第30話
「わたしは…」
貴族の彼はそこで言葉を切り、意味ありげにラムの方へと視線を移した。
口籠った彼の緑色の瞳はラムに助け舟を求めるような、それでいて何か懇願するような、意味深げに濡れた瞳であった。それを目にしたラムは無意識に体をぶるりと震えさせる。
何か口にしなければ。
そんな思いで口を開くも、何も言葉は出てこない。
「だが、わたしはまだ魔王を見つけられていない。ラム君とは違い、まだ、元いた物語へと戻るわけにはいかないな」
そんな止まりかけた会話へと勇者はあっけらかんとした態度で言葉を切り込んできた。彼が口籠っていた事を気にした素振りは微塵もない。
「レースでは危ない目にあわせてすまなかった。ご達者で」
「…え、もうここで別れ?」
別れの挨拶まで添え、三人から背を向けて立ち去ろうとする勇者を目にした郁は黒目がちの瞳を見開き驚いてみせた。
「あぁ、わたしには魔王に関する手がかりがないからな。早く遅れを取り戻さなければならない」
少しばかりこちらに向けた顔はこれまでになく真剣そうな面持ちで、ルチルはまた前を向きさっさと歩き出そうとしていた。
何故か、何の根拠もないが焦りを覚えたラムは「それなら!」と声を張り上げ、勇者の彼女を引き留めさせる。
「あのっ、えっと…俺、知ってる!…かも?」
「かもって、あんたね…」
勇者の彼女は躊躇い気味に瞳を揺らし、振り返る。その表情の変化をラムはバッチリ目にしてしまい、思わず小さく狼狽えた。
隣の郁は、曖昧な言葉を口にしたラムへ呆れ顔で脇を小突く。
「何、意味不明な事言ってんのよ。まだ酔ってるの?」
「いや、それはそっち…って、そうじゃなくて、ヒント。ヒント貰ったんだ、妖精から」
ラムの発言に勇者は「妖精…?」と言って首を傾げ、郁は「レースで死にかけて天使でも見たの?」のラムの頭に問題があるのでは、と言いたげな発言をする。
「や、死にかけの走馬燈とか迎えの天使やら死神だとか、幻覚の部類じゃない。元々、俺は妖精から言われてこの街に入ったんだ。それに金や服装も妖精から勝手に揃えられた物だし…」
そう口にしながらラムは頭の中でレース中に妖精が言っていた言葉を思い起こしていた。
『わたしは主人の名前と引き換えに召喚され』
妖精の言葉が正しいのであれば、妖精の言う‟主人”には名前がないということになる。
『主人の願いの為により良い結果を思い描いて』
つまり、ラムが辿る物語によっては妖精の‟主人”の願いが叶うと言うことだ。
見え透いた謎を解き明かす、安っぽい探偵ドラマの主役のように考え込む仕草を見せるラム。ラムはそう時間をかけることもなく、すっと顔を上げ、一方を見つめた。
「なあ、あんた、名前は?」
ラムがそう問いかけると視線の先に立つ貴族の彼は何か諦めたかのような、ふっと力の抜けた自然体な笑顔でラムを見つめ返していた。
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