7-4
足を踏み出すと、しゃくしゃくと新雪に靴が埋まり込む。吐く息は白く、きちんと上着を羽織ったつもりでも、ちょっとした隙間から入って来る寒気に、ぶるりと身を震わせずにはいられない。
暦の上ではまだ秋だというのに、世界の北に位置するエーデルハイト大陸では、白い雪景色が一面に広がっていた。
「頼むから子供みたいに走り回るなよ。寝転んで人型を作るのも」
背後から兄さんにそう言われて、うっと硬直する。浮かれているつもりじゃなかったけど、まだ誰にも踏みつけられていない雪原を駆けて、最初の足跡を刻もうと企んでいたのは事実だ。
アヴェスタに行った時のように、ヴァリアラ騎士たちの操るグリフォンに分乗していた皆が降りて来る。リサと共にガルーダに乗って来たレジェントは、先に降りて、リサに手を貸した。
「恐れ入ります」
「いや、長時間申し訳なかった」
「問題はございません」
そのやりとりを聞いて、ナイアティットと顔を見合わせる。彼女は微苦笑を返してきた。心底から嫌だったら同乗したりしないはずだし、この二人の関係が本当に微妙である事は、部下たちもよく知るところなんだろう。
それにしても。改めて周囲の光景を見渡してみる。
かつて命からがら祖国に逃げ帰った調査団員は、地獄だと表現したけれど、今目の前に広がるエーデルハイトの地は、静けさに包まれて、とてもそうは見えない。それとも、本物のあの世ってのはこんなふうに、気が遠くなるくらいの静寂に満ちた場所なんだろうか。地面も空も白くて、天地左右の感覚がおかしくなりそうだ。
「走り回るなと言ったら、今度は立ち止まって呆けるのか」
いつの間にか、ぽかんと口を開けて景色に見入ってしまっていたらしい。兄さんがあきれ気味に声をかけてきた事で、はっと我に返った。
「とにかく、クルーテッダス城を目指さなくていけないな。行こう」
「陛下、露払いは俺が引き受けますって」
レジェントが先頭に立って歩き出そうとするので、クロウが慌てて入れ替わる。
「陛下、どうかお気をつけて」
「君たちも。危険を感じたら離脱しても構わない」
見送りのナイアティットと言葉を交わし、レジェントは雪原へ足を踏み出す。リサ、エイリーン、兄さん、あたし、セレンの順で、その後を追った。
しばらく雪原を行って、あたしたちは、エーデルハイトの恐ろしさを思い知る事になる。オルトバルスやダイアムなどとは比べ物にならない、魔物が出現したからだ。
半牛半人の姿をしたミノタウロスが斧を振るえば、闇色の毛並を持った獣フェンリルが牙をむく。カバラ社の魔物辞典では『ブルーハワイ』となんだかおいしそうな名前で載っていた真っ青のスライムは、その名前と弱そうなちっこい見かけに反して、すばしこく跳ね回り、激突されると、結構痛い。おまけに、口も無いのにどうやって詠唱をしているのか、第二階層の水属性、氷の矢の魔法を放つのだ。それに気を取られていると、ミノタウロスやフェンリルの必殺の攻撃が襲いかかって来るので、油断していられない。
寒冷地の魔物だから火には弱いはず。セレンが燃してくれるのを期待したんだけれど、あいつは何故か魔法を使わないで、魔道剣を持ち出してブルーハワイに斬りつけている。いつも後ろから火球を放っていて直接攻撃なんて得意じゃないのに、無茶するな、と思いながらも、あたしはフェンリルを斬って捨てる。ミーネさんからもらった剣は、恐ろしくいい切れ味で次々と敵を屠った。
白い雪原は、ものの十数分で、ミノタウロスとフェンリルの赤い血と、ブルーハワイの青い体液が混ざり合った、毒々しい紫に染まっていった。
敵が全滅したのを確かめて、それぞれが武器をしまっていると、兄さんが大剣を鞘に収めながら、険しい表情でセレンのもとへ向かっていった。じろりとあいつを見下ろして、兄さんは言う。
「お前、
皆がはっとあいつに注視した。あいつはうつむいて口をつぐんだまま答えない。それが答えだ。
「デミテルに術を撃ち込まれていたな。あれがそうか」
そうか。魔法封じは第三階層。だからレジェントに、それを解呪できるだろう第四階層の使用者はいないかと訊き、それが駄目なら自力でなんとかできないか、過去の書物をあさろうとしたんだ。あいつが図書館にこもっていた理由が今わかった。だけど。
「なんで言ってくれなかったの」
「迷惑かけたくなかったんだよ、オレの油断が招いた失敗で」
頼ってもらえなかった、という不満を覚えながら詰め寄ると、あいつは罰が悪そうな顔をする。気づけなかったあたしもあたしだけど、それにしたって。
「その結果戦力にならない方が、よほど迷惑だと思うが」
兄さんの辛辣な一言に、あいつは、ぐっと言葉を詰まらせた。
「今からでも帰れ。俺たちは足手まといを連れてクルーテッダスまで行けない」
「全部使えない訳じゃない。滞空や魔道剣は発動できる。お荷物じゃねえ」
つりがちな目を更に険しくして睨み上げるセレンを、兄さんはやっぱり冷たい表情で見返すばかり。険悪な雰囲気がただよいかけた時。
「なあ」
クロウが、努めて呑気を装った声色で一方向を指差した。
「とりあえず、こんな死体だらけの場所じゃなくて、もうちょっと腰落ち着けて話しないか? ほら、丁度」
つられて皆でそちらを見やる。そこには、エーデルハイトにはもう存在しないんじゃないかと思われていた、集落の影が見えた。
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