9-5

 クライスフレインが、燃えていた。

 セレンの転移魔法を使って一瞬でヴァリアラに戻って来たあたしたちが、クライスフレインを見渡せる丘の上から見たのは、シェイドと魔物の襲撃を受ける首都の姿だった。

 あいつの瞳がすっと細まり、魔物辞典に記された悪魔型の魔物――デーモンたちが街を蹂躙する様を見すえ、それから、険を引っ込めてあたしを振り返る。

「――いけるか?」

 あたしの身体がまだ本調子ではないんじゃって気遣ってくれたんだろう。あたしは口元を引き締めてしっかりとうなずく。

「大丈夫、戦える」

「よし」

 あいつもこくりとうなずき返して、あたしの手を取った。いきなり手をつなぐ状態になって、こんな緊急時にも関わらずあたしがおたおたしていると、それに構わず、あいつは転移魔法を発動させる。視界が揺らいで、次に気づいた時には、クライスフレインの市街地。魔物が人々を襲っている真っ只中だった。

 どちらからともなく手を離して、あいつはデーモンの群に向けて火の魔法を放つ。火の鳥フェニックスの力を失ったはずなのに、その威力は相変わらず第四階層並。アストラルの血ってのは、それだけすごいものなんだろう。

 あたしは徒手空拳だったのでどうしようかと思ったんだけど、とりあえず、向かって来たデーモンに光魔法をお見舞いした。もちろん、第五階層なんか使わない。第二階層だ。

 翼を引きちぎられたデーモンが落下するのを目で追ったところで、あたしは、地面に落ちている長剣に気がついた。誰かがここで戦って、放り出して逃げたのだろうか。……食べられちゃったとかは考えたくないんだけど……。

 とにかく、折角得物が目の前にあるのに使わない手は無い。顔も名前もわからない元の持ち主に、無断で使ってごめんなさい、と心で謝って、あたしは剣を拾い上げ、デーモンに斬りかかった。

 ヴァリアラ騎士たちの姿があちこちで見えた。市民たちに避難誘導や消火活動の指示を送りながら、戦っている。戦闘に参加しているのは騎士団だけじゃない。バウンサーや腕に覚えのある人は何かしらの武器を持って、魔物や影に打ちかかっていた。その中に覚えのある顔を見つけて、あたしは駆け寄る。

「ミーネさん!」

 鍛冶に使うんだろうハンマーをぶん回していた彼女は、こちらを向き、あたしの顔を見てぎょっとした表情を浮かべた。そりゃ、死んだはずの人間が帰って来たら、当然そんな反応になるに決まってる。

「カラン!?」

 ミーネさんは、飛びかかって来た獣型の影の脳天に必殺のハンマー一撃、沈黙させると、あたしの肩をつかみ、頬をぺたぺた触ってきた。

「本当に本物のカランなのかい!?」

「本当に本物れす」

 鼻までつままれたりしたので、ちょっとくぐもった声で返すと、ミーネさんは、「まあ、今は細かい事訊いてる場合じゃないけど」とひとりごちて、それよりも、と険しい顔になる。

「デミテルがこいつらを引き連れて来たんだよ。奴は楼閣へ向かった。王様たちを助けてあげて!」

 ミーネさんとはもっと――クロウの事についても――話をしたかったんだけど、それを聞いて、話は後回しだと認識する。

「わかった、ミーネさんも気をつけて!」

「そう簡単にくたばるようなタマじゃないよ!」

 片手を振り合ってミーネさんと別れ、セレンとあたしは楼閣への道をひた走った。楼閣の入口では、兄さんがサイゼルさんやナイアティットら騎士と共に、デーモン相手に剣を振るっていた。

 兄さんは、先にセレンに気づいたらしい。

「貴様、どの面下げて」

 戻って来た、ってどやしたかったんだろうけど、その台詞は、後ろから続いて来たあたしを視界に映した途端に打ち切られた。目を見開きぽかんと口を開け、あっけに取られる兄さんという、天然記念物並の表情、まさか妹のあたしがさせる事ができるなんて思ってもいなかった。

 セレンが爆発魔法を放ち、デーモン集団を一掃する。

「デミテルは!?」

 訊ねても、兄さんはまだ、信じられないものを見ていますという顔つきであたしを見下ろしていたので、サイゼルさんが代わりに言葉を発する。

「陛下と姫君は、エリサ姫とエイリーン殿と共に、最上階の神殿に避難していただきました。ですがデミテルは、魔物を放って我々をここで足止めし、自身は楼閣内へ」

「突破されてるのかよ」セレンが眉間に皺を寄せる。「最悪じゃねえか」

 そこに新手の影が現れた。気を取り直した兄さんが、大剣を構え直す。

「そうだ、状況は最悪だ。だから行け。ここは引き受ける」

 そうして、サイゼルさんたちと共に影に斬りかかった。

「神殿か」

 セレンは呟いて、楼閣の最上階を見上げる。

「走って昇る余裕は無いよな。ショートカットするか」

 あいつが手を差し出すので、今度はきちんと心の準備をして素直に握った。滞空魔法で、あたしたちの身体は舞い上がる。

 外から最上階の、風のデュアルストーンが奉納されていた神殿に飛び込む。すると、まさしく状況は最悪だった。

 壁際で意識を失っているエイリーン。膝をつくリサとレジェント。皆、魔法攻撃を受けたんだろう、少なからず傷ついている。

 何故こんなになるまで攻撃しなかったのか。理由はすぐにわかった。

 彼らの前には、影のような姿になったデミテル。そしてそいつが、鋭い爪を首筋に突きつけている相手は、アリミア。

 彼女を盾に取って、レジェントたちの反撃を封じたんだ。なんて卑怯な奴! 今すぐにもその場に飛び降りて、デミテルに斬りかかりたい気持ちだったけど、それを察したセレンがあたしの手をぐっとつかみ、ささやきかける。

「我慢しろよ。あいつはまだこっちに気づいてない。アリミア姫を助けるチャンスをうかがうんだ」

 その言葉に従い、あたしたちはデミテルの背後に回って、様子を見る事になった。一瞬、リサがこちらに気づいたふうだったけど、すぐに視線をそらして、知らぬふりをしてくれた。

「まったく、愚か者どもよ」

 デミテルはレジェントたちに嘲笑を向ける。

「こんな小娘の命ひとつ、見捨ててしまえば、運がよければ私を倒せるかもしれぬのに」

 そう言った途端、むきだしになっていたデミテルの背中がばくりと割れたかと思うと、ぎょろりと血走った大きな目玉が現れ、あたしたちをとらえた。

「背後の貴様らもな」

 絶対に死角だと確信していたのに、こんなの想定外だ。本当に卑怯だ。文句をぶつけたかったけれど、恨み言ひとつ言う暇も無いまま、放たれた闇の波動に吹き飛ばされ、あたしたちは床に叩きつけられた。

「まったく、つまらんよ、我が甥。もはや飽きた」

 そうせせら笑って、デミテルはアリミアの首筋からすっと爪をひいた。言葉通り、人質を取って相手をいたぶるのに飽いたんだろうか。

「お、お兄様!」

 解放されたアリミアは、よろけながらもレジェントの元へ駆け寄ろうとする。その手が、兄の肩に触れようかという時。

 どっ、と。

 何か鋭いものが肉を貫く音がした。

 その場にいる誰もが、何が起きたのかわからりかねた。ただ、デミテルだけが、にたりと心底楽しそうに口元を歪めている。

 アリミアが血を吐く声がした。レジェントの目前で、小さな身体がゆっくりと倒れてゆく。その背には、デミテルの放った闇魔法の刃が、心臓に達する深さまで突き刺さっていた。

「……アリミア?」

 倒れこんできた妹の身体を受け止めたレジェントが、呆然とアリミアの名を呼んだ。アリミアは応えない。レジェントは、現実を受け止め切れていない、すっかり自失した表情で、自分の手があっという間に血に濡れてゆくのを見ていたけれど。

 唐突に、言葉にならない叫びをあげたかと思うと、アリミアの身体を床に横たえ、そばに転がっていた槍を手に取った。そして、雄たけびをあげながらデミテルに突進する。

 デミテルは早口に詠唱して、闇の弾をいくつも打ち出す。レジェントは最小限の動きでそれを避け、避けきれないけれど致命的でないものは甘んじて食らって、デミテルに肉薄すると、怒りを存分に込めた槍を突き出し、デミテルを壁に打ちつけた。

「甘い」

 槍で縫いとめられても、デミテルは余裕の笑みを浮かべ、闇の波動でレジェントを吹き飛ばす。

「影の力を得た私を、この程度の攻撃で倒せると……」

 自信に満ちた声色が中途に打ち切られた。驚愕に満ちた目が見やる先では、セレンが特大級の炎を打ち出そうとしていた。

「レジェントには悪いけどな、影化した人間は、アストラルと同じで、アストラルにしかとどめを刺せない」

 赤い瞳をぎらぎらと怒りに燃やし、セレンは炎を放つ。炎はデミテルを包み込み、またたく間に燃え上がる。絶叫が神殿じゅうに響き渡った。

「そんな馬鹿な! 私は、私は人を超えた力をもって、ヴァリアラを、世界をヲヲ……!!」

 悶え苦しむデミテルに、あいつはあくまで冷たい目を向けて言い捨てる。

「燃え落ちろ。お前には、存在した証を残す資格さえ無い」

 その言葉通りデミテルは、燃えカスひとつ残さずに燃え尽きて、消えた。


 首領格のデミテルが倒されて統率を失ったからか、仲間の大半が倒されたからか、影は次々とクライスフレインから離脱し、残されてうろうろしていた魔物も討ち取られた。市街地の火事も、ほぼ消えゆこうとしている。

 本来なら、国王であるレジェントが民の前に姿を見せて、動揺を静める言葉をかけ、事後処理の指示を下さなくちゃいけないんだろう。だけど今の彼にはそんな事ができなくて、でもきっとクライスフレインの誰もが、それを仕方無い事と許してくれる状況であると、その場にいる皆が知っていた。

「アリミア」

 妹の名を呼び、レジェントはアリミアの身体を抱き起こす。彼女の顔からは血の気が引いて、死の気配がべっとりと張りついていた。

「……お兄様、ごめんなさい……最後まで、ご迷惑を、おかけして……」

 震える手がレジェントの頬にあてられる。

「何を言うんだ。迷惑だと思った事なんて今まで一度も無い」

 その手をレジェントはしっかりと握り返す。

「大丈夫だ、すぐによくなる。そうして元気になったら、一緒にガルーダに乗って、色んな光景を見に行こう」

「一緒に……」

 アリミアは微笑みかけたけど、命のともし火を奪う痛みに襲われたんだろう、その可憐な顔を歪ませる。

「それは……是非、エリサ様と、ご一緒に」

 言葉を発するのも苦痛に違いないのに、アリミアはそれでも、兄を気遣う言葉を発する。

「お兄様、どうかもう……わたくしにとらわれずに、自由に……」

 つっと一筋涙が伝う。最期に、綺麗な、とても綺麗な笑顔を見せて、アリミアはその紫水晶のように澄んだ瞳を閉じ、ぱたりと手が床に下ろされて、そして、動かなくなった。

「……アリミア?」

 レジェントは、しばし放心した後、ようやく現実に思考が追いついて、アリミアの名を叫びながらその身体を揺する。二度と彼女が目を覚ます事が無いと、わかっているだろうに。

「エリュシオンの力が残っていれば……」

 セレンが悔しそうに呟く。知ってる。エリュシオンの反魂の術をつかさどる水晶は、あたしを生き返らせるので力を使い果たしてしまった。もう頼れない。万一その力が残っていたとしても、反魂には代償を求められる。セレンは、生命力の半分ともいえる火の鳥の加護を失った。次は自分自身の命くらい差し出さなきゃいけなくなるんだろう。

 誰もが言葉を失い呆然とする中動いたのは、リサだった。レジェントのかたわらに膝をつき、アリミアの頬を撫でて。

「ひとつだけ、手段があります」

 決意を込めた声色で、彼に告げる。

「失われた魂を呼び戻す秘術が、ランバートンには伝わっています」

 レジェントがはっと顔を上げ、一縷の望みにすがりつきたい哀願を宿した紫の瞳で、リサを見つめる。

「できるのか」

「はい」

 リサは深くうなずく。だけど。

「駄目だ!」

 水を差したのはセレンだった。あいつは険しい表情でリサを見すえる。

「リサ。ランバートンに伝わっているその術は、第五階層だろ」

 しばしのためらいを見せた後、リサは無言でこくりとうなずく。

「オレが知ってる限り、ひとの身で使える、第五階層で命を呼び戻す術は、換魂魔法だけだ。術者の命を失わせる代わりに、ひとり、生き返らせる」

 アストラルとしてその身に刻まれている情報を引き出して、あいつが告げると、リサは黙りこくってしまい、レジェントは驚きを顔に満たしてリサを見る。

「悪いけど、アストラルが知っている以上の反魂術を、人間が知っているとは思えない」

 それはつまり、アリミアの命を呼び戻す代価にリサの命が失われる事を表している。

「それでも」

 だけど、リサは覚悟を決めた横顔で、力強く言うんだ。

「私が陛下のためにできる事といったら、それくらいしか」

 ありません。その台詞を中途で止めたのは、レジェントが彼女の口を塞ぐように伸ばした手だった。

「そんな事を言わないでくれ」

 レジェントはうつむき、肩を震わせる。

「俺のために君が命を投げ出すなど、考えないでくれ」

「ですが」

「――これ以上!」

 声を荒げて反論しようとしたリサを、より大きい声でレジェントはさえぎり、血を吐くように切実に叫ぶ。

「これ以上、大切な人を、誰一人失いたくないんだ!」

 それは強烈な告白だった。リサはすっかり言葉を失ってしまい、目をみはってレジェントを見つめる。でもやがて、口がへの字になって。

「……今、それをおっしゃるなんて、やはりあなたはひどい方です」

 レジェントの震える肩にすがりつくと、顔を伏せて静かに泣く。レジェントも、片腕にアリミアのなきがらを、もう片方の腕でリサを抱いて、嗚咽を洩らした。

 いつの間にか兄さんたちもその場に駆けつけていた。声を殺して涙を流すエイリーンの髪を、兄さんがいつになく優しくなでている。サイゼルさんとナイアティットは口を引き結んで直立していたけれど、本当は自分たちも声をあげて泣きたいだろう。

 あいつは、赤い瞳でそんな皆を静かに見つめている。あたしは、それら全ての情景を見渡して、ぐっと拳を握りこんだ。

 クロウが、アリミアがいなくなった。多くの人が涙を流した。

 もう、誰も死なせたくない。誰も、泣かせたくない。

 その思いが、静かに、だけど確かに熱を持って、あたしの心の中で燃え上がっていた。

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