第38話 明日を

 ユーマは何処までいっても能天気であった。エミリアが戻ってこなくても、突然武闘会への参加が決まっても、ユーマの心中はいたって平穏そのものであった。

「くあ……っ」

「呑気なものだな」

 ベッドに仰向けに寝そべり、天井から吊られた電球が左右に揺れる様子を目で追いながら大きなあくびを晒すユーマに、隣のベッドの上で分厚い本を広げるマオは恨めしそうに言った。

「考えたってしょうがないだろ」

「それはそうだが……」

「エミィはそのうち帰ってくるし、武闘会はなんとかなる。そっちこそ呑気に本なんか読んで……何の本を読んでんだ?」

 ユーマは寝返りをうってマオへ向き直り言った。

 ベッドの縁に腰掛けるマオは足をばたつかせて鼻歌交じりにページをめくる。

 キルナの力を吸収し、多少大人びたとは言え外見年齢はまだ子供だ。経って横に並べば頭一つと半分も慎重さがあるし、体の随所もまだ未発達だった。大人の女性であれば色気を感じさせるであろう赤いスカートも、このままでは愛らしさを増長させる要因にしかなっていなかった。

「魔術教本に興味があるか?」

 マオは本から視線すらそらさず言った。

「いや……やめとくわ。にしてもなんで今更教本なんか」

「魔法が使えるようになったから基礎を忘れて言い訳がない。お前も剣の素振りをするだろう? 皆が寝ている明朝なんかに」

「うぐ……」

 こいつ見ていたのか。努力しているところをみせたくないからわざわざそんな時間にやっているというのに。

 ユーマはさも楽しくなさそうにマオから視線を外し、再び天井を見上げる。

 マオの言うことは至極まっとうだ。この街にいる間はあまり気を張る必要はなさそうだが、マオを狙う騎士団は大陸の何処にでもいる。

 他にも深い森にひそむ獣たちの襲撃に対してはいつでも対処できるよう鍛錬は欠かすものではなかった。

「明日は武闘会本番だ。俺はもう寝るぞ」

 ごろりと寝返りをうってマオに背を向け、ユーマは静かな夜に瞳を閉じた。




 部屋は祭りを明日に控える窓の外とは対象的に重苦しい暗黒に包まれていた。

 つい先程まで網膜に焼き付いていたろうそくの光が残像となって視界の隅をちらつく。閉ざされた扉の向こう側から漏れる生ぬるい空気がベッドに横たわる体を舐め回すように包んで不快なことこの上なかった。

 少女の顔は苦痛に染め上げられていた。

 歯を噛み締めて眉をひそめる。

 しかし、決して苦しいわけではなかった。痛いわけではなかった。そもそもその表情の理由は物理的なものではなかった。

「そんなはずはない……ないんだ……」

 少女――ルセリナはそう言って枕に顔を突っ伏す。

 兄上が生きているなんて。

 たしかにあの夜、確認したのだ。死んでいたことを。

 『ユーマ』とあの男は名乗った。似すぎているのだ。その見た目が。その人柄を除いて何もかもが瓜二つ。

 ヒルダは気がついているのだろうか。思い違いならそれでいい。

 この胸のモヤモヤは一体何なのだろう。どうすれば晴れるのだろう。

 私は王なのだ。このようなことにどうじている訳にはいかない。私は――王なのだから。

 あの男に、ユーマに、もう一度会いたい。会って、はっきりと「兄上ではない」と言ってほしい。

 そうしなければ私は――。

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