第136話 前田拓也

「……その話、誰から聞いたんだ?」

 と、俺が質問に質問で返したことに対して、彼女は悲しそうな顔になった。


「……ごめん、そんな風に藩主様が言ってくれたことは本当だよ。でも、俺にはそんな気がない」

「気が……ない?」


「ああ。まず第一に、俺は藩主になりたいなんて思っていない。第二に、涼姫がその話を承諾しているとは思えない。以上だ」

「……藩主になりたくないんですか?」


「ああ、俺はそんな責任、負えないよ。それに、一年ごとに『参勤交代』で江戸に住まなきゃならないし」


「でも、まつりごとはほとんど家臣の方に任せられるんですよね? 大事なことは指示しないといけないかもしれませんけど、拓也さんなら……それに、場所の制約は『らぷたー』があるから、なんとかなるんでしょう?」


 優の指摘に、ドキリとさせられた。


 内政や外交のことについては、当面は経験豊富な家臣や、場合によっては今の藩主様や涼も頼りにして少しずつ覚えていき、まずは自分にしか出来ないことを実行していく。


『参勤交代』については、ラプターによる時空間移動を使って、体面上は制度に従いながら、実際は頻繁に往復することでなんとかする。


 この二つは、俺も考えた事だ。

 優は同じ時空間移動能力者であるし、ずっと側に居る存在だからこそ、俺の性格を見極め、俺が考えそうな事を思いついたのかもしれない。

 ここはごまかさず、正直に話した方が良さそうだ。


「そんな風に考えもした。考えた上で、やっぱり無理だと思ったんだ。今は開店した新店舗や湯屋を繁盛させることが先決だし、養蚕事業もまだまだ手探りだし……」

「……今は、でしょう?」

 うう、優、いつもより突っ込んでくる。


「だ、第一、さっきも言ったように涼がそんなこと納得してくれる訳がないだろう?」

「いいえ……涼姫は、藩主様のお言葉を聞いて、相当頑張っているみたいですよ。『拓也さんに認めてもらえるように、もっともっと精進します』って宣言して……」


「そ、そんなばかな……誰からそんな事を……」

「……仙界、つまり拓也さんの時代で慶姫に会った時、彼女がそう話してくれました」


 ……最初、優の言葉の意味が分からなかった。

 しかし数秒後、それが可能であることに気付いた。


 江戸時代の優も、室町時代の慶姫も、『現代』に移動できる時空間移動能力を持つ。

 その現代の便利な品々は、二人はあらかじめ『スワンプグループ』の羽沢氏に発注しており、博物館兼喫茶店の『たいむすりっぷ』裏側で受け取っているのだ。


 つまり、鉢合わせになる事もあるわけで……そこでお互いの時代について情報交換を行っていてもおかしくはない。


「慶姫……私が拓也さんのお嫁さんだとは知らなくて……それで、室町の世で涼姫から今回の縁談について相談されてたみたいで、おめでたい事だからって、私に全部話してくれたんです」


「……ちょ、ちょっとまった! 縁談って……」

「少なくとも、慶姫はそうおっしゃっていましたが……」


 ……頭がクラクラしてきた。

 伝言ゲームとは恐ろしい。

 確かに、俺と優が夫婦であることを知らないのであれば、慶姫は悪気があってそれを優に話したのではないだろう。


「……いや、まあ、人づての話だからどこまで本当なのか分からないけど、少なくとも涼は俺が既に結婚していることを知っているはずだ。それをわざわざ……彼女にとっては『仙人』なんていう得体の知れない存在なわけだし、その俺を婿に迎え入れようなんて、考えるかな?」


「……さあ、どうでしょう? ただ、涼姫も自分が誰と結婚することになるのか、凄く不安に思っていた筈です。立場上、私達よりもなお相手を選べない訳ですし……拓也さんが候補なのであれば嬉しいでしょうし、認めてもらうように頑張ると思います」


 ……うーん、それは俺を買いかぶりすぎたとおもうけどなあ……。


「涼姫は、父親である今の藩主様に自分を認めてもらえるよう頑張っているだけだと思うよ。だから優、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。それに万一……」

「……万一?」


 しまった! 余計な事を口走ってしまった!

 ……なんか優、すがるような目でこっちを見ている。


「拓也さん、正直に話すって、言ってくれましたよね……」

 心なしか、優、ちょっと震えているようにも見える。

 やっぱりここは、本当の事を包み隠さず話すべきだろう。


「……万が一、何かの手違いで俺が涼姫に婿入りすることになったとしても、君たちと俺との婚姻関係が解消される訳じゃない。側室っていう形になるけど……つまり君たちは、そうなった場合でも、俺の嫁のままなんだ……」


「……本当、ですか?」

「ああ、本当だ。本当に万一の話だけど……」

 と、俺が観念したように話すと、優の表情がぱっと明るくなった。


「……でしたら、なんにも問題ありません。ずっと拓也さんの側にいられるのなら……ううん、それで拓也さんが藩主様になるのでしたら、いいことずくめなのかも……」


「いやいや、そんなことはないよ。面倒ごとが増えるだけで……それに、涼姫も俺の嫁になっちゃうんだよ?」


「たしかに……それは妬いちゃうかもしれませんけど、涼姫、いい人ですから……それで多くの人々が救われるのなら……」


 いや、俺はそんな救世主みたいな存在じゃないから。

 けどまあ、優の表情が明るくなったのはいいことだ。


「……まあ、まだ半年も先の話だし、そんなことにはまずならないと思う。けど、余計な心配かけたくないから、他の娘たちには……」

「……そうですね。その方が良さそう……」


 ふう、なんとか収まったか。

 他の娘達と慶姫が接することはないし、優さえ黙っていればこれ以上広がる事はないだろう。


 優はなんとか機嫌を戻してくれ、俺と仲良く手をつないで前田邸に戻ったのだが……。


 まだ夕方だというのに、門をくぐった途端、

「おかえりっ、タクッ!」

「おかえりなさいませ、ご主人様っ!」

「おかえりなさい、拓也殿!」

「おかえりなさいませ、拓也様!」

 と、四人の娘達の声が同時に聞こえてきた。


「なっ……みんな揃って出迎えなんて、どうしたんだ? ナツ、前田美海店の『夜の部』、どうしたんだ?」

「今日は特に予約も入っていなかったし、めでたい日だったから、急遽休みにしたんだ」


「めでたい? 一体何が……」

「拓也様、次期藩主内定、おめでとうございますっ!」

 と、凜さんがニコニコしながらそう言って頭を下げる。


「「「おめでとうございますっ!」」」

 他の三人も同じようにお辞儀する。

 俺と優は、驚いて顔を見合わせた。


「……その感じだと、優も知っているみたいね……拓也様、隠していたなんて水くさいですわ」

「いやいや、ちょっと、何がなんだか……」

 と、俺が戸惑っていると、凜さんはさらに言葉を続けた。


「今日の朝方、『前田美海店』と『前田妙薬店』に、おせいちゃんが挨拶にきてくれたんです。以前、お世話になりましたって」


「お誠……誠姫かっ! でも彼女、緊急時しか『ラプター』を発動できないはずだけど……」


 誠姫は室町時代の姫君で、慶姫の妹だ。

 彼女も叔父に『ラプター』を渡され、室町時代と江戸時代間の移動能力を持つ。


 以前、火事に遭ったときに緊急発動したラプターの力で江戸時代に移動し、俺や嫁達の世話になったことは確かにあったが……。


「拓也様の叔父様により、『らぷたー』の制限を撤廃してもらったらしいですわ。もう子供じゃないからって。それであのときのお礼に来てくれたんですけど、そこでお涼ちゃんの話題になって……」


 ……なるほど、後は慶姫と同じパターンというわけか。


「涼姫の所に嫁いで藩主様になったとしても、私達が嫁であることには変わりないんですよね? それでしたら私達に損はありませんし、拓也様、大出世じゃないですか!」


「うむ。嫁が一人増えてしまうのはちょっと悔しい気もするが、まあお涼なら仕方ないか。良くできた娘だしな……」


 ナツはまるで父親のような口ぶりだ。


「タクッ、私達もお城に上がれるのかな?」

「私も、『春姫様』って呼ばれたりするんでしょうか……」

 ユキとハルの双子は、早くも目を輝かせている。


「ちょ、ちょっとまってくれっ! そもそも、まだなんにも決まっていないんだ。みんなも誠姫の話を鵜呑みにしちゃだめだっ!」

「あら、お誠ちゃんだけじゃありませんわよ。お蜜さんも来てましたから……」


「えっ……お蜜さんも?」

「そうですよ。これで信憑性、上がりましたね」


 凜さんは相変わらずニコニコしている。

 お蜜さんは、涼姫の侍女だ。

 彼女の話ならば、かなり正確な事には違いないが……。


「いや、俺、その話を了承した訳じゃないし……」

「……まさか拓也様、この一世一代の好機を逃すつもりじゃないでしょうね?」


「無理だって! 俺に藩主なんか務まらないよっ!」

「まあ、子供の様にだだをこねて……大丈夫ですよ、まだ半年ありますから……とりあえず、今日の所は『藩主様に認められた』ということで、お祝いにしましょう!」


「うむ、私も腕によりをかけて料理を作ったからな。盛大に祝おうっ!」


 本職のナツが全力で作った料理。そう聞いただけでも美味そうだ。

 俺はもう一度、優と顔を見合わせたのだが……。


「……心配すること、なかったみたいですね」

 と、彼女も笑顔になった。


 俺は大いに戸惑いながらも、この盛り上がった雰囲気に水を差すことが出来ず……後ほど帰ってきた源ノ助さんも交えて、飲めや歌えやの大宴会となったのだった。


 俺としては、相当複雑な心境だったし、何度も

「いや、俺はそんなつもりはないから」

 と弁明したのだが、


「またまた、思ってもいないことを……」

 などとはぐらかされてしまい、途中からどうでもよくなって大騒ぎしてしまった。


 そして夜も更けてきた頃。


 ユキやハルは居眠りを始めており、俺は凜さんにそっと奥の部屋へと連れ出された。

 この日は、くじ引きで凜さんが嫁の日だった。


「……拓也様、今日の宴会、楽しかったですわね」

 障子を開け、月を眺める俺に、凜さんは寄り添ってきた。


「いや……いいのかな、俺、本当に藩主になんかなるつもりはないのに……」

「ええ……みんなその事、知ってますよ」

 と、彼女が悪びれす打ち明けたので、俺は思わず

「へっ?」

 と間の抜けた声を上げてしまった。


「……最初、お誠ちゃん……誠姫は、朝方に一人で私達のところに挨拶に来たんです。それで彼女、私達が拓也様の嫁って知らなかったみたいで、お涼ちゃんと拓也様が婚姻するかもしれないって話が出て……私達、びっくりしましたし、凄く暗い雰囲気になったんです」


 ……なんとなく、想像できる。


「その様子に、誠姫は『どうしたんですか』って聞いたんですけど、誰も答えられなくて……かなり気にしながら誠姫、三百年前に帰って行って……そして昼過ぎに、今度はお蜜さんと一緒にやってきたのです。そこで全ての事情を知っていて、私達の雰囲気が変わった理由にも気付いたお蜜さんが、『たとえそうなったとしても、皆さんは拓也さんのお嫁さんのままですから』って説明してくれたんです。あと、拓也様はおそらく、この話を受けるとは言わないだろうって。涼姫もそれは分かっているけど、せめて拓也様に少しでも気に留めてもらえるような女性になりたいって、必死に頑張っているって話してくれて……」


 ……なるほど、さすがはお蜜さんだ。


「それを聞いて私達、心底ほっとしましたし……逆にそれならば、是が非でも拓也様が藩主様になるよう、自分達が応援しようって……ナツちゃんとか内心、結構無理しながら、拓也様のために、そして阿東藩のためにと頑張ったのですよ」


「……ナツが……そっか。今日、本当はお祝いなんかじゃなく、みんな俺を激励してくれたんだ……」

「まあ、そういうことですね」


「でも、本当に俺、そんな器じゃないんだ……」

「ええ……拓也様はそう思っているでしょうね。私達も、拓也様は本当は仙人なんかじゃなく、普通の、数え年で十九歳の男の子だと知っていますよ。でも、それだけじゃない。それだけだったら、藩主様に認められることもなかったし、これだけの女の子に慕われることもなかったでしょう。お涼ちゃんでさえ、拓也様にぞっこんのようですし……」


「いや、そんなことないよ」

 と、俺は苦笑いを浮かべた。


「それにしても凜さん、今日、やけに他人行儀だね。最近は俺の事、『拓也さん』って呼ぶことが多かったのに……」


「まあ、今日は特別な日でしたからね。次期藩主様っていうことで、改めて敬意を込めてそうお呼びしたんです」


「……なんか、くすぐったいよいうか、変な感じだよ。『拓也さん』とか、ユキみたいに『タク』でいいのに」


「あら、それでしたら拓也さん、私の事、いつまで『凜さん』って呼ぶのですか? 私だってあなたの嫁なんですよ」

 と、少し寂しそうに彼女は言った。

 そしてそれは、俺もいつか改めようと思っていたことだった。


「……分かったよ。凜……これからは名前だけで呼ぶけど、いいかな?」

 すると彼女は、ニッコリと笑みを浮かべ、


「ええ、もちろん。拓也さん、今後も末永くお願いしますね」

 そう言って、凜は背伸びし、俺の頬にキスしてくれた。


 ――結果的にはとても楽しく、思い出にも残ったこの日の宴。


 俺は、『前田拓也』は、彼女達の叱咤激励に答えるべく、今後も自分が出来る事を精一杯やっていこうと、決意を新たにしたのだった――。

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