

 背筋に冷たいものが走る。


 一体、何が起きているんだ?

 なぜ、里菜は、血を流して膝を突いている?

 そしてなぜ、男は俺の名を知っている?

 嫌な汗を流しながら、俺は懸命に考える。


 里菜が血相を変えて追いかけた、頬に傷のある男……ならば、こいつが彼女の父の敵、『人斬り権兵衛』に違いない。

 戦いになったのかどうかは分からないが、彼女は斬られた。

 そこに俺が現れた。


 そこまでは、なんとなく想像できた。

 だが、どうしてこの人斬りが、俺の名を知っているのか分からない。


「……貴様は今、なぜ自分の名を知っているんだ、と考えているだろう」


 男が不敵な笑みを浮かべ、里菜に太刀を向けたまま、俺にそう話しかけてくる。

 さらにゾクゾクと寒気を感じ、肌は粟立った。


「これも宿命さだめ……やはり、お前とは決着を付ける宿命だったのだ」


 なんだ、宿命とは……一体、何を言っているんだ……。

 それよりも、今すぐにも里菜を介抱したかったが、俺は男の放つ凄まじい気迫に、ピクリとも動くことができなかった。


「……俺は、剣のみに生きてきた。強い奴と戦い、倒す事だけに人生をかけてきた。江戸で剣豪と呼ばれた者を全て打ち倒し、さらなる戦いを求めて旅に出たのが、十年前だ」


 男は、昔話を始めた。

 里菜の事がずっと気になったが、俺は声を出すこともできない。


「その後の戦いにも、俺はずっと勝ち続けた。そしてかねてから最後の標的としていた、天下随一の剣豪と噂される伊東武清いとうぶせいと戦うため、奴が滞在するという阿東藩に入った」


 阿東藩……ここで阿東藩の名前が出て、嫌な予感がした。


「奴は、俺の決闘の申し出に対し、道場での木刀を使った試合で応じた……さすがは天下随一の剣豪、俺は勝ちきれず、結果は引き分けとなった。だが、そんな事で満足できるはずもない。俺は真剣での戦いを望み、奴もその誘いに乗りかけた……だが、そこで意外な人名を耳にした。それが、『前田拓也』だった」


 ……俺の嫌な予感は、当たった。


「伊東武清が引き分けたことが悔しかったのか、道場の一人がその名を口にしたのだ……『前田拓也は仙術を使い、ある意味、伊東殿より強いかもしれぬ』と……最初、ただの強がりと思ったが、阿東藩にて何度もその名を耳にすることとなった。『大商人、次期藩主候補、時空の仙人、前田拓也』……数々の奇跡を起こし、たった一人で盗賊二十人を壊滅に追いやったこともある仙術の達人。阿東藩でその名を知らぬ者はいなかった……俺は興味を持った」


 なんて迷惑なデマなんだ……。


「そして、俺自身死すかもしれぬ伊東武清との真剣勝負の前に、どうしてもその男と戦いたくなった。話を聞くと、前田拓也は江戸に進出しているという。そこで俺も江戸に舞い戻った。そして前田拓也は、すぐに見つかった……椎茸などの食材を売る、小さな店の店主として、その男は存在した。そして俺は酷く落胆した。遠目から見ても、とても鍛えられた肉体には見えず、俺の放つ殺気にも反応しない。人違いかと思い、何度か店を眺めたが、店主はその男で間違いないようだった……そう、それこそが貴様だ」


 ……なんてことだ……この人斬りが江戸に帰ってきた目的は、俺だったのだ!

 里菜は、店先で、俺を観察するこの男の姿を見かけたということになる。


「武人でない男には興味はない……阿東藩に引き返そうとしたときに、『妖怪仙女』の騒動が起き、興味を引かれた俺は江戸に残った……夜中に何度か出歩いたが、くだんの妖怪には出会えずじまい……そこに今回の大がかりな幻術を用いた茶番劇。何が起きているのか訳が分からなかった」


 茶番劇……この男には、見抜かれていたのか……。


「戦いが起こるわけでもなく、興味を失った俺は帰ろうとしたが、気配を殺して俺の後を付けてくる者がいた……面白い、と思って木陰に隠れ、俺自身も気配を消し……戸惑いながら近寄ってきたその者を切りつけたが、そいつは予想外の反応で後に飛び退き、致命傷を免れた。その姿を見て、俺は驚いた……まだ若い娘ではないか……そこで俺は悟った。妖怪仙女の正体はこいつだ、と。さらに前田拓也、貴様が登場して全てを理解した。『妖怪仙女』は貴様の手先、今回の壮大な茶番劇は、貴様が仙術を駆使し、俺をおびき出すために仕組んだものだろう。違うか?」


 男は、不気味な笑みを浮かべたまま得意げにそう話した。


「……違う。その娘、里菜は俺の手先なんかではないし、今回の騒動もあんたをおびき出す為に仕組んだものなんかじゃない。だから、その娘を解放してくれ」


「……そうはいかぬ。俺は、『前田拓也』がとんでもない仙術使いであることを、今日改めて理解した。貴様はそれをどう戦いに活かすのか、想像するだけで血がたぎる……どのような仙術を使っても構わぬ、さあ、俺と立ち合え!」


「……断る、俺は武人じゃない」


「……そうか……ならば仕方が無い、この娘を斬るのみだ」


 男は、再び里菜に視線を向けた。


「……拓也さん、逃げてっ!」


 彼女はそう叫んで立ち上がろうとし、よろけて膝を突いた。


「……この娘、飛び退いた際に足を痛めたようで、まともに立つ事も出来ぬ……殺すのは容易だ。前田拓也、逃げても構わぬ、大声で助けを呼んでも構わぬ。この娘を見捨てるならば、な……」


 ……なんて事だ。


 この人斬りの標的は、はなっから俺だったんだ!

 里菜は、それに巻き込まれたに過ぎない。

 全部、俺のせいだったんだ!


 この状況、この男は、たとえ俺が土下座して謝ったところで、里菜を解放することはないだろう。

 全力で逃げれば、追っては来ないだろうが、里菜は死ぬ。

 ラプターを使って離脱しても同様だ。


 誰か助けが来ることはあり得るのか。

 三郎さんは、プロジェクターの見張りをしている。

 里菜の相方である茂吉さんは崖の上だ。

 平次郎親分は、崖下の警備をしているはずだ。


 あとは、ご老公様の一行の誰かが……いや、この近くに来ているのならば、この状況ならばとっくに出て来てくれているはずだ。

 そもそも、そう都合良くピンチに現れてくれる訳はない。

 ここは、俺がなんとかするしかない。


 とはいっても、今の俺は何の武器も装備しておらず、財布と小さなLEDライトぐらいしか持っていない。

 しかし、なんとかしないと里菜は死ぬ。


 幼い頃に父親を目の前で惨殺され、復讐の為に鍛錬を続けてきた娘が、同じ相手に返り討ちに遭って斬り殺される。


 そんな人生なんて、あまりに可哀想過ぎる。


 この場面、この俺が、自分だけの力で、この、いわば『伝説の人斬り』を倒すしかないのだ。


 ……マジで!?

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