第15話 混浴 (二回目)

 侍に襲われた後、俺はしばし呆然としていたが、少し時間が経ってから、撒き散らした小判や荷物を回収し、とりあえず『前田邸』へ行く事にした。


「ややっ! ……拓也殿、どうされたんです? 服が汚れ、破れているではありませんか」

 源ノ助さんは俺の姿を見て驚いた。


「いや、坂の下で転んだんです……変な侍に追い回されて……」

「侍?」

「そう……刀を抜いてて……」

「なんと……それなら強盗でありませんかっ! お怪我はありませぬかっ!」

「はい……俺を傷つける気はなかったようです。あと、何も取られませんでした」

「何も取られていない? それはまた奇妙な……」

「源ノ助さん、まさかとは思いますが、ここに来るかもしれません。源ノ助さんだけが頼りです、よろしくお願いします」

「もちろん、拙者はそのためにここにいるのですからな」


 力強く断言してくれる。

 源ノ助さんがいるのといないのとでは、安心感が大違いだった。


「おかえりなさ……どうしたんですか、拓也さんっ!」

 母屋に入った俺を見て、その汚れ、破れた服装と、あまりにしょげた様子に、出迎えてくれた優が驚きの声を上げた。


「いや、ちょっと転んじゃって……それと……」

「それと?」

「……いや、何でもない」

 優にいらぬ心配をかけまいと、俺は侍に襲われたことを黙っている事にした。


「ご飯、もうすぐ準備できますけど……」

「……いや、今日は食べたくないんだ……」

 俺はそう言って、玄関から一番近い小さな部屋に入って荷物を降ろし、呆然と座り込んでしまった。


 さっきの優の大きな声に、ユキ、ハル、凜さん、風呂の焚きつけをしていたナツまで集まってきたが、明らかにおかしい俺の様子に、しばらく声がかけられないようだった。


 こんなとき、一番最初に行動を起こすのは、やはり凜さんだった。

「……拓也様、お茶を入れてきましたわ」

「……ああ、ありがとう……」

 俺は動揺を少しでも押さえるため、それをいただいた。

 入れたてのほうじ茶で、おいしかった。


「……なにかありましたの?」

「……ありました……」

「それは……私たちに関係のあることですか?」

「……すみません、まだ、よく分からないんです……」

「……そうですか……また、分かりましたら早めに教えてくださいね」

 凜さんは、優しい言葉と笑顔を残して、その場を去っていった。


 言えなかった。言えるわけがなかった。

「やっぱり君たち、もうすぐ身売りされるかもしれない」などとは……。


「拓也殿、ほんとうに大丈夫なのか?」

「ああ……」

「ご主人様、この天ぷら、おいしいですよ。本当にいらないんですか?」

「ああ……」

「拓也様、それじゃあ、お風呂、入られたらいかがですか? 私、お背中流しますわ。それとも、優の方がよろしくて?」

「ああ……」

 俺は何を聞かれても、生返事しかできない。


 しばらくすると、優が小さなカゴにタオルを入れて持ってきた。

「拓也さん、服とお体、汚れてるみたいですし……お風呂、行きましょう」

「あ……ああ、そうだな……」


 天使のような優の笑顔に、俺は少し自分を取り戻し、風呂場に向かった。

 しかし、その間も、ずっと黒田屋のことや、襲われたときの恐怖を思い出し、心ここにあらず、という感じだった。


 脱衣所で服を脱ぎ、浴室の扉を開ける。

 少し沸かしすぎなのか、もうもうと湯気が立ちこめていた。


「わあっ、すごい湯気……」


 その声に、あれっと思い後を振り返る。

「……うわぁ、ゆ、優っ! いつの間にっ!」

 すぐ後に、一糸纏わぬ姿の優がたたずんでいたのだ。


「えっ、ずっと一緒だったじゃないですか。脱衣所ではついたての向こうでしたけど」

 そう、この家の脱衣所は広く、数人一度に着替えられるスペースがあり、一応ついたてが置いてあったのだ。


「いや、でも、君が一緒だとは……」

「……やっぱり、ぼうっとした生返事だったんですね。そのせいで、私がお背中、流すことになったんですよ」

 やばい、ちょっと拗ねてる。


「い、いや、ごめんっ。ほんとに俺、ぼうっとしてた」

 俺は目をそらし、湯船の方を見ていた。


 それでも一瞬見てしまった優の裸が、目に焼き付いて離れない。

 凜さんほどではないが、胸や体型はハルやユキよりずっと成長していた。

 大人になりかけの、美しい少女の体だった。


「……私は、一緒にお風呂に入るの、大丈夫ですよ。二回目ですし」

 いや、でも前回は明かりを消して真っ暗な中だったけど、今回はばっちり俺が持ち込んだLEDランタンの明かりが灯っている。


「とりあえず……寒いから、湯船に入りましょう」

 ……優は、いつになく積極的だった。


 しかし、やっぱり沸かし過ぎだったようで、かなり熱い。

 水を大量に入れて何とか冷まし、そして俺と優は肩を並べて湯船に浸かった。

 明かりがあるのとないのとでは、これほど緊張感が変わるものか。

 前回の様にリラックスはできない。


「……拓也さん、今日、相当大変だったみたいですね」

「ああ。いろんな事がありすぎた」

「……一昨日の話、なくなっちゃったんですか?」

「いや……ちょっと状況が、よく分からなくなったんだ」

「ええと、それは……悪くなっているんですか?」

「良いか、悪いかと言われたら……悪くなってる」

「……そう……ですか……」

 優の表情が暗くなる。


 しかしその後、さらに肩を密着させてきた。

「私は……大丈夫ですよ。どんな結果になっても、受け入れます。拓也さんがいろいろ頑張ってくれている。今は、それだけで嬉しいです」


 ……ああ、やっぱり。

 優は、優しいし、かわいい。

 今、そんな可憐な女の子と、明かりのついた浴室で、混浴している。

 しかし……それは一時の夢でしかない。


 あの侍は言った。「優の事は、あきらめろ」と。

 その真意はよくわからないが……今のこの状況が、長く続かないことであろうとは想像できる。


 水を入れたとはいえ、まだ少し熱かったので、のぼせないうちに湯船から出た。

 なるべく優の体を見ないように意識していたが、それでも時々ちらちらと視界に飛び込んでくる。

 俺は冷静さを保とうと、必死だった。


 そして優は、俺の背中をボディーソープを付けたスポンジで洗い始めた。


「大きな背中……」

「……そうか、前回は俺の背中も見てなかったんだな」

「ええ、真っ暗でしたから……でも、そのせいでお姉さんにずっと文句、言われてたんですよ、あなただけ裸見せてないのはずるいって」

「いや、俺はナツの裸も見ていないけどな」

「ナツちゃんは妹って訳じゃないから、遠慮してるんだと思います……でも、これでもう文句、言われなくて済むかな……」

「でも、正直、驚いた……優が、その……こんなに積極的になるなんて」

「そうですか? ……実は、自分でもそう思っているんです。私、ここに来るまでは、同年代の男の人とまともに話もできませんでしたから……」


 そういえば、優は初日、恥ずかしがって俺とは挨拶程度しか会話しなかった。

 けれど、翌日ぐらいにはもう慣れたみたいで普通に話をするようになり、やがて一番仲良くなり……今では、混浴までしている。しかも、二回目だ。

 やがて彼女は俺の背中を洗い終わり、そして湯を掛けて流してくれた。


「……じゃあ、俺はもう先に出るよ」

「えっ……もう?」

「ああ。実は、その……優の裸が綺麗すぎて……これ以上一緒にいると、理性を無くして、手を出してしまうかもしれないんだ。一応、それは契約違反だから……」

 俺は正直に、今の気持ちを打ち明けた。


「そ、そうなんですか……ちょっと残念ですけど……綺麗って言ってもらえるのは嬉しいです」

 俺も、気を使ってくれる優のその言葉が、嬉しい。


 そして脱衣所に戻ろうと引き戸に手を掛けたとき……俺は優に、後から抱きつかれた。

 背中に、彼女の柔らかい胸の感触と、暖かさを感じる。


「……また、足を滑らせたのかい?」

「……いいえ、私の意思です。お姉さんに言われたのでもなく、私の……迷惑、ですか?」

「いや、すごく嬉しい。本当の事言うと、振り返って俺も抱き締めたい。でも、そうすると今度こそ、理性が吹き飛んでしまうよ」

「……嬉しいです」

 実際のところ、俺の心臓の鼓動は張り裂けんばかりに高まっていた。


「……拓也さん、あまり私たちのために無理、しないでください。どうなったとしても……身売りされたとしても、命まで取られる訳ではありません。だから……そんなに悩み、抱え込まないで……私、拓也さんのことが……心配です……」


 ……俺は、優の言葉に、素直に感動した。


 自分の身がどうなるかわからない状況だというのに、落ち込んだ俺の事を心配してくれている。励ましてくれている。

 こんな娘がいて、そして俺と仲良くなってくれて……そして今、裸で抱きついていてくれている。俺なんかに……。


「……優、お願いがある」

「はい……なんですか?」

「優の裸……ちゃんと見ておきたい……」


 ……一、二秒、間が空いた。

 そして彼女は、そっと俺の体から離れた。


「……いいですよ」

 そして俺が、ゆっくりと後を振り返る。


 彼女は腕を後に組み、顔を桜色に染め、恥ずかしそうに、照れたように……下を向いていた。


 明かりに照らされ、大粒の水滴がしたたる、ほんのりと赤くなったその裸体は、息を飲むほど美しかった。


 俺はしっかりとその光景を、目に焼き付けた。


「……ありがとう」

 俺は笑顔を浮かべて、浴室を後にした。


 ――翌日も、「阿讃屋」で、俺と啓助さんは打ち合わせをしていた。


「拓也さん……『黒田屋』が狙っている娘が、分かりました」

「すごい、もう分かったんですか」

「はい、彼等が必要としているのはたった一人。その娘だけ、余分に大金を積み上げてでも手に入れようとしているのです」

「一人……で、その娘とは……」


「……お優さんです」


 ……俺の目の前が、また真っ暗になった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る