1-3

 セレンはすぐに回復した。文字通り、すぐに。

 結構な怪我だったのに、出会った次の日にはほとんどの傷がふさがり、それから二、三日もする頃には包帯も取れて、一週間も経てばすっかり元気になって、世話になったのに返せる路銀も無いからと、フェリオの店を手伝うと言い出し、実際そうした。

 絶対、普通の人間じゃこんなに早く回復しない。何かある、って、フェリオもあたしも思ったけれど、どんな者でも受け入れる、一度街の仲間になった者は守る、余計な過去の詮索しない、というのが信条のザスだから、あたしたちはそれ以上彼にあーだこーだと聞く事をしなかった。

 第一、セレン自身が覚えていないって言うんだから、思い出すまでそっとしておいて、言いたくなったら聞いてあげればいい、というのが、フェリオとあたしの間で取り決めた約束だった。

 セレンは記憶喪失だったけれど、忘れているのは、どこから来たかとか、何をしなきゃいけなかったのかとか、自分の出身や過去に関わる事だけで、言葉とか日常生活に関わる部分はしっかり覚えている事が判明した。しかもかなり生活力が身についている。

 フェリオの店を手伝い始めた当初は、この店に無かった貴重な男手という事で、力仕事を任せていたんだけど――しかも結構線が細いくせに易々とこなしてしまうから、あたしたちもこないだまで怪我人だった事を忘れ、つい次々と仕事を押しつけちゃったんだけど――、ある日、店がてんてこまいに忙しくて、フェリオが料理の用意にまで手をつけられなかった時、彼がおもむろに厨房に立ったかと思うと、カバラ社製魔力冷蔵庫にある食材を取り出し、鮮やかな手さばきで、おつまみになる料理をどんどん作っていった。

 見た目も、ちょっと味見させてもらったその味も、ザスには無い不思議なものだったけど、これが結構いけて、お客さんにバカウケ。

 その後、彼の料理を食べたくて店に訪れる客が増えて、半月も経つ頃には、常連さんにすっかり顔を覚えられて、まるで昔から居たかのように店にとけこんでいた。

 正直、その時はちょっと、ちょっとだけ、あいつに嫉妬を覚えたんだ。

 あたしはこの店に来て五年だけど、まあ、子供だから手伝える事なんてあまり無かったというのもあるし、当時はあたしも本当に色々とあって、店に来る人たちに存在を認識してもらうまで一年はかかった。

 それをあいつはたったひと月足らずでこなしてしまったのが、ちょっとだけ羨ましかった。まあ、はっきりとは口には出さなかったけれど。

「今日来た客も、セレン君の料理を褒めてたよ」

 ある日の閉店後、三人で残り物をつまむ遅い夕飯をとっていた時、フェリオが煙草をふかしつつ、にこにこしながら言い出した。

「助かるから、どうせならずっとここに居てくれないかなあ?」

「はは……考えときます」

「はいはい、あたしはどうせ料理に関しては役立たずですよう」

 あいつもまんざらでもないもんだから、ついついあたしはすねてしまう。

 そう。自分で言うのも何だけど、あたしは、料理が、まあ、上手くない。

 セレンが来てから、一度だけまかないを作ってあげた事があったが、その後、あいつはあたしの料理について一言も触れなかった。今日も、おかずだけじゃと思って塩むすびを握ったわけだが、誰も手をつけやしない。

『どう握ったらそんな芸術的な形ができるの』

 フェリオにそう呆れられた事もある。

「でもね!」

 あたしはカウンターの中に飛び込み、グラスを持ち出した。冷凍庫に入っていた氷をぶち込み、レモン汁をたっぷりの炭酸水で割って、ガムシロップを注いでかき混ぜて、

「これだけは自信ある!」

 どん、とあいつの目の前に置いてやった。

「なんだ、これ?」

「レモンスカッシュ!」

 あいつは怪訝そうな表情を浮かべながらグラスに口をつけたけど、一口飲んで、固まって。目を白黒させた後。

「……うまい」

 ぽつりと呟いて、グラスの中身を一気に空け、おかわりまで求めて来た。

 そりゃ、うまいよ。あたしのレモンスカッシュは配合が絶妙だって、常連に大好評なんだから。

 結局あいつは、あたしのこの作品を相当気に入ったらしい。立て続けに三杯飲んだ。

 そしてあいつが、四杯目を頼もうとグラスを差し出しかけたので、いくら何でも飲み過ぎだろうと釘を刺そうとした時だった。

 バン! と大きな音と共に、店の扉が壊れるんじゃないかってくらい乱暴に開かれた。

 入って来たのは、黒いフードをかぶった、がたいのいい男たち。その数、三人。

「今日はもう閉店したよ」

 煙草の煙をスーッと吐き出して、フェリオはじろりと男たちを睨む。

「それとも、礼儀を知らない、強盗か何かかねえ?」

「女子供に用は無い」

 低い声で男の一人が言った。

「我々が用があるのはそこの小僧だけだ」

 その場にいる本人以外の視線が一斉に、セレンに集中した。

 あたしは咄嗟にカウンターをひらりと乗り越え、そばの壁に立て掛けっぱなしだったモップを手に取る。

「いくつか椅子とテーブル、壊すかもしれない」

「店全体を壊さない程度にね」

 フェリオとのそんな短いやりとりの後、あたしはモップを両手で握りしめると、だん、と床を蹴った。

 いきなり飛び込んで来たあたしに面食らっている男のみぞおちを、モップの柄で突き飛ばす。男はうめきながらくの字に身体を折り、がらがらと音を立てていくつかの椅子がなぎ倒された。

 仲間を吹っ飛ばされて呆気に取られている二人目の足を払って転倒させ、慌てて殴りかかってきた三人目の拳をかわすと、モップを軸に床を蹴って回転し、横っ面に蹴りを叩き込んだ。

「なんだ、見かけ倒しか。弱っち……いいぃっ!?」

 モップを下ろして、ふうと一息つこうとした瞬間、最初に吹っ飛ばしたはずの男が、ぐりん、と、まるでカバラ社の造る魔力人形のようなカクカクした動きで起き上がり、人間としては有り得ない速さでこちらに突っ込んで来た。

 咄嗟にかわした相手の腕が、黒く鋭い爪を有したものになっていたから、気づく。

シェイド!」

 間髪入れず、フェリオがあたしに向けて長剣を放り投げた。あたしはそれを受け取って素早く鞘から抜く。

 影なら手加減する必要は無い。刃を、敵めがけて振るった。今度は遠慮無く腹を斬り裂き、影は不気味な唸りをあげて崩れ落ちた。

「カラン、後ろ!」

 フェリオの警告が飛んで来たと同時、背後に殺気を感じてぞっとする。振り向きかけると、あたし目がけて振りかざされた黒い腕が見えた。

 向き直り体勢を整えて迎え討つ前に、一撃を食らうだろう。ひやりと肝が冷えた、その瞬間だった。

 突然、影が燃え上がった。

 唖然とするあたしの目の前で影は、自分を包む炎を消そうとのたうち回る。が、不思議な事にその炎は、影をとらえて離さず、他のもの――床も椅子もテーブルも、あたしも含めて――に飛び火する事も無く、確実に影だけを焼き尽くした。

 影が倒れて消滅すると同時、炎も消える。その向こうに、片手を突き出したままの状態で立っている人物を見て、あたしは思わずぽかんと口を開けてしまった。

 セレンだった。

「今の、あんたが……?」

 あたしが疑念を挟む前に、あたしの横を何かがすり抜けていった。存在を失念しかけていた三人目の影が、セレンに飛びかかったのだ。

「記憶は無いけど」

 あいつは呟いて、懐から何かを取り出した。何かと思ったら。

 赤い石がはめこまれた、柄しか無い、剣。

 そんなものでどうやって戦うの、馬鹿じゃないの!? と叫ぼうとしたら。

「どうやら戦い方は覚えてるみたいだ」

 柄だけの剣を両手で握って眼前に構えたあいつの瞳が、今度は気のせいじゃなく、褐色から赤に燃え上がったかと思うと。

 うぉん……と低い音を立てて、柄の先に、赤い光の刃が生まれた。

 光の刃は、あたしの剣より鋭い切れ味で、飛びかかった影を肩口から一気に斬り裂き、あっという間に消滅させた。

 静まり返った店内で、あたしもフェリオも言葉を失ってセレンを注目してしまう。

 そのセレンは、しばらく床を見つめて立ち尽くしていたけれど、一瞬目を伏せ、剣から光の刃が消えて顔を上げた時には、もう褐色の瞳に戻っている。その目を困ったように細めて、あいつは言った。

「どうやら、オレ、狙われてるらしいな」

「そう、みたいだね」

 あたしは剣を鞘に戻しながら応えた。そういえば最初にあいつを見つけた時にも影が追っていたし、誰かがセレンをつけ狙っているのは、間違い無いみたい。

 だけど。

「あの、オレ」

 あいつが何を言い出そうとしていたかはわかったから、

「ちょっと待った」

 あたしは思わずそれを遮って声をあげていた。

「誰にどうして狙われてるのかわかんないまま、ここを出て行くとか言うのは、無しだよ」

 あいつが、少し驚いたように目を見開く。

「ザスの街の住民は、一度仲間になった人間は、何者であれ、どんな理由があれ、守る」

 フェリオもカウンターの向こうから笑いかける。

「あんたも、もう立派にこの街の一員だよ」

 セレンはしばらく顔を赤くして、その金髪をくしゃくしゃかき回していたんだけど、

「……ありがとう」

 フェリオとあたし、それぞれに、ぺこりと頭を下げた。

 それに対して、あたしは何故かあいつに負けないくらい赤くなり、フェリオは新しい煙草に火をつけると、にっと笑う。

「とりあえず、二人で後片づけ」

 フェリオの指し示す先を振り向くあたしとセレンの視界に入ったのは、今回の立ち回りでひっくり返りまくった、椅子とテーブルだった。

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