第33話
「――あなたはもうご存知かもしれないけど」
クレアノンの連れと、リロイとナスターシャが退室したのを見届け、メリサンドラは重いため息をついた。
「あのねクレアノンさん――あなた、ハイネリアの四貴族を説得する順番、間違っちゃったかもしれないわね」
「あら」
クレアノンは目をしばたたいた。
「それは、どうして?」
「それはね――」
メリサンドラは再び、重いため息をついた。
「イェントンの当主――ザイーレン・イェントンが、ひどく――ひどく、兄さんの――ソールディン家当主、リロイ・ソールディンのことを嫌っているからよ。クレアノンさん、あなたが最初にイェントンに声をかければ、なんの問題もなかったの。でもね――あなたは真っ先にわたし達に、ソールディンに声をかけたでしょう? これで間違いなく、ザイーレンさんはへそを曲げるわ」
「ったく、あの陰険しんねりむっつりめ」
カルディンが音高く舌打ちした。
「兄貴がいったい何したってんだよ?」
「なんにもしてないわ、兄さんはただ――ただ天才だっていうだけ」
メリサンドラは悲しげに言った。
「んーなの兄貴のせいじゃねーだろーがよ。兄貴のせいでもねえことで、なんで兄貴が理不尽に嫌われなきゃなんねーんだよ。ったく、ザイーレンのくそったれめ」
「そんなふうに言わないで」
メリサンドラは、さらに悲しげに言った。
「カル――あなたは小さかったから覚えてなくても無理ないけど、兄さんとザイーレンさんは、子供のころは、本当に仲がよかったのよ」
「…………へ?」
カルディンが絶句する。メリサンドラの言いつけを守り、黙って大人しく座っているミーシェンも、驚いたように目を丸くする。
「う、うっそだろお?」
「こんなことでうそついてどうするのよ。――ほんとのことよ。兄さんとザイーレンさんは、子供のころ、本当に仲がよかったの。まるで性格の違う二人だけど、だからかえってよかったのかもね。子供のころは――ザイーレンさんは、いつも、兄さんをかばってくれてたのよ。ほら、兄さん、人がたくさんいるところだと緊張しすぎて、子供のころはかんしゃく起こしたり泣き出したりしちゃってたでしょう? あなたはそれも、小さすぎて覚えてないかしら? でもそうだったの。兄さんは、人がたくさんいるところが本当に苦手だったの。今でも苦手は苦手でしょうけど、子供の頃よりはだいぶましになってるわ。兄さんがかんしゃく起こしたり泣き出しちゃったりすると、ザイーレンさんはいつも、あっちで一緒に遊ぼうよ、って言って、兄さんを人込みから連れ出してくれていたの。わたし、思ってたわ――」
メリサンドラが、ふと遠くを見る目をする。
「ザイーレンさんはまるで、兄さんの兄さんみたいだ、って。あの人は――ザイーレンさんは、わたしにもとっても優しかったわ。ちっちゃい女の子なんて邪魔っけだったでしょうに、いつもわたしも遊びの仲間に入れてくれたわ――」
「――ザイーレンのやつ、姉貴のことが好きだったんじゃねえ?」
カルディンは、わざとらしくはしゃいだ声をあげた。
「――どうかしらね」
メリサンドラは小さく笑った。
「ねえ」
クレアノンは首を傾げた。
「どうして、そんなに仲のよかった二人が仲たがいしていまったの?」
「くらべられたからよ」
メリサンドラの声には、強い怒りがこもっていた。
「くらべられたからよ。くらべられ続けたからよ。くらべてもしかたのないことを、絶えずくらべられ続けて、ずっとずっと、ひどいことを言われ続けたからよ――!」
「――どんな事を言われたの?」
クレアノンは静かにたずねた。
「――」
メリサンドラは、大きく息をついた。
「――『十で神童、十五で天才、二十歳すぎればただの人』」
「――どこでも言うのね、そういう事って」
クレアノンは肩をすくめた。
「それと似たようなことを、あちこちの世界で聞いたわ」
「おい、姉貴、兄貴は――」
言いかけカルディンは、ハッと口をつぐむ。
「――ええ」
メリサンドラは肩を落とした。
「幸か不幸か、兄さんは天才よ。二十歳を過ぎても、大人になっても、ずっとずっと――ね。でも――」
「でも、ザイーレンさんは天才ではなかった」
「――」
クレアノンの言葉に、メリサンドラはうなだれた。
「――違う、だけなのよ。二人は、得意なことが違っていただけなの。兄さんは、誰にも出来ないことが出来るかわりに、誰もが普通にできることがとっても下手。とっても苦手。ザイーレンさんは――確かにあの人は、誰にも出来ないことをすることは出来ないかもしれない。でもあの人は、みんなが不器用にしかできない、日々のとても大切なことを、誰より上手にやってのけることが出来る人なのに――」
「――兄貴のせいじゃねえだろうがよ」
カルディンが、幾分弱々しくつぶやく。ミーシェンもそれにうなずく。
「でも、ザイーレンさんのせいでもないのよ」
メリサンドラはため息をついた。
「兄さんは――兄さんは、いいの。だって兄さんは、よその人が自分のことを何と言おうと、まるで気にしない人なんだから。時々、もうちょっと気にしてくれればいいのにって思うくらいよ。でも、ザイーレンさんは――言われ続けたの。なんて言われ続けたか――わかるでしょう、あなた達には――?」
「――『二流ぞろいのイェントン』」
クレアノンは静かに告げた。
「私の推測、正しいかしら?」
「――正しいわ」
メリサンドラは再びため息をついた。
「ザイーレンさんは言われ続けたの。小さい頃は兄貴分みたいになれても、やっぱりしょせんはイェントンだ。ソールディンの天才には到底かないやしない――って。本当に、馬鹿馬鹿しい話よ。だって兄さんは、兄さんは、魔術とか算術とか、派手で目立つようなところで二つ三つ勝ったってだけなのよ? 他のほとんどのこと――人づきあいとか、他人への気配りとか、当意即妙な受け答えとか、地味かもしれないけど本当に大切なほとんどのことは、ザイーレンさんの方がずっと上手だったのに――今だって、ずっと上手なのに――」
「――だからって、兄貴を嫌うこたねえだろうがよ」
「カル」
メリサンドラは、軽くカルディンをにらんだ。
「あなた生まれてこのかた、誰にも嫉妬したことがないの?」
「――怒るなよ、姉貴」
「――怒ってないわ。――兄さんには、わからなかったの」
「え?」
「兄さんには、わからなかったの」
メリサンドラは悲しげに言った。
「自分がどうして、ザイーレンさんに嫌われるようになってしまったのか。あたりまえよ。だって兄さんは――嫉妬って言う感情そのものが、ほとんど理解できてないんだもの。兄さんは、他人に嫉妬したことがないわ。他人と自分が違うっていうのはわかっても、それが嫉妬っていう感情には結びつかないの。いえ――たとえ兄さんに嫉妬っていう感情が理解できても、それでもやっぱり理解できなかったかもしれない。だって、兄さんにとってザイーレンさんは、自分よりずっとずっとしっかりした、頼れる一番のお友達なのよ? ザイーレンさんが自分に嫉妬する理由なんか、兄さんに見つけられるはずがないのよ」
「つったって――ガキの頃の話だろお?」
カルディンが眉をひそめる。
「――そうね。もし逆なら――わたしのほうが、兄さんやザイーレンさんより年上なら、もしかしたら二人を仲直りさせてあげることが出来たのかもしれない。でも、わたしも子供で――どうして兄さんに意地悪するの、って、ザイーレンさんのことを責めることしかしなかったわ。兄さんは兄さんで――悲しいことだけど、ザイーレンさんに嫌われてる、っていうことだけは、わかってしまったのよ、兄さんは。理由はわからなかったけど、嫌われてるってことだけはわかってしまったの。だから兄さんは――あのころずいぶんしょげてたわ。自分じゃ覚えてないけど、きっとザイーレンさんを怒らせるようなことをしてしまったんだ、って。そして兄さんは――ザイーレンさんに近づかないようになってしまった」
「そりゃそうだろうよ。近づきゃ意地悪されるんじゃ――」
「違うの。――そうじゃ、ないの。兄さんはね――兄さんは、自分が嫌いな人に近づいてこられるのがとてもいやだから、ザイーレンさんもきっと、嫌いな自分が近づいていったらいやだろう、って、そう思ったの。兄さんは、ザイーレンさんのことが好きだったのよ。好きだったからこそ、近づいていやな思いをさせたくなかったの」
「な――」
カルディンが絶句し、ミーシェンが息を飲む。
「そして――あの結婚式で、二人の仲は決定的にこじれてしまったの。あの――ザイーレンさんの、一番目の結婚式で」
「あー、あの、花嫁が土壇場でバックレた、あの悲惨な結婚式」
「そう。兄さんはね――兄さんは、ザイーレンさんにこう言っちゃったの。『何か手違いがあったのか? 手違いなんて誰にでもあることだから、あんまり気にするな』って」
「うわ」
「それは――」
カルディンとミーシェンが顔をしかめる。
「兄さんは、親切のつもりで――っていうか、兄さんは、本当に、言葉のとおりのことを思ってたのよ。手違いがあったみたいだけど、手違いなんて誰にでもあることだから気にするな、って、兄さんは、ザイーレンさんを慰めるつもりだったの。でも――」
「当然ザイーレンのやつは、それをとんでもない皮肉だと思ったわけだ」
カルディンがますます顔をしかめた。
「――そのとおり」
メリサンドラは深いため息をつき、
「――馬鹿みたいでしょ、わたし達」
悲しげな笑みを浮かべてクレアノンを見やった。
「そこまで原因がわかってるのに、いまだに仲直りが出来ないのよ」
「――ありがとう、話してくれて」
クレアノンは、静かに一礼した。
「竜の私からすれば、うらやましくなるくらい濃密なのね、あなたがたの関係は。人づきあいが苦手だっていうリロイさんだって、そんじょそこらの竜よりよっぽど、相手のことを思いやっているわ」
「でも、人間にとっては十分じゃないのよ」
メリサンドラもまた、静かにそう言った。
「だからね、クレアノンさん――わたし達が協力しているって知ったら、イェントンは、あなたの努力とは関係なく、あなたの申し出を拒むかもしれないわ。――それを、言っておこうと思って」
「ありがとう」
クレアノンは再び、深々と頭を下げた。
「後悔はさせないわ」
「え?」
「あなたが私に、話してくれたということを」
クレアノンの瞳は、銀色に輝いていた。
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