78. 玉五郎、誘拐される




 御手洗がシメノにお祓いをされて以来、白い花が売れに売れまくっていた。

 どうやらこの商店街で白い花を買うのが若い女性にとってブームになっているそうで、バービッチの花屋と駅前のスーパーで売られている白い花が全滅していた。

 白い花の理由は、便器の神様のイメージカラーの白から来ていた。


「まさかとは思うんだが、便器ファンの中に腐ってる女子が紛れていたんだろうか」


 白い花束を予約していた真弦がぽつりと独り言を言った。

 すると、バービッチが傍に寄ってきてくんくんとにおいだす。


「うん、臭うわね。かなり腐ってるわよね」


 真弦を腐ってる女子だと理解しているバービッチはわざとやっている。


「腐ってるけど、私ではない誰かだったんだなー。今まで御手洗さんで誰かとカップリング考え付かなかったから悔しいよ」


 においを嗅がれた真弦も自ら脇の下をにおった。服に付いた柔軟剤の匂いしか真弦とバービッチには感じられなかった。今流行のふんわリッチの匂いだ。


「そういえば今日は御手洗さん、配達に行ってるの?」


「いいえ。今日はお店と収録も休みだから美容室よ」


「ふうん」


 吾輩は井戸端会議をしている真弦達を置いて、美容室へと歩いて行った。


 いつものように美容室にはタツコが看板猫として店先でひなたぼっこをしている。


「(御手洗はいるのか?)」


「(来てるよ)」


 御手洗は美容室の奥の方でお洒落な雑誌を読みながら、オーナーの高子に髪の毛を染められている最中だった。


「(今度はあいつ、頭何色にするんだろうな?)」


「(白だよ)」


「(またかよ)」


 御手洗のラッキーカラーは「白」のようだった。

 実際その白が幸運を運びまくっているのだから、御手洗は迷わず髪を白く染めるとわかっている事だった。





 夕方、御手洗は吾輩とタツコにガードされてフローリストBarbieにたどり着いた。

 猫に左右を固められた御手洗はというと、居心地悪そうにしていた。


「しっしっ、ワイはプライベートを猫に邪魔されたくないんや」


 最近の御手洗はこんな感じで冷たい。

 昔はこんな奴じゃなくて優しかったのに……。


 御手洗は気取るように「あー、新ネタ考えんとな」と独り言を言いながら二階に上がって行った。


「ニャーン(つまんねえな)」


「ニャーン(つまんないね)」


 吾輩がタツコと寂しそうに頷き合っていると、バービッチがこちらを向いており、同じように寂しそうにしていた。


「あの子はブレイクしてから変わってしまったわ」


 バービッチは独り言を言いながら予約のフラワーアレンジの仕事を再開した。




 あれから1週間が経過した。

 相変わらず御手洗は深夜のお笑い番組にレギュラー出演している。最近は昼間の番組に進出して、放送コードギリギリのギャグを繰り返していた。


 吾輩は便器の神様に飽き、テレビを見ている真弦の脇をすり抜けて外に散歩に出かけた。


 いつものように商店街を闊歩していると、商店街の外の住宅街に住んでいるトラオと出会った。


「ニャー(今日も元気だな。良かった)」


 トラオは吾輩の体を心配してくれるようになってくれていた。吾輩の毛皮に日に日に増えていく白い毛を確認したからみたいだ。


 吾輩とトラオはいつものように猫会議をする為に花屋のフローリストBarbieへ歩いて行った。

 すると、バービッチに飼われているサクラが珍しく店先に出ていた。


「にゃーん(あ、お父さん達!)」


「(どうしたんだ?)」


「んにゅー(春人が帰ってこなくなったの)」


「(そろそろ部屋を見つけて出ていくのかもな)」


 吾輩とトラオは笑いながらサクラの言う事をそんなに重要な事とは受け止めていなかった。


「ニューン(それが、5日前から春人がいないの。バービッチママが捜索願を提出してるけど、見つからないのよ。芸能事務所でも春人を捜してるけどお手上げなの)」


「ニャッ!?」


「ニャーン(お父さん達、春人をどこかで見かけなかった?)」


 サクラは御手洗の事を本気で心配していた。彼はサクラの家族だからな。


「(それって仕事が忙し過ぎて嫌になったから雲隠れしたとかじゃないのか?)」


 吾輩は御手洗についてそれほど深刻には考えていなかった。





「(まさかとは思うが、御手洗の奴、事件に巻き込まれたとかそういう物騒な目に遭ってないかな?)」


 御手洗の部屋でいつもの猫会議を開く。

 心配は杞憂であって欲しいと会議の中で話題になっていた。

 下の階にいる人間も御手洗が事件に巻き込まれているのではないかと心配している。


「ああ、もう、心配してもしょうがないから御手洗君の好きなクッキーでも焼きいて待ちましょう!」


 バービッチはいらいらしながら台所に立つ。

 腹を空かせた猫達は吾輩を含めてバービッチの後を付いて回った。


 卵、バター、牛乳を出して計量している。

 続いて小麦粉を出してきてボウルに移そうとすると、バービッチが手を滑らせた。

 ボフッ!


「!?」


 吾輩の全身に小麦粉が降りかかった。


「フギャーッ!」


 前が見えないっ!

 吾輩の息子や娘が驚いて逃げる足音だけが聞こえた。


「あらー? あらあら、ごめんなさいね」


 バービッチが吾輩の体に付いた小麦粉を払おうと体を屈めた。が、混乱した吾輩はむせながらフラフラとバービッチの手をすり抜ける。

 吾輩は機密性のある室内に配慮して店の外に出た。


「ケションケション!」


 軽くくしゃみをしながら体を震わせて体に乗っかった大量の小麦粉を払った。

 空中にもうもうと小麦粉の粉が立ち込める。毛皮は粉ですっかり真っ白になった。


「……!(美しい白猫だ)」


 男の声は頭上から降ってきた。聞き取り辛いが、外国語だったと思う。

 いや、白猫じゃないんですけど……。

 男のごつい手が吾輩の胴体を掴んだ。

 フワッと体が持ち上がり、吾輩が顔を上げる。


 その男は褐色に焼いた肌が特徴の外国人で、見覚えがあった。光矢の考古学研究室で働いているゲリクソンとかいうちょっとアレな名前のドイツ人だ。

 ゲリクソンは真っ白になった吾輩を抱っこし、吉良家とは別の方向の道をスタスタと歩いて行った。


 道を数分歩いたところで、ゲリクソンは市営住宅の近くを通りかかる。この辺に住んでいるトラオに助けを求めようと視線を彷徨わせたが、トラオの姿はまだ無い。

 ゲリクソンは団地の奥に建っていた割と新しめのアパートに足を踏み入れる。

 窓という窓が白い厚紙で塞がれた二階の一室のインターホンを押した。


 ピンポーン♪

 怪しげな部屋とは場違いな軽快な音がスピーカーから聞こえる。


 中で物音がして、ややしばらくしてからドアチェーンの付いたドアが薄く開いた。


「ダディ?」


 ゲリクソンの視線の遥か下で、ゲリクソンと同じ髪質と瞳の色をした小学生ぐらいの女の子が警戒しながら見上げていた。


「早く開けるんだ、ポアレ」


 ゲリクソンはドイツ語で話しているのだが、吾輩の言語変換能力を舐めないで欲しい。人間の言葉はニュアンスで大体わかるのだよ。

 と、吾輩が勝手に得意げになって思っていると、ドアチェーンが外されてゲリクソンは急いで部屋の中へ滑り込んだ。


 部屋の中は全て真っ白。

 壁から床、備え付けの建具までが白で塗りつくされていた。

 気が狂いそうな程の真っ白な空間に、日焼けした浅黒い肌のドイツ人親子が存在している。その部屋は人間だけが強烈に浮き出して見えるように作られていた。


「ダディ、また変な物を拾ってきたんだね」


 ゲリクソンの娘のポアレは呆れながら吾輩を覗き込んでいる。


「商店街にいない筈の白猫がいたんだ。白くて美しいだろう」


「だからと言って勝手に拾ってこないで! あ、この子首輪してる」


 吾輩を調べたポアレは吾輩にくっついている首輪に真っ先に気が付いてくれた。そして、指に付いた白い粉を見て怪訝そうな顔をした。

 ゲリクソンは吾輩を床に降ろすと、黒Tシャツが白く汚れているのに今更気が付いた。

「おお、黒が白に侵食される様相はいつ見ても素晴らしい光景だ」


 ゲリクソンがうっとりしながら、猫の胴体の形に白く汚れたTシャツに魅入られている。

 ポアレは哀れな思考を持つ父親を黙って呆れ顔で見ていた。


「そもそもこの子が汚れてるからそうなるのか」


 吾輩はポアレに抱っこされてバスルームに連れて行かれた。

 全てが真っ白にペイントされたトイレ付きユニットバスのドアを開く。


 すると、空の浴槽の中に、真っ白な髪をした全裸の日本人が押し込められていた。






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