第102話 希望の翼

「まだ、瑠璃るりは人身御供の意味をあまりよく理解できていないようです。ただ、神様にその身を捧げ、その後は極楽浄土に召されると大人達から言われて、それを鵜呑みに信じているだけです」


「……その口ぶりだと、君はそんな風に思っていないんだな……」

「いえ……私もそう考えていますし……そう信じていたはずなのですが……」


 さらに涙をこぼしながら、彼女は語る。


「……私も、瑠璃と同じぐらいの年頃で『人身御供』にされることが決まり、この神社に預けられました。先程も申しました通り、大切に扱われました。しかしそれは、私が『生け贄に捧げられる』事を敬い、かつ哀れんでいるからだと、歳を重ねるごとに悟ってきました。それでも、それを誇りに思い、その運命を受け入れたつもりでした……去年の、あの日までは……」


「……あの日?」

 恐る恐る、俺は尋ねた。


「はい……私の前の人身御供、紅緋べにひ様が連れて行かれた日です。……激しい雨が、ずっと続いていました。風も強くなっていました。私と紅緋様は、この部屋で不安な夜を過ごしていました……数人の足音、そしてガタガタと扉を開く音が聞こえて……私と紅緋様は顔を見合わせ、そして手を取り合い、涙を流しました。やがてこの建物に一人の神主が入ってきて……『紅緋様、お迎えが来られました』と告げました」


 ……俺と優は、一言も発する事ができないまま、彼女の話に聞き入っていた。


「紅緋様は私に『……じゃあ……先に行くね……』と、涙を浮かべたまま、微笑みだけを残して……そして連れて行かれました……」

 もう優は、あふれる涙を堪えることができていなかった。


「聡明で、気高くて……それでいて優しくて、とても仲の良かった紅緋様が、今夜のうちにお亡くなりになる……それが信じられず、悲しく、怖くって……そして次は私だって思ったときに、急に恐ろしくなりました……『先に行くね』と言われたその一言が、ずっと忘れられないでいるのです……」


 聞いているだけの俺でも恐ろしくなるほど、彼女の話には凄みがあった。


「……そして、紅緋様がすんでのところで助けられたと聞いて、安心しましたが……その後、大きな水害が発生してしまい、さらに紅緋様もその家族も行方不明になったと聞いて、やはりまた怖さに襲われました。以来、ずっと……覚悟を決めていたはずなのに、雨が降ると不安で不安で仕方がない……瑠璃が来てから、その思いがますます強くなりました……ああもう私の次の子が準備されている、私はもうすぐ死ぬ運命なんだって……」


 先程はずっと大人びた口調で話していたが、今は少し砕けてきているように感じた。


 そして思った。

 素直に恐れを話している今の彼女の言葉こそ、本音なのだろうと……。


「……やれやれ、全て聞かれてしもうたか……」

 気がつくと、いつの間にか二人の神主が建物の中に入ってきていた。


 一人は、先程慌てて出て行った三十歳ぐらいの男性。そしてもう一人、七十歳は超えているであろう、老齢の、それでいて威厳のある神主だった。

 先程言葉を発したのも、彼のようだった。


「いや、これは失礼。ワシはこの『水龍神社』の宮司、卜部元親うらべもとちかと言う者ですじゃ」

「……貴方が、宮司様……」

 宮司とは、その神社における最高責任者だ。


「さよう。……それで仙人様、どうされますかの。連れて行かれますか? それとも、藩の御役人にご報告されますか? 御法度の人身御供が、まだ続いていると」


「いえ……連れ去ったとしても解決になりません、次の人身御供の順番が繰り上がるだけです。それに、藩の役人はもうとっくの昔に知っているはずです。それでいて、手が出せていない」


「ほう……さすがは仙人様、そこまで見抜かれておりましたが。それで、仙人様のお考えは?」


「……いえ、俺は仙人なんて大げさな者ではありません。現に、なんの解決策も見いだせていない……」


「ふむ……さすがに聡明ですの。明炎大社の宮司代理殿が褒めるだけの事はある……」


「えっ……あの方から、何か聞かれていたのですか?」

「さよう。正月に、明炎大社に挨拶にいっておりましたでの。そこで面白い話をしていただいた。『阿東藩には仙人がいる、仙界と地上を行き来する事ができる。聡明で義理堅く、天女達からも慕われている』と」


「いえ……実際の俺は、本当にたいしたことないんです。現に、今の状況でどうしていいか分からない……」

「……ふむ、正直ですな……しかし、実のところ私たちも同じですじゃ」


「えっ……同じ?」

「……仙人様ならなんとかしていただけるかもしれないと思い、常磐には心の内を全て明かすように伝えておいたが……やはり簡単ではなさそうですな……」


 この言葉には、隣の神主もちょっと驚いていた。

 そして俺は、少し話が意外な展開になってきたと感じていた。


「……私がこの神社の宮司になったのは、もう十年近くも前のことですじゃ。その時には、人身御供に選ばれた、まだ幼い……ちょうど瑠璃ぐらいの巫女、『紅緋』がおりました。その頃、藩から『人身御供』御法度のお触れが出て……その当時も、氏子達の間で相当揉めたようでしたが、私が間に入り、これは『人身御供』はもう必要ないという水神様のご意思なのかもしれん、どうしても必要というのであれば、まずは藩の指示に従うように見せかける……つまりは、『人身御供』を実施する基準を変更すればいいのではないかと提案した。具体的には、今まで実施していた水位では何もせず、もっと上昇し、もうこれ以上はとても持たない、というところまで川の水かさが増したときには考える、ということですじゃ……それで氏子達はしぶしぶ納得、実際に旧来の基準まで水かさが増したことがありましたが、人身御供を出さずとも被害はでませんでした」


 ……ということは宮司様も人身御供反対派なんだな、と理解した。


「ところが、去年は酷かった。新しく策定した基準をも超えるほど、水位が上昇してしもうた……殺気だった氏子達は、とうとう『紅緋』を連れて行ってしまった。しかし、藩の役人に止められたと聞いて、これも水神様のご意思、やはり人身御供など必要無くなったのだと説けると考えたのですが……結果、大きな被害が出てしもうた」


 ……確かに、ここで被害が出なければ、人身御供は完全廃止できていたかもしれない。


「こうなってしもうては、もうワシが『人身御供など必要無い』と説いても無駄じゃ。幸い『紅緋』の命は救われましたが、しかし次の巫女、常磐がいつ、どうなるかも分かりませぬ。そこで藩の御役人に密かにご相談したところ、貴方がやってきたというわけですじゃ」


「なっ……では、宮司様が大元の依頼者だったんですかっ!」

 俺も優も、お付きの神主も常磐も、全員が驚いた。


「さよう……ですが、やはり事は簡単ではありませんでしたか……」

「はい……いえ、でもまだやり方はあると思います。何とか……何とかしてみせます」


 俺は、ついそう口走ってしまった。

 そうでないと、常磐も瑠璃も、余りに過酷な運命で、可哀想に思えたからだ。


 「おお……なんとお心強い……さすがですじゃ、この哀れな巫女達のためにも、よろしくお頼み申します……」


 宮司様と、それにつられた神主、そして巫女の常磐も深々と頭を下げる。

 俺達もお辞儀をして、そしてその場を離れた。


 前田邸に戻った俺と優は、早速今後どうするか、対策を考えた。


「まず、根本的に解決するには、洪水をなくすことが必須だ。そうすると、かなり大事業になるけど……まず、お蜜さんにお願いして、オオタカ『嵐』の力を借りて上空から日和野川流域の写真を撮ろう。そして地元の人に聞き込みをして、前回洪水が起きた場所を特定して、あと、どこか水が流れ込んでも平気な低地を把握して……堤を作って、水路を引いて……そうするとそこがもし水田とか畑だと収穫できなくなるから、その分、山地を切り開いて、そこに新しい作物、例えばカイコのエサになる桑とかを育てて……」


 俺が思った事を一気にまくし立てる。


「……拓也さん、それじゃあ相当大がかりになるんではないですか?」

「……ああ、そうだな……でも、そうしなければ根本的な解決にならない。何百人も人手が必要になるかもしれないけど……そこは将来採掘できるはずの『金』を借金のカタにしてでも、藩の人に公共事業としてやってもらわないと……」


「でも拓也さん……それって、間に合うんですか?」


 ズクン、と俺の胸に、彼女の一言が突き刺さった。

 しばらく、俺は口を開くことができなかった。


「……ごめんなさい、私は何にもできないのに……」

「いや、君の言うとおりだ。こんな悠長な方法じゃ、間に合わないかもしれない……」


 前の人身御供である『紅緋』が連れて行かれるまでには、十年近い間があったという。

 しかし、それはたまたま水害が起こるほどの雨が降らなかっただけで……今年それが起こらないという保証はない。

 ましてや、季節は秋だ。いつ台風がやってきてもおかしく無いのだ。


「それならば、そんな『人身御供』なんて迷信だと、住民達に理解させるんだ」

「ええ……でも、どうするんですか?」


「……現代からいろんな珍しい物を持ち込んで、それで数々の奇跡を見せつけて、俺を神か何かだと信じ込ませて……」


「……そんな事ができるのでしょうか……仮にできたとして、人身御供を阻止して……それでもし洪水が起きてしまったら、大変なことにならないでしょうか……」

 ……確かに、優の言うとおりだ。


 もしそれができるならば、水龍神社の宮司が『神のお告げ』として実践しているはずなのだ。


 いや、宮司は『人身御供に捧げる基準』を是正することには成功している。

 ただ、完全に止めることができない……それで俺達に期待しているのだ。

 深夜まで優と一緒にあれこれ考えたが、そう簡単に妙案が出るわけではなかった。


 一旦現代に帰って、叔父にも相談してみたが、

「無理だ」

 と一蹴された。


「水害を完全に防ぐ事など、現代の英知をも持ってしてもできないでいる。それを三百年前に、たかだか数十キロの荷物しか持ち運べないお前達に、何ができる?」


 そう言われると、ぐうの音もでない。

 ただ、それでも叔父は、「気休めにしかならないが」と『土嚢』を作成する袋を紹介してくれた。


 それから一週間、俺はずっと焦りっぱなしだった。


 毎日江戸時代へと向かい、日和野川をいろんな場所から撮影する。

 人身御供が捧げられる、という崖も確認した。


 そこから見る深淵は吸い込まれそうなほど清らかで、濃いブルーだった。

 ただ、これが大雨が降ると、黄土色に変色するという。

 そこに巫女が手足を縛られ、生きたまま放り込まれる。

 考えただけで恐ろしい光景だった。


 前田邸で対策を考えているとき、少しでも雨が降ると、それだけで不安がよぎった。

 本降りになり、風が出てくると、最悪の事態を想定して恐怖すら覚えた。

 優と二人で、

「このぐらいなら大丈夫なはず」

 と確認し合った。


 もし、依頼を受けなければ、雨は単なる雨で、気を揉むことなどなかっただろう。

 しかし知ってしまった以上、そして「何とかしてみせる」と言ってしまった以上、絶対になんとかしなければならないのだ。


 思えば、巫女の常磐は、雨が振る度にずっと恐ろしい思いをしてきたのだ……一年以上も、ずっと。

 それであんなに気丈にいられるとは……本当に優が言うとおり、信じられないぐらい強い心を持った少女だ。


 そして俺も優も、徐々に憔悴していった。

 そんな様子を見かねたのか……その日、叔父から連絡があった。


「話があるから、現代のおまえの部屋で待っていろ、優君にも来てもらえ」

 という内容だった。


 時間通り、自分の部屋で待っていると、少し遅れて彼はやってきた。

 そして、今回の問題の解決に役立つだろうと、二つ……つまり一セットの腕時計型時空間移動装置、『ラプター』を差し出してきた。


「これを、その巫女さんの両腕に付けるように指示しなさい。それでその娘は救われるだろう」

「『ラプター』を? ……いえ、それじゃあダメなんです。人身御供が実行される前に脱出したとしても、次の女の子が犠牲になるだけです」


「確かに、な。だが、『人身御供が実行された後』だったらどうだ?」

 ……叔父の言葉の意味が分からず、俺も優も、ぽかんとしてしまった。


「そのラプターには、両方ともプロテクトがかけてあって、ボタン操作やキーワードによる時空間移動はできなくしてある」

「えっ……だったら、どうやって……」


「ラプターには、もう一つ発動条件がある……『緊急時脱出』だ。例えば、異常な血圧上昇または低下、体温、心拍数、呼吸の異常など。それらを感知して、強制的に時空間移動を実行する機能だ。その条件の中に、『落下感知』がある。具体的には、1.6メートル以上の落下を検知すると強制移動対象となる。前に優君とアキが飛ばされた機能だ」


 確かに、あのときはそれで逆に酷い目にあったが、きちんと使えば有効な機能だ。


「それを身につけた者が、例えば川に放り込まれたとしても、恐らく水面にたどり着く前に、一瞬数百年前に移動し、そして元の時代の、あらかじめ登録されている場所に強制的に移動されるようプログラムしている。その際、落下加速はクリアされるから安全に着地できる。そうだな、君たちの家のどこかの部屋でも登録しておけばいい」


「いや……でも、それだとやっぱり、川面に着く前に消えてしまうから……あっ!」

 俺は気づき、声を上げた。


「そう。人身御供として川に放りこまれた巫女が、水面に着く直前に忽然と消え失せる……それを見て、放り込んだ人間達はどう思うだろうか」

「……神隠し……」

 その意味に気づいた優が、目を見張りながらそうつぶやいた。


「そう。神に捧げられた巫女が神隠しに遭う……それは『人身御供が成立した』と解釈されるのではないだろうか」


「確かに……それならば、次の人身御供が連れて来られる心配もないっ!」

 一気に目の前が明るくなる思いだった。


「……『ラプター』は英語で『猛禽類』という意味だ。当初、拓也は一つだけで運用していたが、本来は現在の二個セット、『ツイン・ラプターシステム』が完成形だった。両腕に付けた装置を、まるでハヤブサの翼の如く使用することにより、瞬時の時空間往復移動を可能にした、私の自信作だ。現在それを使用できるのは、拓也と優君、そして私の三人。そして今渡したもので、四人目の時空間移動能力者となる」


「……いや、でも、すでに人身御供の候補はもう一人いるんです……」

 俺が申し訳なさそうにそうつぶやく。


「分かっているさ」

 叔父はそう言って、もう一セット、懐から取り出した。

 俺と優が、驚きと喜びで顔を見合わせた。


「これで五人目だ。先程渡した物とは、過去の年代が異なるから同時使用しても問題ない。ただ、絶対安心というものではないから、それだけは注意してくれ」


 確かに叔父の言うとおり絶対安心なものではない。

 もっと言えば、こんなものに頼らず、洪水対策を万全にしない限り、本当の安泰は訪れないのだ。


 それでも。

 この「ツイン・ラプター・システム」二セットがあるのとないのでは、安心度に天と地ほどの差がある。


 俺と優は、叔父に何度も礼を言った。

 彼は照れながら、

「自分の発明で若者の命を救えるのなら、研究者として本望だ」

 と言ってくれ、この時ほど叔父がカッコ良く見えたことはなかった。


 そして俺と優は、三百年前へと急いで飛び立った。

 常磐と瑠璃、二人の巫女に『希望の翼』を手渡すために――。 

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