第151話 (番外編)視察当日
阿東藩の養蚕関連施設が集まる試験地区では、既に警備の役人が何人も配置され、厳戒態勢となっていた。
その一角、生糸を紡ぐための作業小屋では、三人の娘達が落ち着かない様子で仕事の準備を進めていた。
「うー、緊張する……松丸藩の視察団って、どんな人達なのかな……お姉ちゃん、知ってる?」
「拓也さんから聞いたでしょう? 一人、すっごく偉い人がいるって。松丸藩の御家老さまの息子さん、ていう話だったけど……」
不安がる、満年齢で十八歳の桐に対して、二十三歳と大人の梅は、平静を装ってそう返した。
「うん、それは聞いてたけど、その、厳しい人なのかなって」
「それは、どうかな……ただ、さっきの拓也さんの話では、そんなに怖い人じゃないって言ってたよね。普段通り仕事していればいいって」
「そうだけど……震えて失敗したりしちゃったら……」
「……わたすも、とっても怖いです……」
姉妹の会話を聞いていた、この中では一番年下、満年齢で十七歳の玲も怯えていた。
「……ほら、あんたがそんな風だから、お玲ちゃん怖がってるじゃない」
「……ご、ごめん。だって、そんな偉い方に仕事見られるのなんて、初めてだから……でも、大丈夫。私とお姉ちゃんが頑張るから。何か聞かれても、全部私達が答えるから」
桐は手を合わせて玲に謝った。
「いえ、わたすももちろん、がんばりますっ!」
気を使わせたことに恐縮したのか、玲は訛った口調ながらもはっきりとそう宣言した。
「……もうすぐね。準備はだいたい整ったし……ね、外の様子はどう? こそっと見てみようか?」
梅がイタズラっぽく笑い、二人を誘う。
「え、でも……のぞき見なんて見つかったら……」
「大丈夫よ。先に桑畑の方、見に行くって言ってたでしょう? 心配だったら二人は作業してて。私がこっそり見てみるから」
と、梅は入り口の扉をほんの少しだけ開けて、外を見てみた。
二十メートルほど離れた場所で、拓也と、阿東藩の役人である
そこにきっちりとした正装の侍五人が歩いて来た。
「……来たわっ!」
梅が小声で叫ぶ。
すると作業をしていた桐と玲も、慌てて入り口の方に走って来た。
「なに、あんたたち……のぞき見なんていけない、って言ってなかった?」
「わたすは、言ってないですよ」
「私も、見つかったら怒られるって言っただけだから」
都合の良い二人の言葉に、梅は苦笑した。
細い隙間から三人が窮屈そうに身体をくっつけてのぞき見ていた。
「あの人達ね……三人が松丸藩から来た方で、二人は阿東藩の役人って言ってたけど……」
と、ここで彼等のなかでも最も若そうな青年が、拓也を見て驚きの声を上げていた。
「……一番偉いの、あの方かしら……拓也さんと、二つぐらいしか年が変わらないって言ってたから……なかなか格好のいい殿方じゃない……」
「もう、おねえちゃん、そんなの絶対言わないでね……うん、そうみたい。何をあんなに驚いているのかしら……」
「……なんか、拓也さんがここの経営しているの、知らなかったみたいです……」
「玲、あんた耳がいいのね……あ、桑畑に向かったみたいよ」
三人はしばらく彼等を目で追っていたが、姿が見えなくなると、元の作業場所に戻って、糸を紡ぎ出す『座繰り』作業を始めた。
「うー、あんな立派なお侍様が五人と、拓也さん、後藤様も合わせて、七人に見られるなんて……」
桐はまた不安がっていた。
「ほらほら、桐、玲ちゃん見てるんだから」
「あ、ごめん、また私ったら……大丈夫だから、普段通り仕事すればいいから」
「そ、そうですよね、わたすも張りますっ、何しろこれで拓也さん、ますます出世することになるはずですから……」
そもそも、今回の視察にどういう意味があるのか、三人とも詳しくは知らない。
ただ、拓也が、自分が経営する養蚕施設の案内をするということなのだから、成功すれば商売発展と、阿東藩内での地位の上昇に繋がるはずだ。
「……今回の件って、あのこと……関係あるのかな……」
玲が、ぼそっとつぶやいた。
「あのことって……姫のこと?」
「……やっぱり、本当なんですか? 涼姫様と拓也さんが……」
「玲、それ以上言っちゃ駄目!」
梅がたしなめ、そこで話が終わる。
三人とも、その話は聞いていた。
拓也が阿東藩の涼姫に婿入りし、次期藩主となるかもしれない――。
その場合でも、現在彼の『嫁』である五人の娘達は、やはり『嫁』のままであるという。
この話を知っているのは、五人の嫁達と、彼女たちにもっとも接点のある『前田女子寮一期生』梅、桐、玲の三人だけで、他には固く口止めされている。
「……でも、それって良いことよね。だって、拓也さんが藩主様なら、この阿東藩、絶対もっともっと良くなるよ」
「はい、わたすもそう思います。絶対そうなってほしいです!」
「……そうね。でもそうなると、『拓也さんの
「もう……そんな悪巧みしているの、お姉ちゃんだけなんだから」
今度は、桐が姉をたしなめた。
もう一度みんなで笑い、そして作業に集中していく。
――本当に仕事に没頭すると、時間が経つのが早い。
一心不乱に糸を紡いでいると、作業小屋の入り口付近から、数人の男性達の声が聞こえてきた。
「……来たっ! いい、みんな……いつも通りの作業でいいんだからね」
「「はいっ!」」
こうして、『座繰り作業』の視察が始まったのだった――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます