第7章:旧世代の堕ちた聖域
7-1
あたしが気づいてあげなくちゃいけなかったの。
誰でもない、あたしが。
焼きたてのお菓子と、良質な茶葉を使った淹れたてのお茶の香りが、部屋に満ちる。
「へえ、上手いものだ」
「ほう、これはなかなか」
レジェントとサイゼルさんは、チョコレートシフォンケーキをぱくつきながら、賛美を口にしてくれる。表情を変えずに黙々とクッキーを食べる兄さんには、エイリーンが問いかけた。
「……おいしい?」
「不味くはない」
いつも通りそっけない返事だけど、エイリーンにはそれで充分らしい。ぱっと嬉しそうな表情を浮かべて、兄さんのカップにお茶を注ぎ足した。
今日のおやつは、女性陣がナイアティットに教えてもらいながら、厨房で奮闘した結果だ。エイリーンとリサに、一応あたしも混ざった。一応。
腕前については事前に自己申告したので、調理にはほとんど関わらず、「それを取ってくださいますか」「オーブンから取り出してください」なんてナイアティットの指示に従っていただけ。まあこれでも、旅に出てから、いやがおうにも食事当番が巡って来るから、人がまともに食べられるものは作れるようになった、つもり、なんだけど。
デミテルを取り逃がしてから三日。あたしたちは、クライスフレインにとどまっていた。奴がいつ再び襲来してくるかわからない、バウンサーに対しての報酬は出すから警備にあたってくれ、というのが、国王としてのレジェントの表向きの依頼だった。あたしたちは、報酬はいらないし、宿も自分たちでとるつもりだったんだけど、レジェントが、
「共に戦ってくれた恩人に、そのような手間をかけさせる訳にはいかないよ」
と主張して、客室を一人につき一室ずつ用意してくれた。客室とはいえ、王侯貴族が暮らすような部屋なんて生まれて初めてのあたしは、ついつい、
そして今日、レジェントの執務室に一同が集まっている。目的はもちろん、お茶会を楽しむ事……じゃない。表向きではない、本来の目的について話し合うためだ。一同と言ったけれど、席についたのは、レジェントにサイゼルさんと、兄さん、エイリーン、リサ、ナイアティット、そしてあたし。クロウはヴァリアラ騎士として通常の勤めや訓練もあるので、今はそちらに行っている。
あと、もう一人。
「セレンは?」
室内を見回してどこにもあいつの姿が見えない事を確認しながら、誰にともなく問うと、ああ、とレジェントが答えてくれた。
「図書館へ行ったようだよ。最初は、第四階層を使いこなせる魔道士を紹介してくれ、と言われたのだが、ヴァリアラは、ランバートンほど魔道に精通している訳ではないんだ」
お茶を一口すすって、レジェントは続ける。
「そうしたら、古い書物が置いてある場所は無いかと訊かれた。歴史は二十年しか無い図書館だけど、蔵書だけは、アヴェスタから運び出して来た年代物が揃っているからね」
「図書館」
一体、皆で話し合おうって時間を放り出してまで、何を調べたいんだろう。疑問に思ったが、
「して、陛下」
サイゼルさんが本題を切り出したので、あたしの疑念はあっという間に霧散してしまった。
「本当に、陛下御自ら、エーデルハイトにお出ましになると?」
「気は変わらないさ」
サイゼルさんが渋面を作る。だけどレジェントはそれに怯まず、決意に満ちた表情で返す。
「どんな危険が待ち受けていようとも」
エーデルハイトは未知の大陸だ。
今から千年近く前。魔法文明は行き過ぎて、現代みたく魔物が凶暴化して跋扈し、世界が滅びかけた事があった。だが、それを食い止め、『勇者』とたたえられた若者がいた。彼は世界の王族の祖となって、その最も濃い血脈が、エーデルハイトのクルーテッダス王国の一族である。
という、伝説が残っている。なんせ千年も前の話だから、マユツバも尾びれ背びれもつきまくりだと思うけど。
とにかく、そのためか、はたまた別の理由か、真実は知らないけれど、クルーテッダスは百五十年くらい前に
実態は、はっきりとはわかっていない。過去、ヴァリアラ、ランバートン、サンザスリナの各国が調査隊を派遣したのだけれど、無事に帰って来たためしが無いからだ。命からがら母国に帰り着いた何人かが、エーデルハイトはまさしく地獄で、とてもクルーテッダスまで到達などできなかったと、震えあがりながら報告しただけ。
それを今回、あたしたちが、クルーテッダスに残っているはずのデュアルストーンを守る為に乗り込もうという話になったのだから、サイゼルさんが主君の身を案じても案じすぎという事は絶対無い。
だけど、レジェントはきっぱりと騎士団長に告げる。
「影やデミテルといった人間までを使い、世界を動かすと言われるデュアルストーンを集めて、何事かを企む者がいるのは確かだ。俺は王族として、世界の危機を見過ごす訳にはいかない」
そうして彼は、あたしたちの顔を見渡した。
「ましてや、人任せにしてクライスフレインで報せを待つだけなど」
「まあ、お前はそういう性分だ」
「この間でよくわかったわ」
兄さんがふっと洩らして、エイリーンも苦笑する。
「部下としても、お待ちするばかりの立場は辛いものがあるのですが」
サイゼルさんはため息ひとつこぼすが、もう答えはわかりきっていました、という顔をしているのも確かだ。
「我らの王は、そう申しても意志を翻してくださる方ではない事は、重々承知しております」
「留守を頼むよ」
そうして、海路では時間がかかりすぎるから、グリフォンを扱う精鋭騎士を選抜して空からエーデルハイトへ行こう、と決まった。
話がまとまったところで、皆、食べかけだったお菓子に再度手を伸ばす。人数がいるから結構量を作ったつもりだったけれど、ポットの中のお茶が底をつく頃には、お菓子も結構無くなっていた。
「お下げしてよろしいでしょうか」
「え、ああ、うん、ありがとう。美味しかったよ」
リサがレジェントに声をかけてカップを受け取る。
「片付けるわね」
「ああ」
エイリーンも空になった兄さんのカップを手にする。
「皆様、どうかくつろいでいらしてください。片付けなど私がいたしますので!」
ナイアティットが慌てて二人からカップを受け取ろうとするけれど、二人とも、「このくらいは、私も」「作ったのだから、後片付けもきちんとしないと」と、譲らなかった。
三人が部屋を出て行く。あたしも、エイリーンたちが持てずに残された菓子皿を、厨房に返しに行くついでに、残りを後で食べられるように包んでもらおうと、席を立つ。と。
「無愛想なのは相変わらずだな」
扉を開けたところで、レジェントが兄さんに話しかける声が耳に届いた。
「友人としてひとつ忠告しておく。彼女はいい
名前を挙げなくとも、誰の事を指しているのかはさすがにあたしにもわかった。エイリーンだ。彼女の兄さんに対する態度は、まさしく恋する女の子のそれ。鈍感なあたしが気づいてるんだから、好意を寄せられている本人がわからないなんて事はきっと無いはず。正直、エイリーンなら義姉さんと呼んでも構わないか、というところまで考えている。
だけど兄さんは、レジェントに対して深い嘆息ひとつこぼすばかりで、
「なら、俺からも言っておく」
と一瞬間を置き、言葉を継いだ。
「国と妹ばかりを見ているな」
その発言の意図はよくわからないまま、あたしは執務室の扉を閉じた。
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