さらば戦友の話
72. 女は年末の戦に備える
季節はすっかり冬景色に変わっていた。
老猫の吾輩の外出の回数は外の寒さですっかり減り、青葉町のボスの座は知り合いの猫に明け渡してしまっていた。息子のトラオに二代目は務まらなかったのが悔やまれるが、吾輩と年が近く壮年猫だから仕方がない事だ。
吾輩の日課はもっぱら昼寝である。
暖かい部屋はいつも真弦の部屋で、吾輩は真弦の足がある事務机の下がお気に入りである。
真弦が描いたブログ漫画の『マトリョーシ母さん』が最近アニメになったみたいだ。売り出している単行本も売れに売れて真弦は人気作家になっているが、専属のアシスタントはヤミーただ一人だ。
ヤミーは無事に高校を卒業してプロのアシスタントに昇格している。現在19歳のぴっちぴちの女の子だ。
真弦はまだ辛うじて20代なのだが、体力の衰えと老けを感じていた。
「つるつるせんせー、ヒアルロン酸の話なんて若者に受けないでしよ」
「ヒアルロン酸を馬鹿にすると将来困るんだぞ」
巨乳の二人は肩こりを気にしながら作業を進めている。二人ともおっぱいが重たいのだ。
真弦は日課のブログを更新し、ヤミーは真弦が描いた少女漫画の背景を頑張って描いていた。
ヤミーはこの1年余りでイラストの腕を上げていた。
「あ、そうだ。年末コミケあるからネタ出ししないとな。あんたも漫画出せばいいじゃん。一緒に委託してあげるから好きに描いていいよ」
真弦が言うコミケというのはコミック漫ケットという夏と冬に大々的に開催される漫画とアニメの世界的祭典の事である。コミケの会場では同人即売会が行われており、各ジャンルのサークルがしのぎを削っている。
「いいんでしか? ボクの漫画は大作になりそうでしよ。うふふふふ、ボクの好きなはるミッチーで舞踏会開こうかな」
「印刷代と冊数も考えて描きなさい。同人ってそういう物だからさ」
真弦はそう言うと、首を鳴らしてパソコンの個人フォルダから同人のファイルを取り出した。高校時代に描いていた『お兄ちゃんは同級生』というオリジナル漫画が同人誌として刊行されるようだ。今回はバージョン15で、仮の表紙画にR-18指定が付いていた。
真弦の描く『お兄ちゃんは同級生』はマトリョーシカ弦のコアなファンに多大な人気がある。何故商業誌でこの漫画を描かないかというと、好きな時に好きに描けないからという単純な理由から来ていた。編集者が付くと自由にならないからな。
主人公は昔から相変わらず美羽がベースの『
12月も暮れに差し掛かった頃、
すっかり出不精になった吾輩を連れた真弦は商店街の外れに店を構えているペットカフェに足を運んだ。
クリスマスが近づいており、カフェの店内は赤と緑の装飾で彩られている。
「いらっしゃい、まる子!」
経営者の嫁の聡美は大型犬のジョセフ2号と共に真弦を出迎える。いまだに昔のペンネームで真弦を呼ぶのは彼女だけだ。
吾輩はペットキャリーから出されると、店の中で遊んで来いと促された。
が、年が年なのではしゃげずに結局は真弦の膝の上に落ち着く。
「こっちが私の新刊で、これがうちのアシスタントの新刊」
「ほお~。お宅のアシスタントさんも仕上げたのねぇ」
聡美は感心して真弦の差し出した薄い本2冊を大事そうに受け取る。
「それよりもっ! 楽しみにしてたよ15巻っ!」
聡美は真弦の同人漫画の一番のファンみたいなものだ。美羽も真弦の漫画のファンだから一番二番が争えないけどそんな感じだ。
真弦は照れ臭そうに聡美が自分の漫画を読んでいるのを見つめた。
「サトさんの漫画はまだ印刷されないの? 読みたいなぁ~」
「う……っ。印刷所の発送はまだだから……まだだから! コミ漫までに間に合えば大丈夫」
聡美は言い訳しながら真弦の漫画を食い入るように読んでいる。時折「ウホッ」とか「あはっ」とか歓喜の声を上げている。真弦の漫画はその筋の者には面白いみたいだな。
聡美が真弦の同人誌を読み終え、満足そうに一息つく。
真弦は同人ホモ漫画の最新の話は無いのかと先輩の聡美に教えを乞う。
そんなホモや百合で幸せになっている彼女達のすぐ近くに、場違いな存在がいつの間にか立っていた。
真っ黒な装束を身に纏ったこの世の人ならざる者がカフェ店内をうろついている。
「フーッ(出たな、グラニー!)」
吾輩は毛を逆立てて死神のグラニーを威嚇する。
彼は何をしにこのペットカフェに来たのだろう?
「どうしたんだ? 玉五郎、毛皮なんて逆立ててさ」
「フギャー(死神が出たんだよ! 気が付かないのか?)」
「まあまあ、落ち着くんだ玉五郎……」
真弦達はグラニーに気が付かずに談笑している。
吾輩が毛を逆立ててグラニーを威嚇しても、彼は吾輩を無視した。
「えっとーチャタローはっと……」
カフェでくつろいでいる大型犬を見つけて「違うな」と呟く。
グラニーは死神の業務をしているみたいだった。
「フウーッ(てめえ、何しに来たんだ?)」
厄介事しか持って来ないグラニーをひと睨みすると、グラニーは吾輩に気が付いた。
「あ、そうだ、猫ちゃん、チャタロー知らない? このカフェに女連れでよく来てるらしいんだけど」
「(知らん)」
「そう。命日リストにチャタローが死ぬからって俺ちゃん先に来てみたんだよねー。どんな奴だったか覚えてなくてさー。俺ちゃんの担当って脊椎動物から無脊椎動物まで結構広い訳よ~。仕事も忙しいしオーバーワークって感じでー」
グラニーは仕事の愚痴をだらだらと喋ってきた。吾輩は愚痴が大嫌いなのでシャットダウンした。
「で、今日はチャタローが女連れでここに来るらしくて、どこで魂の尾を切ってあげるかタイミングを伺う予定なのよ」
「(ああ、そうか)」
吾輩はグラニーの業務に嫌気がさして曖昧に返事をした。チャタローって名前からして多分小型の犬か何かだと思う。それ位しか思い浮かばなかった。
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