第158話 判定
飼い犬のポチとユリの間に子供ができたことを祝った、その日。
優の体調が優れない。
しかし、風邪ではない――。
何か病気なのかもしれないが、ひょっとしたら妊娠したのかもしれない。
仙界、つまり現代で短期間ながら薬学を学んでいる凜は、『妊娠検査薬』の存在を知っていたし、優がそれをこの時代へと運んでもいたので、早速検査してみることにした。
しかし……『陽性』にはならなかった。
ただ、これには『時期』が関係するらしい。
本当にはっきり結果が分かるのは、原則として生理予定日の一週間後だ。
いわゆる『つわり』は、それよりも前に発症することもあるという。
つまり、今はただ様子を見るしかないのだ。
期待と不安が入り交じるが……俺が彼女にしてあげられることといえば、ただ側にいることぐらいだった。
その夜……俺は彼女と共に夜を過ごした。
本当は凜がこの日の『嫁』だったのだが……こんな日ぐらいは、と妹の優に譲ってあげたのだ。
一つの布団の中で、俺と優は肩を並べ、手をつないでいた。
「ごめんなさい、拓也さん……二回もぬか喜びさせてしまって……」
「二回? ……ああ、はっきりとした結果が出なかった件か。いや……それは別に気にすることないよ。また日を改めて再検査すればいいだけだし、妊娠してなかったとしても、その……優の事、大事に思っている気持ちには変わりないし……」
「……拓也さん、あいかわらず優しいですね……でも、どうなのかな……私でも、母親になれるのかな……」
少し不安そうな声だった。
「……そんなに焦らなくてもいいと思うよ。天からの授かり物だし、ね」
励ましになるのかどうか分からないが、俺はそう声をかけた。
「……ありがとうございます。でも、私、なるべく早く拓也さんの子供、産みたい……」
とくん、と鼓動が高鳴るのが分かった。
彼女は、本気で俺との間に子供が出来て欲しいと願ってくれている。
心から好きになって、愛し合った女の子が、それを望んでくれている……。
それだけで幸せな気分だった。
「……でも、私……もしって考えることが、今でもあるんです……」
「……もし?」
「はい。もし……身売りされようとしていたあの川原で、拓也さんに出会っていなければ……つまり、ほんのわずかな行き違いで、身売りされていてしまっていたら……ひょっとしたら、誰か分からない人の子供を、身ごもっていたんじゃないかなって……」
それは、俺にとっても、今考えると怖い事だった。
ほんの少し、運命の天秤が不幸な方に傾いていたならば……それは現実になっていたのだ。
「……そうなると、一体どうなるのかなって」
「……遊郭の女の子が身ごもると、か……知らない方がいいと思うけど……」
「はい、そうなのかもしれません。でも、知っておくべきだとも思うんです。私達、拓也さんに救われなければ、一体どうなっていたのかって……」
「……分かった……」
そして俺は、現代に伝えられているその事実を語った。
「遊郭の女性達は、一応避妊を心がけてはいるけど、この時代、それを完全に防ぐ事はできなかった。そして妊娠してしまった場合……毒を飲んだり、池とか川の冷水に長時間浸かって、無理矢理流産させたりしていたんだ」
「……えっ!」
優の、驚いたような、悲鳴に近い声が耳元で聞こえた。
「……当然、母体への影響も大きい。でも、そうでもしないと、産んでも育てていけない事情が存在したんだ。まあ、全部がってわけじゃないらしいけど……そしてそれを何度が繰り返す内に、やがて妊娠できない身体になってしまう。そして、そうなって初めて『一人前の遊女』って言われるらしいんだ……」
「……そんな……そんな……」
優は涙声になっていた。
「……私達も、そうなっていたんですね……ユキちゃんや、ハルちゃんまでもが、そんなぎりぎりの状態で……私達、拓也さんにどれほどのご恩を……」
「……いや、そんな『恩』なんか感じてもらわなくてもいいよ。そんなことのためじゃないし、単に俺が、ただみんなを独り占めしたかっただけだよ」
「……でも、本音ではそうじゃないですよね……だから、阿東藩の女の子達がそんな目に遭わなくてもいいように……『女子寮』を作ったり、『養蚕施設』で彼女たちが働けるように、がんばってくださっているんですよね……」
「……うーん、それもどうかな……単に俺が、儲けようとしているだけかもしれない。力のいらない単純作業の場合、女の子達の方が、真剣に取り組んでくれるから」
「……でも、その儲けもまた、新しい仕事とか、農作物の開発に当てている……」
「……結局、そうなると君たちに、贅沢をさせてあげられないままなんだけどな……」
「ううん……私達、それで幸せです。今でも、十分、贅沢です。今、こうやって、大好きな拓也さんの隣で一緒に居られる……本当に、それだけで……一体、どれだけ恵まれていることか……」
優は、あいかわらず義理堅く、そして泣き虫だ。
そして俺は、そんな優がたまらなく愛おしく、そして大事に思っていた。
「……でも、俺は本当に大したことはできないんだ。みんなが言うような『仙人』でもないし、一時言われていた『藩主』の器でもないんじゃないかとも思ってる。本音で言うと……いい父親になれるかどうかの自信もないんだ……」
それは、俺の本音だった。
だって……最初、優が妊娠したかもしれないと知ったとき、あれだけ慌てふためいてしまったのだから。
「……いえ、拓也さんは、絶対にいいお父さんになります。それに……それを言うなら、私だっていい母親になれるかどうか不安です。そもそも、身ごもっているかどうかもわからないですし……」
「いや……確かに妊娠してるかどうかは分からないけど、断言できるよ。もし子供ができたなら、優は絶対にいいお母さんになれるってね」
「……ありがとうございます……」
少し照れて、ほんのちょっと手を強く握ってくれる優。
今、この時間が、幸せでたまらなかった。
――それから、八日が過ぎた。
優の具合は回復せず……特に炊飯の時の匂いが全くダメで、それでかえって
「これはいよいよ……」
と凜が笑顔で優に語りかけていたのが印象的だった。
この間、新たに妊娠検査薬での判定は行っていなかった。
理由は二つあり……一つは、妊娠検査薬がそこそこ貴重だということ。
もう一つが、判定の時は俺にも立ち会ってもらいたいから、ということだった。
そしてその日、凜も立ち会う中、優がそのスティックを持ってきた。
陽性の反応が出たならば、妊娠している可能性は99%以上。
三人が見守るが……一分経っても、特に変化はない。
「やっぱり……身ごもってはいなかったんですね……」
と、優が落胆したその時……。
「待って……ほら、見てっ!」
凜が、声を出した。
うっすらと……徐々に濃く、やがて見本線よりもはっきりと、ピンクのラインが浮き出てきた。
「……まだ安定期に入っていないはずだから油断は禁物だけど……優、懐妊、おめでとう」
凜の祝福の言葉に、優は涙を浮かべ……そしてとびきりの笑顔で俺と目を合わせ、
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます